夜会にて2
「姉さんに付きまとうような真似をして、あなたはいったい何が目的ですか? 地位ですか、権力ですか、それとも金銭が目的ですか?」
通路の隅のバルコニーで、弟は開口一番そう尋ねた。
その目付きは敵意さえ感じられる鋭いものだった。
次男は弟に動じた様子もなく、肩をすくめる。
「目的、というほど大したものはないよ。前の夜会以来、彼女に興味が出てね。どんな人柄か知りたくなったんだよ。ただそれだけさ」
次男は静かな笑みをたたえ、つぶやく。
弟は険しい口調でぴしゃりと言い返す。
「あなたの言うことは信用できないですね。叔父さんの次男であるあなたが、財閥の次期総帥候補であるあなたが、本当にそれだけの目的で姉さんに近付いているとは、とても思えません。何か目的があってそうしているのではないのですか? だとしたら、僕はこのままあなたを放っておくことは出来ません。目的次第では、あなたが姉に近付くのを全力で阻止します」
弟の冷淡とも受け取れる物言いに、次男は声を立てて笑う。
「目的、か。まあ総帥の令嬢である彼女に近付いてくる男の大半が、何らかの目的を持って近付いてくるからね。弟君が警戒するのも無理はないよ。あながちおれも弟君から見たら、彼女と言う花に群がる虫に一匹、といったところかな?」
次男は小さく息を吐き出す。
言葉を続ける。
「じゃあ、こう言えばいいのかな? おれは彼女が背負っている、次期総帥の座に興味がある。だから彼女と懇意にして、ゆくゆくはその座に就きたいと願っている。そうするためには、彼女に気に入ってもらうのが一番手っ取り早い。彼女の婚約者に収まってしまえば、次期総裁の一番の近道になるからね。そう言えば、君は満足かい? 組織から彼女の護衛を任されている、弟君」
次男に指摘され、弟の表情が一変する。
「どこで、それを知った?」
弟は明らかに動揺したようだった。
次男の胸倉をつかみ、すごい力で襟首を締め上げる。
弟は殺意さえ感じさせる形相で次男を睨みつける。
次男は動じた様子もなく、涼しい顔で得意げに応じる。
「おれの情報網を甘く見ないで欲しいな。君がどこの誰か、財閥の親族ならば調べておくのが最低限のマナーと言うものだよ?」
襟首を締め上げられながら、次男はわずかに目を細める。
「まあ、財閥の重役たちは、組織と繋がっている者も多いみたいだから、君も今更隠すことでもないだろうけれどさ。でも、君のお姉さんは君の正体を知らないだろう? それを知ったら彼女がどう思うか。君のことを知って、彼女はきっと悲しむだろうね」
次男は小さく溜息を吐く。
次男の言葉に、弟は絶望的な表情を浮かべる。
「それを、姉さんに伝えるのか?」
弟の襟首をつかんでいる手から力が抜ける。
次男は穏やかに笑っている。
「今のところ、君の正体を彼女に話すつもりはないよ。おれも君と彼女の仲の良い姉弟仲を壊すつもりはないからさ。それよりも、彼女のことで頼みがあるんだけど」
「頼み?」
弟は襟首をつかんだまま、怪訝な顔をする。
警戒しつつも、次男の言葉に耳を傾ける。
「そう。君はおれのことを、彼女の前で好感を持たれるように話してくれればいい。あの一件以来、どうもおれは彼女に避けられているようでね。彼女がおれに好印象を持つように、彼女の方から声を掛けてくれるように、仕向けてくれないかな。代わりに、おれは君の正体については黙っておくからさ。どうだい? おれの頼み、聞いてくれないかい?」
弟は次男の襟首を離し、うつむく。
「それは、できない」
低い声でぽつりとつぶやく。
「どうしてさ? 彼女の前でおれの話をしてくれるだけでいいんだよ? 君なら簡単なことじゃないか」
肩をすくめる次男に、弟はそっぽを向く。
「姉さんに、あんたに興味を持たせるのは、簡単なことだろうけれど。それは、出来ないんだ」
拗ねたように言う。
その横顔を見て、次男はあることに気が付いた。
くすりと笑う。
「そうか。君は彼女に好意を持ってるんだね? それでおれが彼女に近付くのが嫌だと言うことか。彼女に近付く他の男を警戒するのも、そのためか」
弟の顔に赤みが差す。
物凄い形相でにらまれる。
「な、何を言ってるんだ? 馬鹿じゃないか? どうして姉さんなんかを好きにならないといけないんだ! 他にも美人はたくさんいるだろう? どうして僕が姉さんなんかを」
弟は次男に食って掛かる。
次男はにやにやと笑っている。
「そうかい? おれは君のお姉さんは素敵な女性だと思うよ。あの清純そうな白百合のような雰囲気、高貴でありつつ、はすに構えたところがないのが、おれは結構気に入っているんだけどな。美しいけれど不誠実な女はたくさんいるからね。美しさと貞淑さを兼ね備えた女性は、滅多にいないと思うけれど。何なら今からでも、おれを将来の義兄として、尊敬して崇め奉ってくれてもいいよ」
弟は眉をひそめる。
思わず聞き返す。
「義兄? 誰が?」
次男は自信たっぷりに胸を張る。
「もちろんおれに決まってるだろう? それ以外の誰がいるって言うんだい。おれは君のお義姉さんと結婚して、ゆくゆくは財閥の総帥に就く男だよ。おれは心が広いんだ。将来の義弟となる君の悩みを聞くのも、義兄の立派な仕事だと思っているからね。あぁ、今からでも、義兄さん、と言って、尊敬してくれてかまわないんだよ?」
次男の堂々とした態度を、唖然として眺めていた弟ははっと正気に戻る。
その頬が怒りのために見る見る紅潮していく。
「誰が、将来の総帥だって? 誰が、姉さんと結婚するだって? 寝言は寝てから言えよ! 姉さんがお前なんて選ぶ訳ないだろう?」
次男は怒鳴る弟をまったく意に介さない。
「それこそ、彼女の問題で、君の口出しする資格はないんじゃないかい? 彼女の夫は彼女自身が選ぶのであって、君が選ぶんじゃない。それに彼女の立場なら、政略結婚の可能性もある。親族の中から優秀な男を選び、結婚させる可能性もある。いくら君が家族として総帥一家に引き取られたと言っても、君は元々は赤の他人だ。財閥の親族会議にも出られない君に、大きな決定権はないと思うのだけど」
「それは」
弟は言葉もなく黙り込む。
次男の正論は、刃となって弟の心に深く突き刺さる。
――少し、言い過ぎたか。
腹を立てていたわけではないが、つい弟に辛い言葉を投げかけてしまった。
それは弟にとっては触れて欲しくない弱い部分だったのだ。
――でも、彼女の番犬を名乗るなら、これくらいで落ち込んでいては駄目なのだけれどな。おれなんか、まだ優しい方さ。彼女と一緒に表舞台に立つとなると、これくらいの中傷は普通のことだと割り切らないと。
次男は軽く息をつくと、落ち込む弟の銀髪をくしゃくしゃと撫でる。
「君は失礼な奴だな。どうしておれみたいにこんないい男が、彼女に選ばれないと決めつけるんだい? それともまさか、君は自分が彼女に選ばれるとでも思っているのかい?」
途端に弟の顔が真っ赤になる。
今度は照れくささにうつむく。
「べ、別に、僕が姉さんに選ばれるとかは、思ってはないけど」
次男は弟の首に腕を回す。
「だったら、誰が選ばれると言うのかな? 彼女の想い人を、おれに教えてくれないか」