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姉と弟  作者: 深江 碧
七章 姉に事情を話し、二人で逃げる
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姉に事情を話し、二人で逃げる1

 長男は椅子に座り、部下達の報告を聞いていた。

 姉弟に追手を差し向け、居場所を探しているものの、二人の行方は一向につかめない。

 探し方が悪いのか、部下達が無能なのか、病院から逃げたあの夜以来、二人に関する良い報告は部下の口からは聞こえない。

 ――たかが目の見えない女一人に、何を手間取っているのか。

 長男はいらいらとして落ち着かなかった。

 せわしなく指でテーブルを叩いている。

「失礼いたします。コーヒーをお持ちしました」

 部屋にコーヒーののった盆を持った入ったばかりの若いメイドが入ってくる。

 メイドはそろそろと長男のいるテーブルへと近付いてくる。

 顔は真っ青で今にも倒れそうなくらい緊張している。

 足がおぼつかない様子で、盆を持つ手も小刻みに震えている。

 長男の座っている前のテーブルに湯気の立つコーヒーを乗せようとした時だった。

 メイドの手の震えで、コーヒーのカップとソーサーがかちりと傾く。

「あっ」

 若いメイドが小さな悲鳴を上げる。

 カップが傾き、熱いコーヒーがこぼれる。

 コーヒーは長男の着ていたスーツにかかる。

 長男は眉をひそめる。

「も、申し訳、ありません!」

 メイドは悲痛な声で謝る。

 ハンカチで拭こうとするメイドの手を長男は冷たく払いのける。

「触るな。汚らわしい」

 長男は近くにいた部下に声を掛ける。

「この無能な使用人を、懲罰室へ連れて行け」

 静かだがぞっとするような声だった。

 若いメイドはひっ、と息を飲む。

 部屋にいた部下二人がすぐに駆けつけ、メイドの両腕をつかむ。

 両脇をかため、強引に連れて行く。

 若いメイドは部下達に引きずられながら、泣き叫ぶ。

「どうか、お慈悲を! お許しくださいませ!」

 報告をしていた部下が口をつぐみ、引きずられていく若いメイドを憐みの目で見つめている。

 この屋敷では懲罰室に連れていかれて、戻って来た使用人はいない。

 長男の弟である四男の元で、使用人として教育されていると言う話だったが、それが真実であるという保証もない。

 どちらにしろ、懲罰室に入れられれば最後、そのまま行方不明になるのだった。

「すぐに代わりのお召し物をお持ちいたします」

 別の部下がそう言って、すぐに替えのスーツを持って来る。

 長男はいらいらとした口調で吐き捨てる。

「使用人風情に、無駄な時間を取らされた」

 長男が着替えようと席を立った時だった。

 部屋に部下の一人が駆け込んでくる。

「――様、急ぎご報告したいことがございます」

 部下は扉のところで一礼する。

「何だ」

 長男は椅子から立ち上がった姿勢のまま、部下に入るようにうながす。

 部下は長男のそばに寄り、報告する。

「はっ、二人の居場所がわかりましてございます。彼らはここからそう遠くないアパートに潜伏中でして」

「そうか」

 先ほどの不機嫌さも一度に吹き飛んだようだった。

 長男は目を細め、口元に笑みを作る。

「では、すぐに辺りの道路を封鎖しろ。包囲網を作り、ネズミ一匹逃がさぬようにしろ」

「はっ!」

 長男は部下に命令して、新しいスーツを受け取る。

 隣の部屋に繋がる扉の前には、着替えを手伝う使用人が三人立っていた。




 弟は悩んでいた。

 そもそも姉にどこまで事情を話せばいいのか、皆目見当がつかなかったのだ。

「市場に食料品を買いに行くつもりだけど、姉さんも一緒にどう?」

 と深い事情を特に説明をせずに連れだすことも出来る。

 しかしそういった場合、

「わたしは目が見えないのだから、きっとあなたの足手まといになるわ。叔父さんもわたしたちの行方を捜しているだろうし、あまり外には出ない方がいいと思うの」

 とやんわりと断られる可能性がある。

 だからと言って、昨夜届いたポストカードのことを話せば、姉を不安がらせることになるのではないか。

 姉を不安がらせることなく、上手くアパートの外に連れ出す方法はないだろうか。

 仕事柄、口先でごまかすことも慣れているつもりだったが、姉に対してはあまり嘘を吐きたくない気持ちがある。

 ――姉さん、案外鋭いところがあるからな。嘘を吐くとすぐばれそうだなあ。

 こう見えて、姉は勘が鋭い。

 仕事から家に帰って来る時はいつも、姉は黙って弟を見ているのだった。

「何、姉さん?」

 弟が尋ねると、姉は心配そうに言う。

「あなたの行動に口を挟むつもりじゃないのだけれど、危ないことにだけは巻き込まれないようにしてね」

 姉はそそくさと席を立ち、自分の部屋へ行ってしまう。

 その度に弟は仕事の内容がばれたのかと思い、不安になるのだった。

 居間のソファに座り本を読むふりをしたまま、弟はずっと姉に事情を話すべきか頭を悩ませている。

 約束の時間は刻一刻と近づいてきている。

 ――だからと言って、姉さんに本当のことを話しても、な。

 弟は本から顔を上げ、姉の様子をうかがう。

 姉は椅子に座り黙々と編み物をしている。

 仮に姉に本当のことを話したとして、姉を無暗に不安がらせてしまうだけではないだろうか。

 姉の心をかき乱してしまうだけではないだろうか。

 もし弟のしてきたことを知れば、姉は弟を軽蔑するかもしれない。

 その罪深さに、弟を非難するかもしれない。

 そのことを想像し、弟はずきりと胸が痛む。

 ――僕は姉さんに嫌われてもいいさ。姉さんが無事であるならば。姉さんに嫌われて当然のことをしてきたのだから。

 自分に言い聞かせるように、弟は心の中でつぶやく。

 姉の方を見ると、時々編み棒を止め、編み目を指でなぞって確認し、また編み始めることを繰り返している。

 長い黒髪が白い頬に垂れ、時々それを指でつまみ耳にかけている。

 弟は溜息を吐く。

 ――本当に、どうすればいいんだろう。

 編み物をする姉の横顔を眺めながら、弟は銀色の髪をかきまわした。

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