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姉と弟  作者: 深江 碧
バッドエンド2 弟一人で、約束の場所へ向かう
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バッドエンド2-2

元婚約者もその中の一人で、弟のことを毛嫌いしていた。

――てっきり、気が合わないとばかり思っていたのだけれど、理由はそれだけじゃなかったのかしら。

彼女は考え込む。

両親や彼女は、弟の出自や生い立ちをたいして気にしなかったが、富裕層の中には出自や血統を非常に重要視する者もいる。

元ピアニストである彼女の母親を蔑む人々は、母親の血統が気に入らないのだろう。

母親がそういった人々に陰口を叩かれているのを、彼女は夜会で目にしている。

――でも、いくら出自がはっきりしないからって、孤児院の出だからって、弟を無闇に疑うのは良くないことなのだけれど。弟がそんな悪い人と付き合うなんて、まさかそんなこと。

彼女は病院を逃げ出してからの、弟の一連の行動を思い出す。

確かに、弟は拳銃の扱いも手慣れたものだったし、叔父の部下である大勢の人々に囲まれた時も冷静でいた。

――でも、あれは軍学校で教わったことかもしれないし。元々弟は容量も良くて、頭の良い子だったから、ああいった場面でも冷静に対処できたのよ。

彼女は無理に自分を納得させようとしたが、一度生まれたわだかまりは胸の内に静かにとどまり続けた。

――誰にだって話したくないことの一つや二つはあるわ。弟にだって家族にだって話せないことはあるはず。わたしは弟に無理にそれを聞き出そうとは思わないし、きっと弟だって話したくないことなのよ。

彼女は軽く頭を振る。

心の中で自分に言い聞かせる。

――たとえ弟の隠していることが何であれ、弟との関係は変わらないはずよ。血は繋がらないけれど、わたしたちが家族であることは変えようのない事実だもの。何をわたしは迷っているんだろう。あの子が誰であれ、どんなことをしているのであれ、わたしたちは家族じゃないの。何を疑うことがあると言うの?

彼女は自分の心に問い掛ける。

そこで彼女はあることに気が付いた。

そもそも自分のせいで、弟に無理をさせているのではないか。

盲目で足手まといな自分がいなければ、弟もこんな大変な目に巻き込まずにすんだのではないか。

――もし、わたしがいなければ。

彼女は手に持っていた敷物を取り落す。

――もし、わたしが一緒にいなければ、あの子はこんな目に合わなかった。

毛糸で編んだ敷物が彼女の足元に音もなく落ちる。

病院での出来事を思い出す。

叔父は優秀な人材として、弟を会社に取り立てようとしていた。

最初から遺産相続権のない弟は、財閥の跡目争いから外され、叔父にも命を狙われないでいるようだった。

――わたしのせいだ。わたしのせいで、あの子を巻き込んでしまった。

彼女は自分の肩を抱く。

弟の前で泣いたり弱音を吐かないと決心した彼女だったが、弟に対する罪悪感に涙が出そうだった。

 ――どうして、もっと早く気付かなかったんだろう。もっと早く気付いていれば、あの子をこんな目に合わせなくてすんだのに。あの子の輝かしい将来を、こんな形でつぶすことにはならなかったのに。

 今更後悔しても遅かった。

 病院で逃げると決めてから、選択肢はほぼなかったとはいえ、ずいぶんと弟に無理を強いてしまった。

 いくら軍学校で鍛えたからと言って、この国の権力と財力を一手に持つ叔父の手から逃げるのは命がけのことだ。

 彼女は自分の命の責任は持てても、弟の命を危険にさらすのは耐え難かった。

 病院で弟が一緒に逃げようと提案した時、無理にでも留まっていればよかったのだ。

 あの時、一緒に逃げると言わなければ、彼をこんな目に合わせずにすんだのではないか。

 後悔とも罪悪感ともつかない感情が、彼女の胸に蘇ってくる。

 ――わたしが。わたしのせいで、弟が死んでしまうようなことになったら、わたしは死んだ父さんと母さんに、どう顔向けすればいいんだろう。弟をあんな目に合わせて。銃を握らせ人を傷つけさせて、その上怪我までさせて。わたしは何てひどい姉だろう。

 彼女は固く肩を抱きしめる。

 涙をこらえ、奥歯をかみしめる。

 ――わたしなんて、いっそいないほうが。

 胸の奥がざわりと泡立ち、暗い気持ちが彼女を支配する。

 ――そう。わたしなんていないほうがいいんだわ。いっそあの時、事故に巻き込まれて死んでしまえばよかった。そうすれば、少なくとも弟にこんな迷惑はかけなかった。あの子も、何不自由ない今まで通りの日常が送れたはずよ。

 彼女は暗い気持ちで椅子に座っている。

 暖炉の炎が燃える音と熱が確かにこちらまで伝わってくる。

 彼女は暗い顔で右手の袖口を探る。

 弟が護身用にと出かける前に託していった小銃を取り出す。

「もしも何かあった時のためにこれを持ってて、姉さん」

 その小銃は、そう言って弟が彼女に持たせてくれたものだった。

 彼女の手の平に収まるほど小さな小銃とは言え、一発撃てば人を殺すことのできるものだった。

 もちろん盲目の彼女には狙いを定めることが出来ないため、脅しにしかならないが、それでも逃げるための時間稼ぎにはなると弟は思ったのだろう。

 彼女は小銃の柄を握り、細い人差し指を引き金に置いてみる。

 両手で抱え、暖炉の方に狙いを定めてみる。

 ――わたしに、こんなものが撃てるわけがない。

 狙いを定めてから、彼女は溜息とともに構えを解く。

 元あった袖口へとしまう。

 ――誰かを撃つくらいなら、いっそその人にわたしの命を奪われた方が。

 沈んだ気持ちで、彼女は静まり返った部屋の物音に耳を澄ませていた。

 すると玄関の扉が外から叩かれる音がする。

 ごく微かだったが、彼女の耳は敏感にその音を拾う。

 ――弟が帰ってきたのかしら?

 彼女は顔を上げ、玄関の方を振り返る。

 椅子から立ち上がり、そっと玄関へと向かう。

 ――ずいぶん早いみたいだけれど、何かあったのかしら?

 玄関へと向かいながら、彼女は首を傾げる。

 はじめは微かだった玄関の扉を叩く音は、徐々に大きくなっていく。

 玄関の通路に立った彼女の背中を、言いようのない怖気が走る。

 ――もし弟なら、どうして鍵を使って扉を開けないの? あの子は鍵を持って出かけたはずよ。鍵を持っているのに、どうして扉を叩く必要があるの?

 扉の向こうにいるのが弟ではないと気付いた彼女は、扉の前で立ちすくむ。

 足が震え、彼女は動くことができない。

 ――叔父さんが、この場所を探し当てたの? わたしの命を奪いに、ここまでやってきたの?

 いつかこの場所を叔父に探し当てられることは、彼女にもわかっていたことだった。

 ――わかっていたことじゃない。いくら逃げても、この国の中では叔父さんから逃げ切ることができないくらい。だって、叔父さんはこの国の経済を支配する財閥の長だもの。いくら逃げても無駄だって、父さんが財閥に連れ戻された時からわかっていたことじゃない。

 今更ながら、自分の父親が率いていた財閥の強大さがわかる。

 彼女自身もわかっていたつもりだが、やはり震えが止まらない。

 ――わ、わたし一人の命なんてちっぽけなもの、簡単に消すことができる。叔父さんはわたしの命を簡単に奪う、権力を持っている。この国にわたしのいる場所はない。逃げてもすぐに居場所が知られてしまう。

 自分一人の力ではどうしようもない事態に、彼女は必死に頭を巡らせる。

 いくら死を覚悟していると言っても、まだ死の恐怖に震える自分がいる。

 死から逃れようとする気持ちがある。

 ――と、とにかく、どこかに隠れないと。わたし一人で、何とかしないと。せめて弟に迷惑をかけないように。あの子のためにも、わたしのことはわたしで何とかできるようにならないと。

 彼女は震えながらも、辺りを見回す。

 そろそろと足音を立てないようにきびすを返し、逃げる場所を考えた。

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