姉に事情を話し、二人で逃げる1
長男は椅子に座り、部下達の報告を聞いていた。
姉弟に追手を差し向け、居場所を探しているものの、二人の行方は一向につかめない。
探し方が悪いのか、部下達が無能なのか、病院から逃げたあの夜以来、二人に関する良い報告は部下の口からは聞こえない。
――たかが目の見えない女一人に、何を手間取っているのか。
長男はいらいらとして落ち着かなかった。
せわしなく指でテーブルを叩いている。
「失礼いたします。コーヒーをお持ちしました」
部屋にコーヒーののった盆を持った入ったばかりの若いメイドが入ってくる。
メイドはそろそろと長男のいるテーブルへと近付いてくる。
顔は真っ青で今にも倒れそうなくらい緊張している。
足がおぼつかない様子で、盆を持つ手も小刻みに震えている。
長男の座っている前のテーブルに湯気の立つコーヒーを乗せようとした時だった。
メイドの手の震えで、コーヒーのカップとソーサーがかちりと傾く。
「あっ」
若いメイドが小さな悲鳴を上げる。
カップが傾き、熱いコーヒーがこぼれる。
コーヒーは長男の着ていたスーツにかかる。
長男は眉をひそめる。
「も、申し訳、ありません!」
メイドは悲痛な声で謝る。
ハンカチで拭こうとするメイドの手を長男は冷たく払いのける。
「触るな。汚らわしい」
長男は近くにいた部下に声を掛ける。
「この無能な使用人を、懲罰室へ連れて行け」
静かだがぞっとするような声だった。
若いメイドはひっ、と息を飲む。
部屋にいた部下二人がすぐに駆けつけ、メイドの両腕をつかむ。
両脇をかため、強引に連れて行く。
若いメイドは部下達に引きずられながら、泣き叫ぶ。
「どうか、お慈悲を! お許しくださいませ!」
報告をしていた部下が口をつぐみ、引きずられていく若いメイドを憐みの目で見つめている。
この屋敷では懲罰室に連れていかれて、戻って来た使用人はいない。
長男の弟である四男の元で、使用人として教育されていると言う話だったが、それが真実であるという保証もない。
どちらにしろ、懲罰室に入れられれば最後、そのまま行方不明になるのだった。
「すぐに代わりのお召し物をお持ちいたします」
別の部下がそう言って、すぐに替えのスーツを持って来る。
長男はいらいらとした口調で吐き捨てる。
「使用人風情に、無駄な時間を取らされた」
長男が着替えようと席を立った時だった。
部屋に部下の一人が駆け込んでくる。
「――様、急ぎご報告したいことがございます」
部下は扉のところで一礼する。
「何だ」
長男は椅子から立ち上がった姿勢のまま、部下に入るようにうながす。
部下は長男のそばに寄り、報告する。
「はっ、二人の居場所がわかりましてございます。彼らはここからそう遠くないアパートに潜伏中でして」
「そうか」
先ほどの不機嫌さも一度に吹き飛んだようだった。
長男は目を細め、口元に笑みを作る。
「では、すぐに辺りの道路を封鎖しろ。包囲網を作り、ネズミ一匹逃がさぬようにしろ」
「はっ!」
長男は部下に命令して、新しいスーツを受け取る。
隣の部屋に繋がる扉の前には、着替えを手伝う使用人が三人立っていた。
弟は悩んでいた。
そもそも姉にどこまで事情を話せばいいのか、皆目見当がつかなかったのだ。
「市場に食料品を買いに行くつもりだけど、姉さんも一緒にどう?」
と深い事情を特に説明をせずに連れだすことも出来る。
しかしそういった場合、
「わたしは目が見えないのだから、きっとあなたの足手まといになるわ。叔父さんもわたしたちの行方を捜しているだろうし、あまり外には出ない方がいいと思うの」
とやんわりと断られる可能性がある。
だからと言って、昨夜届いたポストカードのことを話せば、姉を不安がらせることになるのではないか。
姉を不安がらせることなく、上手くアパートの外に連れ出す方法はないだろうか。
仕事柄、口先でごまかすことも慣れているつもりだったが、姉に対してはあまり嘘を吐きたくない気持ちがある。
――姉さん、案外鋭いところがあるからな。嘘を吐くとすぐばれそうだなあ。
こう見えて、姉は勘が鋭い。
仕事から家に帰って来る時はいつも、姉は黙って弟を見ているのだった。
「何、姉さん?」
弟が尋ねると、姉は心配そうに言う。
「あなたの行動に口を挟むつもりじゃないのだけれど、危ないことにだけは巻き込まれないようにしてね」
姉はそそくさと席を立ち、自分の部屋へ行ってしまう。
その度に弟は仕事の内容がばれたのかと思い、不安になるのだった。
居間のソファに座り本を読むふりをしたまま、弟はずっと姉に事情を話すべきか頭を悩ませている。
約束の時間は刻一刻と近づいてきている。
――だからと言って、姉さんに本当のことを話しても、な。
弟は本から顔を上げ、姉の様子をうかがう。
姉は椅子に座り黙々と編み物をしている。
仮に姉に本当のことを話したとして、姉を無暗に不安がらせてしまうだけではないだろうか。
姉の心をかき乱してしまうだけではないだろうか。
もし弟のしてきたことを知れば、姉は弟を軽蔑するかもしれない。
その罪深さに、弟を非難するかもしれない。
そのことを想像し、弟はずきりと胸が痛む。
――僕は姉さんに嫌われてもいいさ。姉さんが無事であるならば。姉さんに嫌われて当然のことをしてきたのだから。
自分に言い聞かせるように、弟は心の中でつぶやく。
姉の方を見ると、時々編み棒を止め、編み目を指でなぞって確認し、また編み始めることを繰り返している。
長い黒髪が白い頬に垂れ、時々それを指でつまみ耳にかけている。
弟は溜息を吐く。
――本当に、どうすればいいんだろう。
編み物をする姉の横顔を眺めながら、弟は銀色の髪をかきまわした。




