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姉と弟  作者: 深江 碧
六章 それぞれの事情
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それぞれの事情15

 義姉は口をつぐみ、うつむいている。

「そんなんじゃ、ないわ」

 恥ずかしそうに義姉は弟の視線から顔を背ける。

 弟は義姉の顔を覗き込む。

「じゃあ、学校のこと? 友人関係のこと? それとも、婚約者と喧嘩でもしたとか?」

 その質問のどれもに、義姉は首を横に振る。

 義姉は顔を赤らめ、唇を引き結ぶ。

「あなたの、ことよ」

 蚊の鳴くような声でささやく。

「え?」

 弟は聞き返す。

 義姉は青い目で弟を見据える。

 その瞳は涙で潤んでいる。

「こんなこと、あなたに言うと、きっと困らせてしまうと思って、ずっと黙っていたの。でも、ずっと苦しく仕方がなかった。いても立ってもいられなくなって、何度もあなたに気持ちを打ち明けようとしけれど、たとえ血は繋がっていなくても、やっぱりわたしは姉で、あなたは弟なのよね。わたしは姉として、あなたを困らせるようなことはしたくない。出来ることなら、優しい姉のままずっといられたら良かったのに」

 義姉の目から涙がこぼれる。

 その赤い唇から嗚咽が漏れる。

「ご、ごめんなさい。突然、こんなことを言われても迷惑よね。姉が弟のことを好きだなんて、どこかの物語みたい。笑い話にしか聞こえないわね。でも、あなたが軍学校に通うようになって、家を離れてしまって、わたしはずっと寂しかった。あなたに会いたい気持ちと、そんなことをするべきじゃないという気持ちの板挟みで、ずっと苦しかった。わたし、馬鹿みたいね。こんなことを話しても、あなたを困らせることだってことは、十分にわかっているのに」

 義姉は潤んだ目で弟を見つめ、笑おうとした。

 弟は言葉もなく、血の繋がらない義姉を見つめている。

 動くこともできず、まるで目の前のことが現実の出来事ではないかのように、義姉の言葉を聞いている。

「今朝ね、母さんに相談したら、せめてあなたに会って、気持ちを確認したらどうかと勧められて。そんな苦しい思いをするなら、あなたの気持ちを素直に打ち明けるべきだと言われて、それで、ここにやって来たの」

 義姉は顔にかかった長い黒髪を耳にかける。

 普段は白い耳の先も、白い頬も赤く染まっている。

 義姉は顔を上げ、青い瞳で真っ直ぐに弟を見つめる。

 その表情は不安げに揺れていたが、青い瞳に強い意志が宿っていた。

「わたしは、あなたのことが好き」

 義姉はその言葉を言い終えると、ふっと息を吐き出した。

 まるでその言葉とともに、義姉の体から力が抜けてしまったかのようだった。

 わずかに目を伏せて、寂しそうに笑う。

「わたしは、あなたの正直な気持ちが知りたい。もしあなたがわたしのことを好きでも、嫌いでも、わたしは動じたりしない。ちゃんと受け止めるから。もしあなたがわたしのことを嫌いでも、今まで通り姉として、家族として、ちゃんとあなたと接することが出来るように努力するから。だから」

 義姉は精一杯に勇気を出して、震えながら話している。

 弟は義姉の言った言葉を一字一句聞き逃さないように耳を傾けていた。

 その言葉は、弟が長年義姉に伝えたくても伝えられなかった言葉そのものだった。

 義姉は震えながら、勇気を振り絞って、弟に気持ちを伝えた。

 ならば、弟も自分の気持ちを包み隠さず義姉に伝えるべきだ。

 弟はソファから立ち上がる。

 テーブルを回り込み、義姉の隣に座る。

 義姉は不安そうに上目遣いに弟を見上げ、その言葉を待っている。

 弟は義姉を安心させるように、膝に置いた手にその手を重ねる。

「僕も、姉さんのことが好きだよ」

 照れくさそうに笑う。

 義姉は驚いた顔をして、弟を見つめる。

「本当、に?」

「うん」

 弟は大きくうなずく。

 義姉の潤んだ青い瞳に大粒の涙が溢れる。

「よかった」

 義姉の赤くなった頬を幾筋もの涙が伝う。

 安堵からの涙だろう。

 義姉は涙を指でぬぐいながら、弟を見て微笑む。

「わたし、あなたに嫌われてるんじゃないかと、ずっと不安だった。あなたに嫌われてたらどうしようと、不安で仕方がなかったの」

 弟は心外とばかりに不機嫌そうに義姉の顔を覗き込む。

 唇を尖らせる。

「姉さんにそう思われてたなんて、ひどいなあ。僕は姉さんのことがずっとずっと好きだったのに」

 義姉は顔を赤くして、視線を背ける。

「そ、そうだったの? ごめんなさい。全然気づかなかったわ」

「ひどいなあ」

 弟は顔を背ける義姉の体を抱きしめる。

「僕はこんなに姉さんのことが大好きなのに」

 母親に甘える子どものように、義姉に顔を寄せる。

 その体を抱き寄せる。

 義姉はしばらくの間戸惑ったように視線を泳がせていたが、そっと手を伸ばし、弟の背中を手を回した。

「ごめんなさい、ずっとあなたの気持ちに気付かなくて。でも、あなたがわたしのことをずっと思っていてくれてたなんて、とてもうれしい。ありがとう、――」

 義姉は弟の体を抱きしめる。

 その耳元に優しい声でささやく。

 自分の気持ちが義姉に届くことは、弟にとって永遠に叶わぬ夢のようなものだった。

 義姉に愛されることを、どれだけ弟が心より望んでいたか、大きな喜びだったか、きっと義姉は知らないだろう。

 この瞬間が永遠に続いてくれたらと、彼は強く願った。

 そう考えた瞬間、彼の心に疑念の気持ちが生まれる。

 ――果たしてこれは現実のことなのだろうか。

 その疑念を抱いた瞬間、周囲の風景がぼやけ、彼の頭に様々な光景が蘇る。

 人々がすすり泣く中執り行われる、養父母と義姉の葬儀。

 空っぽの三つの白い棺は、白い花で満たされている。

 両目に包帯を巻き、病院で泣き叫ぶ義姉。

 甘い言葉をささやく叔父、義姉を罵る元婚約者の男性。

 ――これは、現実のことなのか?

 その言葉が弟の頭の中に響く。

 義姉を抱きしめている感覚がなくなり、弟は恐る恐る腕の中を見下ろす。

 ――義姉は、事故に合って目が見えないのではなかったのか?

 腕の中を見下ろすと、そこに義姉の姿はあった。

 弟は安堵の息を吐き出す。

「姉さん」

 弟が義姉の肩に手を置くと、その体が傾く。

 長い黒髪を散らし、ソファの上に倒れる。

「姉さん?」

 弟は全身の毛が逆立つ。

 義姉は口から血を流し、胸を血だらけのナイフで刺し貫かれ、こと切れていた。

 弟の着ている服は流れ出た義姉の血に染まり、その手も血で汚れている。

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