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姉と弟  作者: 深江 碧
八章 長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩
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長男と次男の、はた迷惑な兄弟喧嘩2

 男性の背後から数人の男たちの足音が聞こえる。

 数人の黒服の男たちがごろつきたちに向かって拳銃を構える。

 銃口を向ける黒服の男たちの張り詰めた雰囲気に、ごろつきたちも口を閉ざす。

 若い男性はごろつきたちに笑いかける。

「さあ、命が惜しければ、さっさとここから去るがいい。そして彼女のことや、ここで見たことは一切口外しないように。このことを口外すれば、君たちの命の保証はないよ?」

 世間話でもするかのような気安さだった。

 ごろつきたちには、それで若い男性の恐ろしさがわかったらしい。

 姉の首から手を離し、手に持った棒を収める。

「わ、わかった。このことは決して誰にも言わない。だ、だから、命だけは助けてくれ」

 ごろつきたちはそろそろと路地の奥に下がり、背を向けて走り去る。

 石畳の上を駆け去る足音が消えてから、姉はゆっくりと立ち上がる。

 先ほどのごろつきと若い男性とのやり取りを思い出し、緊張して口を開く。

「危ないところを助けていただいたことには、感謝の言葉もありません。本来ならば、お礼の一つもしたいところなのですが、生憎わたしは何も持っておりません。申し訳ありません」

 姉は深々と頭を下げる。

 若い男性は姉に歩み寄る。

「別にいいよ、お礼なんて。君とおれとの仲じゃないか。そんなにかしこまらなくていいんだよ?」

 その口調を聞いて、姉は若い男性の素性を思い出す。

 ――この馴れ馴れしい話し方は。

姉の脳裏に夜会での出来事が思い出される。

――叔父さんの次男さん?

夜会の度に声を掛けられ、付きまとわれていた次男の顔が思い浮かぶ。

姉は叔父の親族、と言うところに、ひどく警戒する。

――それにこの人は、わたしを探していると言っていた。叔父さんの命令で、わたしの命を狙いに来た人かもしれない。

姉は自分の方に近寄ってくる次男の足音に耳を澄ませる。

路地に入ってすぐのところに立つ、黒服の男たちの物々しい気配も感じる。

――わたしは、この辺りの地理に詳しくない。もし路地の奥に逃げて、迷子になってしまったら元も子もないわ。逃げ道は、この人の後ろにしか、ない。

姉は体を強張らせ、ごくりと喉を鳴らす。

路地の向こうに意識を集中させる。

笑顔で歩み寄ってくる次男の顔を見上げる。

「あぁ、でも折角なら、おれとの再会を祝して、熱烈なキスで歓迎してくれたらうれしいかなぁ」

 伸びてきた次男の手が姉の肩にかかる。

 姉は全身に鳥肌が立つのを感じる。

「は、離して下さい!」

 姉は肩にかけられた次男の手を払いのける。

 するりと次男の体をすり抜ける。

 姉は路地の入口に向かって走り出す。

「――嬢?」

「お待ちください」

 黒服の男たちが止めるのも聞かず、姉は通りに走り出る。

 弟との約束の公園に向かって通りを走っていく。

 次男は姉が走り去っていく後姿を追いかける。

 そばにいたお付きの黒服の男性がぽつりとつぶやく。

「若が冗談でもあんなことを言うからですよ。――嬢のお気持ちをまるでわかっていらっしゃらない」

「いいだろう、キスくらい。おれは彼女とその両親の葬儀にも出席したし、ついこの前まで彼女が生きているなんて知らなかったんだからさ。感動の再会を祝って何が悪いんだ」

 次男は走りながら訴える。

「――嬢は、ただでさえ事故でご両親と視力を失われていらっしゃるのに、その上命まで狙われている今の状況では、若の冗談を笑って受け止められる心のゆとりはないと判断されます。そんな状況であんなことを言えば、逃げられて当然だと思いますが」

「何、おれのせい? ――嬢に逃げられたのは、おれのせいなの?」

「若の普段の行動を思い起こしてみますと、――嬢に避けられている十中八九は若のせいかと」

 お付きの男性は主人に対して辛辣に言い、他の者たちを振り返る。

 視線を受けて、彼らは一様にうなずく。

 無言で通りを走り続ける。

 姉の後姿を追いかける。

 ――公園まで、あと少し。あと、少し。

 息を切らして姉は必死に走り続ける。

 石畳に足を取られ、何度も転びそうになりながら公園を目指す。

 目の見えない姉には、公園にいるはずの弟と約束した人物を頼る以外に方法はなかった。

 実際には公園までどのくらいの距離なのか、姉にはわからない。

 ただ、真っ直ぐに走って行けば公園にたどり着けるという、弟の言葉を信じて走り続けているだけだった。

「待て、――嬢!」

 背後からの次男の呼びかけを無視し、姉はひたすら走り続ける。

 通りのすぐそばから車のエンジン音が聞こえてくる。

 それは通りの隣の車道を通っている車の音とは違って聞こえた。

 その車は明らかにこちらに向かって突っ込んでくる。

 通りを歩いていた周囲の人々の間から悲鳴が上がる。

 息を切らし、姉は驚いて立ち止まる。

 立ち止まると足が震え、その場から動けなくなる。

 車は姉のいる歩道の柵を越え、こちらに突っ込んでくる。

「危ない!」

 車のエンジン音を聞きながら、姉の頭は真っ白になる。

 何者かに前に突き飛ばされ、姉は地面に倒れる。

 すぐそばを車が突っ切っていく音が聞こえる。

 耳障りなタイヤの擦れる音、エンジン音を響かせて、暴走した車がすぐそばを駆け抜けていく。

 車はブレーキさえかけずに、周囲の物をなぎ倒して走り去る。

 ――今の車、わたしをひき殺そうとしたの?

 姉は今頃になって体が震えてくる。

 ――誰かがかばってくれなければ、わたし、死んでいたかもしれない。

 姉が地面に倒れた時、誰かが突き飛ばして、身を呈して助けてくれた。

「あの、大丈夫ですか?」

 首を巡らせて、姉は体の上に倒れている人を見る。

 もちろん姉の目にはその人物の姿は見えない。

 ただその人物が生きているだろう温かさと微かな息遣いは聞こえる。

 複数の足音が石畳を走ってくる。

「若、ご無事ですか?」

 その人物は姉の上で身じろぎする。

「何とか、ね」

「それに、――嬢は」

 部下たちに若、と呼ばれた次男は、姉の上からゆっくりと起き上がる。

「――嬢、お怪我はありませんか?」

 姉は冷たい石畳の上に手をついて、体を起こす。

 石畳の上に座り込んだまま、声に応じる。

「はい、おかげさまで。ありがとうございます」

 次男が姉の命を助けてくれた、と言うことは、少なくとも姉の命を狙う敵ではないのだろう。

 そう考えると、次男を見て逃げ出したことを、とても申し訳なく思う。

「あの、先程は助けていただいたところを、逃げ出してしまって、申し訳ありません。てっきり、叔父さんの手の者かと」

 次男は姉の手を取って、立ち上がらせる。

「別に構いませんよ。気にしないで下さい。むしろ逃げ出したあなたのとっさの判断は賢明ですよ。こういった場合は、用心に用心を重ねても足りないくらいですから」

 次男は困ったように笑う。

 姉はますます小さくなる。

「ごめんなさい、――様。あなたが親切からわたしの身を案じてくださったのに。わたしはあなたのことを疑ってしまいました」

 顔を赤らめ恥ずかしくなって謝る。

「夜会ではいつもあなたに逃げられてばかりいましたから、今更どうってことないですよ」

 次男は姉の手を握りしめたまま、にこにこと笑っている。

 姉はますます恐縮する。

「でも、公園に行く前にあなたを見つけられて良かった。あの公園に入られたら、待ち伏せしている兄貴の部下とやり合わないといけないところでしたよ」

「え?」

 姉は首を傾げる。

 今さらっと次男は物騒なことを口にしなかっただろうか。

「そ、それはどういう」

 姉が尋ねるのにかぶせるように、次男は部下を振り返り口を開く。

「さっきの走り去った車はどうなった?」

「はい、そのまま街の外に走り去った模様です。ナンバーは外してありました。恐らくは盗難車かと」

「そうか。で、現在の兄貴の動向は?」

「屋敷からは出てはいないようです。屋敷の執務室から命令を出しているものかと思われます」

「それなら良かった。兄貴が直接現場の指揮をしていないなら、こっちにも逃げ切るチャンスはあるだろう」

 次男は満足そうにうなずく。

「あ、あの、よく話が見えないのですが」

 姉は控え目に訴える。

 次男はさっきと変わらず姉の手を握りしめたままだった。

 笑顔でこちらに向き直る。

「詳しい話は車の中で話しますよ。神に誓っておれは君の味方です。今はおれを信じて、一緒に来てくれませんか?」

 手を捕まれたままの姉に、これ以上逃げることも、拒否することも出来なかった。

 どうすることもできない。

「はい」

 姉は小さくうなずき、次男に従って用意してあった車に乗り込む。

 後部座席の隣に次男が乗り込み、車はゆっくりと走り出した。

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