夜会にて3
弟はふくれっ面でそっぽを向く。
「何で僕があんたに教えなきゃならないんだよ。姉さんに自分で聞けばいいだろう?」
「君は、可愛くない奴だな」
「あんたに可愛いと思われなくて結構だよ。気持ち悪い」
「何だと? 折角お前が落ち込んだと思って、こうしておれが慰めてやってるのに」
「誰も頼んでもないし、慰めて欲しいとも思ってもない。あんたが勝手に誤解してるだけじゃないか」
――本当に、可愛くない奴だな。
次男としては、珍しく青筋が立ったが、そこは大人の礼儀として怒りを収める。
こめかみを押さえつつ、弟の首を絞める。
「そうか。お前がそのつもりなら、お前の正体を彼女にばらしてもいいんだな? おれは君の正体を洗いざらいしゃべっても、まったく困りはしないんだぞ」
ぐいぐいと腕で首を絞められていた弟の表情が一変する。
次男の腕からするりと逃れる。
距離を取って次男と向き合う。
「もし姉さんにそのことを話しみろ。その首と胴が永遠に離れることになるぞ」
冷たく言い放つ。
しかし腹を立てている次男も売り言葉に買い言葉だった。
「やれるもんなら、やってみろ。こんな人の大勢いる場所でできるものならばな。ここで騒動を起こせば、最終的に自分が困ることになるんだぞ?」
鼻息荒く言い放つ。
庭に面した扉の前で対峙する二人は、お互い一歩も引かなかった。
すぐそばから、男性の怒鳴り合う声が聞こえる。
「何の声かしら?」
父に頼まれて弟を探していた姉は驚いて振り返る。
庭に面した窓際の通路を歩いていく。
歩くにつれて、ますます怒鳴り声は大きくなる。
怒鳴り声の聞こえる先には、着飾った人々が集まっている。
どうやら何者かの喧嘩を遠巻きに眺めているようだった。
姉は集まってきた人々の中央に弟の姿を見つけ、顔色を変える。
「ちょ、ちょっと、あなた、何をやっているの?」
慌てて集まっている人々の輪に入り込む。
「す、すみません。すみません、通してください」
人々の間を掻き分け、輪の中心にいる弟の元へと向かう。
大声で怒鳴る。
「や、やめなさい! ――、あなた、何をしているの?」
弟は姉の声に驚いて振り返る。
その前には次男が腹を押さえて倒れている。
姉は悲鳴を上げて、次男へと駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか? しっかりして下さい」
殴られて伸びている次男を助け起こす。
次男は苦しげに呻いて、うっすらと目を開ける。
「あぁ、おれの前に美しい天使が現れるなんて。おれはこのまま天国に連れて行かれるのですね」
姉の腕の中で、次男は弱々しい声を上げる。
再び目を閉じる。
姉は次男を抱き起したまま、弟を振り返る。
「――、あなたこの人に何をしたの?」
弟は戸惑った表情で応える。
「え? えぇ? い、いや、一発腹を殴っただけで、そいつがそのまま床に倒れて」
目の前で起こったことが信じられないかのようなに、弟は次男を見つめている。
姉は眉をひそめ、弟を見る。
弟は心外とばかりに首を横に振る。
「内臓が破裂するほど強くは殴ってない! ちゃんと手加減して殴ったよ!」
弟の必死の弁明に、姉は溜息を吐く。
――あなたは、手加減しないと、殴った相手の内臓を破裂させてしまうのね?
それは姉の胸の内だけにそっとしまっておくことにする。
次男は忘れていたようだが、弟は組織で特別な訓練をした子どもだった。
総帥一家を護衛するために送り込まれただけあって、体術や武術、拳銃の扱い方に特に秀でていた。
そのため弟にとって手加減して殴った一発でも、急所を正確に突いてくる弟の拳は、常人にはとても耐えられるものではなかった。
現に次男はその場からとても動けそうにない。
「とにかく、お医者様に早く見せないと」
確か以前に会った時にも、医者を呼んだような記憶がある。
次男と会うと、どうしていつも彼女が医者を呼ぶ羽目になるのか、当の彼女にもわからなかった。
「気が付かれましたか?」
こうして次男に付き添うのは二度目だった。
医者の診断では、特に大した怪我ではないとのことだった。
姉は、次男から少し離れた場所で、彼を見下している。
申し訳なさそうに、次男の顔を覗き込む。
姉の隣には珍しく落ち込んだ様子の弟が立っている。
次男はぼんやりと部屋の天井を見上げ、姉の顔に視線を戻す。
姉の表情は次男に対して警戒半分、心配半分と言ったところだった。
次男は倒れる前のことを思い出し、照れくさそうに頭をかく。
「あなたには、見苦しいところをお見せしました。つい弟君と喧嘩になってしまって、あんなことになってしまいました。いやあ、弟君はお強いですね。おれなんて足元にも及ばない」
次男の言葉を聞いて、姉が代わって深く頭を下げる。
「申し訳ありません!」
弟の顔がくしゃりと歪む。
姉は弟に代わって謝罪の言葉を口にする。
「この子が仕出かしたことは、あなたにとって、許してもらえることではないかもしれません。けれど、この子も悪意があってあなたを殴ったわけではないのです。ただ、かっとなってしまって、それできっと手が出てしまったのです」
姉は青い目を伏せる。
悲しみに揺れる。
「あなたにはいくら謝っても、きっと許してもらえないのでしょうね。この子の責任は、姉であるわたしの責任でもあります。どうかここは、わたしに免じて許していただけないでしょうか? お詫びなら、わたしがいたします」
次男はベッドに横たわり、じっと姉を見上げている。
手を上げて、姉の方に差し出す。
「では、キスをしてもらえませんか。今度はあなたから、おれに。あの喧嘩はおれにも原因があります。あなたのキスで、今回の件はなかったことにしましょう」
キスと聞いて、姉はぎくりとして固まる。
それを見て、次男は声を立てて笑う。
「大丈夫ですよ。口にしてもらおうとは思いませんから。頬に軽くしてもらえれば、それで十分です」
姉は眉をひそめる。
「頬で、いいのですか?」
思わず問い返す。