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姉と弟  作者: 深江 碧
バッドエンド2 弟一人で、約束の場所へ向かう
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バッドエンド2-1

 弟が市場に買い物に出かけてから、部屋に一人残された姉は暖炉の前の椅子で編み物をしていた。

 暖炉の薪の燃える音以外は、部屋の中からは何の音も聞こえなかった。

 試行錯誤を重ね、ようやくまともな編み目になってきた敷物を、彼女は指でそっと撫でる。

 目の見えない彼女には毛糸の色はわからなかったが、弟が白い毛糸を買ってきてくれた。

 彼女は買ってもらった毛糸を使い、いびつながらも敷物のようなものを編んだ。

 あれこれと試行錯誤していくうちに、彼女の顔ほどの大きさになってしまった。

 ――小さい敷物よりは、大きい敷物の方がいいわよね。

 彼女は自分自身を励まし、テーブルの上に置いてあったはさみに手を伸ばし、毛糸のすみを切りそろえる。

 毛糸で編んだ編み目を指で確認し、手触りを確かめる。

最初に予想していたよりもずいぶんと大きくなったものの、初めて編んだにしてはまずまずの出来だろう。

触りごこちはふわふわと心地よい。

彼女はテーブルの上に毛糸と編み棒を置き、外界の音に耳を澄ませる。

部屋の窓の外からは、風の音や雪道を走る車の音が聞こえてくる。

彼女は大きく伸びをして、椅子の背もたれにもたれかかる。

 ――静かね。一人で部屋にいると、こんなに静かだったのね。

 彼女はふっと息を吐き出した。

 病院から叔父の手を逃れ、この部屋に逃げ延びてからは、弟が常にそばについていてくれた。

 食料も衣服も、よくはわからないが、弟がどこからか手に入れているようだった。

 彼女はそれを不思議に思ったものの、弟に尋ねるようなことはしなかった。

 それを聞いてはいけないような気がした。

 思えば、弟は彼女が事故で両親を失い、病院で目を覚ました時から、ずっとそばにいてくれた。

 病院に毎日のようにお見舞いに来てくれて、彼女を励ましてくれた。

 弟とて血こそ繋がっていないものの、両親にとても大切に思ってくれているようだった。

 ――辛いのは弟だって同じはずなのに。

 彼女は敷物を膝の上に置き、これまでのことを思い出す。

 あの日、両親と弟の誕生日プレゼントを買いに出かけた車の中で、彼女は事故に合った。

 気が付いたら病院のベッドに横たわっていた。

 主治医の話によると、事故の時に頭を強く打ったせいで、視力を失い、長い間眠っていたらしい。

 目が覚めて間もなく弟がお見舞いに来て、彼女が眠っている間の事情を話してくれたのだ。

 両親が事故で亡くなってから、父親の跡は叔父が継いだらしい。

 叔父が財閥の総帥に就任し、父親の忘れ形見である彼女の命を狙っているらしい。

 弟から聞いた時は、すぐには信じられない話だった。

 しかし病院にやって来た叔父の話を盗み聞きして、弟の話が事実だったことを知った。

 彼女は弟の提案のままに、二人は夜中に病室を逃げ出した。

 逃げ出して命を長らえるか、病院に留まって命を落とすかかの二つの道しか、彼女には残されていなかった。

 命を助けてやると言う叔父の提案をはねのけ、病室の窓から逃げ出した。

 途中で彼女の元婚約者との一悶着もあったが、地下の下水道を使って叔父の手から何とか逃げ延びることができた。

 ほとぼりが冷めるまではこのアパートの一室に留まり、隣国の叔母の元へ向かうことになっていた。

いつ出発するなど、具体的な内容は聞いていない。

 病院で目を覚ましてからずっと、彼女は弟と行動を共にするしかなかった。

 弟の話すことをひたすら信じ、それに従うしかなかった。

 現に彼の言うことは正しかった。

 彼が病院から連れ出してくれなければ、彼女は叔父の手にかかって死んでいたかもしれない。

 弟は前から彼女の婚約者のことが気に入らなかったようだが、婚約者があんなひどい男だとは知らなかった。

 彼女のことを出世の道具のようにしか見ていないことも、弟の言う通りだった。

「だから言っただろう? 姉さんと父さんは、最初からあの男に騙されていたんだよ」

 このアパートに着いてから、弟に元婚約者のことを聞いたところ、彼はさも当然とばかりに言った。

そして彼女の知らない元婚約者の所業を上げ連ねた。

 最初は真面目に聞いていた彼女も、弟があまりに詳しい内容を具体的に長々と話していたので、途中で聞いているのが嫌になった。

「今日のところは、もういいわ。教えてくれてありがとう」

 彼女は額を押さえ、弟の話を遮った。

「元婚約者のひどい話は、まだこれからなのに」

 弟は不満そうな顔をして口を尖らせていた。

「詳しい話は、また後日聞かせてもらうわ」

 彼女は弟をなだめ、元婚約者の話はそれで終いになった。

 いったいどこから、父親も知らないそんな詳しい話を聞いてきたのだろう。

 彼女は疑問に思ったが、弟に尋ねることはあえてしなかった。

 弟の交友関係に、彼女があえて口出しすることはしなかったし、年頃になる男の子と付き合いにくいことは、彼女もよく知っていた。

 そのため軍学校に上がった弟の元を訪ねる機会があっても、彼女の方が遠慮してしまい、会話が弾まないのもいつものことだった。

 ――わたしもそろそろ、弟離れをしなくてはいけない時期なのかもしれない。

 音楽学校で一緒の弟を持つ女友達の愚痴を聞くたびに、彼女はしみじみとそう思ったものだ。

 当時はまさかこんな事態に巻き込まれるとは露にも思わず、今から振り返るとごく平凡な毎日を繰り返していた。

 彼女は自分の編んだ毛糸の敷物を手に、暖炉の薪のはぜる音に耳を澄ませる。

 ぱちり、と火の粉が舞い上がる音がして、彼女は顔を上げる。

 ――でも、弟はどうしてこんなアパートを用意することが出来たのかしら?

 病院から彼女を連れ出す手はずだって、普通の人がこんな短時間で簡単に出来ることではない。

 ――もしかして、最初からわたしを逃がすつもりで、ずっと準備していたの?

 元婚約者に撃った拳銃は、どこから手に入れたのだろう。

 この国では、一般的に拳銃が売られている訳ではない。

 手に入れるとしたら、人には言えないルートからだろう。

 ――まさか、弟はそんな物騒な人たちと繋がりがあるというの?

 弟の助けがなければ、おそらく彼女は命がなかっただろう。

今更弟の行動に彼女が口出しできることではない。

 追われる身となった盲目の彼女が逃げ切るには、弟を頼ることしか残っていなかった。

 病院を逃げ出す時点で、彼女にはもう選択の余地はなく、自分の身を守るためには弟と行動を共にする道しか残されていなかったのだ。

 ――そう言えば、あの人は弟のことを、汚い野良犬、と言っていたけれど。あの時は、まともに話を聞いている暇もなかったけれど。

 病院を抜け出したあの夜、元婚約者が言っていた言葉を思い出す。

 ――汚い野良犬で身を守る、とあの人は言っていたかしら。あれはどういう意味なの?

彼女は元婚約者の言葉を反芻する。

元婚約者は弟のことを嫌って、そう揶揄したのだろう。

出自がわからず財閥総帥一家と血の繋がらない弟を、財閥内で嫌っている人々は多かった。

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