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姉と弟  作者: 深江 碧
一章 姉視点
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姉視点4

 弟は大きなため息をつく。

 彼女は消え入りそうな声でつぶやく。

「そうなの」

 もはやそれさえ彼女にとってはどうでもよかった。

 彼女の両親が残した莫大な遺産のことも、自分の命のことも、もはやどうでもよくなってしまった。

 妙な寂寥感が彼女の心を支配する。

 不思議な穏やかさが彼女の心に舞い戻った。

 彼女にとっていま一番重要なことは、弟の行く末だった。

 何とか弟が生き残れる道を模索する。

 この先のことに思いを巡らせる。

「ねえ、もしもわたしがこのまま死んでも、叔父さんに殺されても、あなたは叔父さんに逆らっちゃ駄目よ。父さんや母さんやわたしの仇を討とうと思っては駄目だからね?」

 たとえ自分が死んでも、この心優しくしっかり者の弟だけは生き残ってもらいたい。

 死んでしまった父さんや母さんのためにも、そしてこれから死に行く自分のためにも、弟にはしっかりと生きてもらいたかった。

「きっと叔父さんも、遺産相続権のないあなたの命までは狙わないと思うから。叔父さんに逆らわなければ、きっとあなただけは生き残れると思うから。だから」

 彼女は淡々と話す。

 その時弟がどんな顔をしているのか、目の見えない彼女にはわからなかった。

 空虚な気持ちで、彼女はぽんと両手を合わせる。

「そうだわ。わたしが人生に絶望して、両親の後を追って自殺すると叔父さんに申し出たらどうかしら? そうすれば自分で死に方も選べるし、あなたのことも叔父さんに頼める」

 彼女は弟のいる方を振り返る。

「ねえ、そうしましょうよ」

 力のない笑みを浮かべる。

 生きる意志をなくした彼女は、弟の気持ちにまでは配慮しなかった。

 弟がどんな気持ちでいるのか、想像もしなかった。

 弟が怒りの形相で彼女をにらみつけているのに気付かなかった。

「姉さんは、馬鹿じゃないのか?」

 弟の手が彼女の両肩をつかみ、乱暴に揺さぶる。

「両親を殺した叔父さんの言いなりになって、姉さんが自ら命を絶って、それでことが丸く済むと本気で思っているのか? それだったら姉さんは、とんでもない馬鹿だ。大馬鹿者だ!」

 弟は彼女の体を揺さぶり、声を荒げて怒鳴る。

 目の前にいる弟を、彼女は見えない目でしっかりと見据える。

「で、でも、それがあなたにとって唯一生き残る道なら。あなたはわたしよりも叔父さんを選ぶべきだわ」

「違う。僕はそれを望んでいないし、あんな奴の下で働くと思うと反吐が出る」

 弟は彼女の肩を強くつかむ。

 その力に彼女は驚く。

 彼女の病床で弱った体には、肩の骨が折れるかと思われた。

「い、痛いわ。離して」

 彼女の訴えに、弟は肩に置いた手の力を緩める。

「ごめん、つい」

 弟は申し訳なさそうに言って、彼女の肩から手を外す。

 ベッドが揺れて、その隅に腰かける気配がする。

「ごめん、姉さんに当たっても仕方ないことだとはわかってるんだ。でも、どうしてもこれだけは姉さんに伝えておきたくて」

 弟の躊躇う気配に、彼女は小さくうなずく。

「話して」

 彼女は先をうながす。

 弟は小声でささやく。

「あいつは善人の皮をかぶった、とんでもない極悪人だよ。この国の権力者と結びついて私服を肥やすだけじゃ飽き足らず、麻薬、人身売買、臓器売買、武器の密輸、国内の犯罪組織と通じて、国家さえも揺り動かそうとしている。そのためには、人の良い父さんが邪魔だった。一族の長としての地位と莫大な財産が欲しくなったんだ。だから父さんを殺した」

 弟はそこで口ごもる。言葉に詰まる。

 弟はおもむろに手を伸ばし、彼女の手に自分の手を重ねる。

 その手はかすかに震えている。

「あいつは貧しい孤児を集めて教育すると言う名目で、犯罪組織や外国の金持ちに売っている。僕も、そうやって売り買いされた孤児の一人だ。僕は運よく姉さんの両親に引き取られ、本当の子どもと同じように接してもらったけれど。僕と同じように金持ちに引き取られた子どもの中には、暴力を振るわれ死んだ子どももいた」

 彼女は黙って弟の話しを聞いていた。

 かける言葉も見つからず、弟の手を握り返す。

「僕もあいつが両親に手を出さなければ、このことはずっと黙っているつもりだった。このことは一生、誰にもしゃべらないつもりだった。けれど違った。あいつは父さんと母さんを殺した。そして今姉さんさえもその手にかけようとしている。だから僕はあいつを絶対に許さない。死んでもあいつの下でなんか働きたくない」

 彼女は顔を曇らせる。

 ――弟はこんなに苦しんでいたのに、わたしはそれに気づかなかった。こんなに悩んでいたのに、今まで悩みを聞いてあげることもしなかった。

 弟の手の平は固く大きい。

 それに比べて、彼女の手の平は柔らかく小さい。

 それが今までの苦労の経験を物語っているようで、彼女は悲しかった。

 ――わたしが最後に弟にしてあげることと言ったら。

 自分に迫っている死を感じ、その先にある弟の未来について考えをめぐらす。

 ――わたしが弟に残してあげられるものと言ったら。

 いくら考えても、しっくりくる考えは浮かばなかった。

 彼女は小さく息を吐き出す。

「ごめんね、――。わたし、家族であるあなたに何にも残してあげられなくて」

 彼女は弟の手を握りしめ、うなだれる。

 悲しげにつぶやく。

「そんなことは」

 弟は言いかけてやめる。

 病室に重い沈黙が垂れ込める。

 二人はじっと黙っている。

 つないだ手からお互いの体温が感じられる。

 目が見えない彼女にとって、それが唯一の光に感じられた。

 彼女は背筋を伸ばす。

 真っ直ぐに弟を見る。

「こんな暗いこと、いくらうじうじと考えていても仕方ないよね。だからわたし、最後くらい自分の手で自分の命を終わらせるわ。もし毒とか盛られても、舌を噛んで死んでやるし、これ以上叔父さんの思い通りにはさせないんだから」

 彼女は精一杯胸を張る。

「姉さん」

 弟が笑う気配がする。

 実際は弟がどんな顔をしているのか見えなかったが、彼女は弟に笑って欲しいと考えていた。

「それにもしかしたら、今度叔父さんがお見舞いに来たときに、わたしが必死になれば一太刀でも浴びせることが出来るかもしれないわよ。それだけでも天国にいる父さんと母さんに自慢できる。そうすればわたしは胸を張って死ぬことができる。あなたもこんな姉なら、文句はないでしょう?」

 それは死の恐怖を紛らわせるために言ったことだった。

 実際、何人もの護衛に守られた叔父に、そんなことができるはずがないことはわかっていた。

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