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姉と弟  作者: 深江 碧
七章 姉に事情を話し、二人で逃げる
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姉に事情を話し、二人で逃げる3

 彼女も馬鹿ではない。

 弟の言葉が何を意味するか、巨大財閥の令嬢として育った自分の立場を、ある程度は理解しているつもりだった。

 幼い頃は何度も誘拐されそうになったことがあるし、街の貧しい人々から恨みの目で見られることも、石を投げられたこともあった。

 自分たち家族の身の安全は誰が守っているのか、彼女の側には常に黒服の男たちがついていた。

弟は家族の身の安全を、人知れず守って来たと言うのだ。

彼女の知らないところで、どれほどの血が流されたのか。

頭の中ではわかっているつもりだったが、姉はずっとそこから目を背けていたところがある。

弟の話をすぐには受け入れることは出来なかったが、弟のことを今までより深く知ることは出来たと思っている。

それをきっかけに、今まで目を逸らしていた事柄とはある程度向き合えることが出来る。

――わたしはこの子一人に、ずっと辛い重荷を背負わせてきたのね。

姉は弟がどれほど辛い目にあって来たのか知らない。

しかしこれをきっかけに、その心の重荷を少しでも軽くすることはできないだろうか。

弟の助けになることは出来ないだろうか。

 姉は迷いながら、かすれた声で考えながらつぶやく。

「でも、ありがとう。わたしに、本当のことを話してくれて。わたし、馬鹿だから、あなたが話してくれなかったら、きっとこの先ずっと気付かなかったと思う。あなたがわたしに本当のことを話してくれたこと、とても感謝しているのよ」

 姉は顔を上げ、見えない目で弟を見る。

 静かに微笑む。

「わたしを信じてくれて、ずっと守ってくれて、ありがとう、――。あなたのおかげで、わたしはこれまで生きて来られた」

 姉の優しげな微笑みだけで、弟はこれまでのすべての罪が許されたような錯覚を覚えた。

 弟はわずかに目を伏せ、頬を赤らめる。

 胸の奥が温かさに包まれる。

 姉の反応は、弟が恐れるようなものではなかった。

 長年恐れているような事態は起こらなかった。

 ――お礼を言わなきゃいけないのは、僕の方だよ。ありがとう、姉さん。

 弟は心の中でお礼を言う。

 そっと目を閉じる。

「ねえ、――。手を、見せてくれないかしら」

「え?」

 顔を上げると、姉がこちらに向かって手を差し出している。

 弟が不思議に思いながら片手を差し出す。

姉はその手を両手で包む。

 そっと握りしめる。

 照れくさそうに笑う。

「わたし、あなたのことを今まで何も知らなかった。でもこれからは、もっとあなたのことを知りたい。知っていきたいと思うの。わたしはいつだって気付くのが遅いし、後悔ばかりしているけれど、今からだって決して遅いと言うことはないと思うの。父さんと母さんはもう戻って来ないけれど、わたしはあなたがいてくれただけで、あなたが生き残ってくれただけで、とてもうれしい。あなたがいなかったら、わたしは到底生きていられなかったでしょうね」

 弟の手を握りしめた姉の両目に涙が浮かぶ。

「あなたが今まで人知れず多くの人を手に掛けてきたことを受け入れるのは、もう少し時間がかかるかもしれないけれど、そのこともきっと受け入れるから。わたしはあなたが優しい子であることを知っているもの。あなたはきっと必要に迫られて、家族のために手を汚してきたのでしょう? それはわかっているつもりだわ。そうね、わたしもこの一件で、すっかりお尋ね者になってしまったみたいだし、あなたに守られているわたしが、あなたのことをとやかく言うつもりもない。あなたが誰であろうと、どんな境遇で育ったとしても、家族として一緒に過ごした時間は変わらない。あなたがわたしの弟であることに変わりはないわ」

 姉は柔らかに微笑む。

 弟は胸に熱いものが込み上げてくる。

 それが涙だと気付いて、弟は姉に気付かれる前に手の甲でぬぐう。

「姉さん」

 姉に軽蔑されると思い込んでいた弟は、ようやく長年の肩の荷が下りたのだった。

 弟は照れくさそうに笑う。

「姉さん、ありがとう」

 そう言って、弟はソファから立ち上がる。

 弟の手を握りしめていた姉は、つられて椅子から立ち上がる。

「ど、どうしたの?」

 目の見えない姉には、弟の表情はわからなかった。

 驚いた声で聞き返す。

 弟は照れくさそうに笑い、姉の手を引く。

「姉さん、ありがとう」

 弟は姉の手を引き、その体を抱きしめた。

 姉は弟に抱きすくめられる。

 抱きしめられた耳元で弟の声が聞こえる。

「僕も、父さんや母さん、姉さんと一緒に暮らせて、幸せだった。みんなは僕に家族としての安らぎを与えてくれた。帰る場所を与えてくれた。僕は姉さんの弟で、本当に幸せだった」

 姉は弟に突然抱きすくめられて驚いたものの、弟の言葉を聞いて、安堵した。

 弟の背中にそっと手を回す。

「わたしも、家族としてずっとあなたと一緒に暮らせて幸せだったわ。良い姉でいられたかどうかはわからないけれど。正直に言うと、わたしずっとあなたに嫉妬していたのよ。だってあなたは何でも上手にこなしてしまうから。でも同時に、わたしはあなたのことがとても誇らしかった。あなたのような弟を持てて、とても幸せだわ」

 姉は頬を赤らめ、恥ずかしそうに語る。

 弟は姉を抱きしめながら、悲しげに微笑んでいた。

 もしかしたら、これが姉との別れになるのではないかという予感が、彼にはぼんやりとわかっていた。

 弟は姉の体からゆっくりと離れる。

「出かける準備をしないと」

 姉ににっこりと微笑みかける。

「その恰好のままじゃ、逃げる時に色々と不便だろう? 僕の服を貸してあげるから、姉さんは男物の服に着替えなよ」

 弟にそう言われ、姉は自分の着ている服を見回す。

 目の見えない姉に服の色はわからないが、手触りから大体の布地はわかる。

 温かい毛糸のセーターに、綿の厚手のスカートを着ている。

「それも、そうね」

 姉は弟の言うことに素直に従った。

 確かに逃げる時にスカートでは何かと不便だろう。

「じゃあ、これとこれと、これとこれに着替えて。それは下に着て、これは上着だから。それを着た後、上着とコートの間には防弾チョッキを着て、腰にはナイフと銃を隠して置けるよう、ベルトをすると完璧だけど。コートは後で渡すけど、それにも内側に隠しポケットがあって、毒針が仕込めるようにしてあるんだけど、その時には革の手袋をはめていないと、間違って毒針が指に刺さった時に困るから」

 姉は弟に山のような着替えを渡される。

 手渡された服、一つ一つの説明を受ける。

 姉は引きつった表情で、弟の説明を大人しく聞いていた。

 説明を聞き終えた姉は、小さくうなずく。

「う、うん、ありがとう、――」

 一度聞いただけでは、さっぱりな内容だったが、姉はとにかく弟の言われた通りに服を着替えることにした。

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