夜会にて1
彼は、美しく着飾った黒髪の美女と談笑していた。
豪華なシャンデリアが彼のいる広間を真昼のように照らし出している。
彼を取り囲むようにして、多くの女性が彼を見つめている。
その女性たちの輪の中央にいる彼は、黒髪の美女に甘い言葉をささやき、彼女はうっとりとその言葉に聞き入っている。
彼を取り囲む女性たちは、そんな黒髪の美女に嫉妬の視線を向け、次は自分に話しかけてもらえるよう熱い視線を送っている。
当の彼は、整った顔立ちと優雅な立ち振る舞いで、多くの女性の注目を浴び、その人当たりの良さから、男性との知り合いも多かった。
彼は、この国の経済を取り仕切るとも言われる、巨大財閥の現総帥の弟の二番目の息子だった。
現総帥に跡継ぎの息子はなく、一人娘の夫となる者が跡を継ぐとも言われているが、次期総帥候補として、彼、次男は、叔父の長男の次に有力視されていた。
黒髪の美女はちらちらと次男に意味ありげな視線を送って来る。
人気のないところで二人きりになりたいのだと、次男にはわかったが、彼女とはそんな関係になるつもりはないので、彼はあえて気づかないふりをした。
差し障りのない話題を選ぶ。
彼女はもどかしそうにしている。
次男はそういった女性の態度にも慣れたもので、ゆったりとくつろいでいる。
そんな時、ふと人々の中にある女性の姿を見つける。
その女性から目が離せなくなる。
「申し訳ございませんが、所用を思い出したので、これで失礼いたします」
黒髪の女性との話を打ち切り、丁寧に礼をする。
周囲を取り巻いていた女性たちが名残惜しそうに彼の顔を見る。
「どこへ行かれますの?」
「でしたら、わたくしめもご一緒いたしますわ」
追いすがってくる女性たちを、やんわりと制し、次男は広間を歩いていく。
人々に紛れそうになるある女性を視線の先にとらえ、彼女の元へと近付く。
その背中に声を掛ける。
「お久しぶりです、――嬢」
姉は次男を見て、驚いたようだった。
青い目を見開く。戸惑いの表情を浮かべる。
次男はそこに自分に対するわずかな警戒感を感じ取る。
「――様、お久しぶりです」
すぐに笑顔を取り繕い、姉は優雅に次男に礼をする。
次男はにこやかに応じる。
「いやあ、今夜もお美しい。特にそのドレス、――嬢によくお似合いですよ」
姉は扇を手に、はにかむように笑う。
「ありがとうございます、――様こそ、いつも素敵なスーツを着ていらっしゃいますね。そちらはご自分でデザインされたものでしょうか?」
姉の今夜のドレスは鮮やかな赤色だった。
彼女のドレスはいつでも、体の曲線に合ったスマートなものが主だ。
夜会でよく見かける大勢のように豊満な体型では、恐らくこのドレスは似合わないだろう。
一方の次男は黒一色のスーツだった。
新しい素材を試してみたくて、色々とデザインに工夫を凝らし、自分でデザインしたものだった。
「よくわかりましたね。さすがは、――嬢。お目が高い」
次男は服飾関係の会社を任されていることもあって、しげしげと姉のドレスを観察する。
そのドレスが名のあるデザイナーの手によるものだと判断する。
「よろしければ、そのドレスをもう少しそばで見せていただけないでしょうか? このドレスをデザインしたデザイナーの名前も知りたいのですが」
次男は姉の手を取り、姉の着ている赤色のドレスを眺めている。
半分は姉を口説く口実に、もう半分は純粋にデザイナーが知りたいためだった。
「このドレスに興味がおありですか? でしたら、このドレスをデザインしたのは母お気に入りのデザイナーですので、母に聞いてみればデザイナーの素性が詳しくわかると思いますわ。次回、お会いする時までには、お答えできると思います。本当に申し訳ありませんが、今回は」
姉は眉根を寄せて困ったような笑みを浮かべている。
次回、と言うところを強調する。
姉が次男から一刻も早く逃げたいことは明らかだった。
「いえ、調べていただくには及びません。これはおれの純粋な好奇心からで、わざわざあなたの手を煩わせるほどのことではありません」
それが誰のデザインによるものなのか、次男が調べればすぐにわかることだろう。
それに次男が本当に興味があるのはドレスではない。
財閥の現総帥の一人娘、姉に強い興味を抱いていた。
黒くつややかな髪を品の良い髪飾りでまとめ、青い目は長い睫に縁どられ、困ったように伏せられている。
次男に手をつかまれ、内心では一刻も早く逃げ出したくて仕方がない姉だった。
姉は扇を広げ、落ち着きなく視線を彷徨わせている。
以前夜会であった一件以来、姉は次男を警戒している。
出来ることなら夜会でも極力顔を合わせたくないのだろう。
あれ以来、次男を避けている素振りが、ありありとわかった。
「あの、そろそろ手を離していただけないでしょうか? わたくし、人を待たせているので」
姉は手を握られつつも、逃げる口実を探しているようだった。
まるでそれを見かねたように弟が二人に歩み寄ってくる。
「姉さん」
次男に捕まっている姉の姿を見つけて、心配してここまでやって来たのだろう。
少し前には、弟は広間の隅で女性と談笑していた。
姉と次男が話をしているのを見つけた途端、こちらに舞い戻って来たのだろう。
――やれやれ。相変わらず、お姉さんに忠実な番犬だね。
内心では眉を寄せる。
「やあ、弟君。また会ったね」
次男は姉の手を離さずに、弟に笑いかける。
弟はにこりともせずに姉に歩み寄る。
次男を見ないようにしながら姉の方を向き、手短に用件を伝える。
「姉さん、父さんが話があるそうだよ」
姉は助かったとばかりに、胸をなで下ろす。
「そう、伝えてくれてありがとう。申し訳ありません、――様。父がわたしを呼んでいるそうなので、これで失礼いたします」
「それは仕方ありませんね。では、――嬢。また後程お会いいたしましょう」
次男に握られた手を振りほどき、そそくさと父親のいる部屋へ向かうために階段を上がっていく。
次男は笑みを浮かべ、姉の後姿に手を振る。
一方の弟は険しい目付きで次男を眺めている。
「少しお時間をよろしいでしょうか、――様」
弟は丁寧な対応をしつつも、有無を言わせぬ凄味のある笑みを浮かべ、広間の隅の壁際を目で示した。




