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姉と弟  作者: 深江 碧
六章 それぞれの事情
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それぞれの事情13

 弟の住むぼろアパートの前の道路に、黒塗りの高級そうなリムジンが乗りつけたのは、ある春の土曜日の午後のことだった。

 その日は朝から天気も良く、風がなく、空が青く晴れ渡っていた。

 軍学校の寮を追い出される土曜日、日曜日は生徒たちは実家や世話役の家に帰るのが普通だが、弟は家に帰るのが何となくはばかられた。

 特に養父母や義姉と仲が悪いわけではない。

 冷たく扱われているわけでもない。

 普段から仕事に忙殺されている養父を除けば、家から音楽学校に通っている義姉も養母も、土日は普段通り家にいるはずだった。

 ただ最近は何となく血の繋がらない家族とは顔を合わせづらく感じる。

 幼い頃はそうでもなかったのだが、特に最近は家にいると妙な居心地の悪さを感じる。

 元々血が繋がっている家族ではなかったからだろう。

 血の繋がった家族でさえ、思春期を迎える娘や息子との折り合いがつきにくいと聞いている。

 家族の中で唯一血が繋がっていない弟であれば、当然のことだ。

 これが巷に言われている反抗期、という奴かも知れない、と弟は勝手に考えている。

 元々護衛のために養子に入れられた弟だ。

 家族の行動は主人である伯母に報告しているし、唯一大人の目の届きにくい義姉とは出来るだけ目を離さないようにはしている。

 護衛の仕事はきっちりこなしているつもりの弟だった。

 ただ義姉が年頃になり、弟が軍学校に通うようになってから、普段の護衛は別の者に頼み、弟は学業に専念するようになった。

特別な休み以外は家には帰らず、今はひたすら財閥に関する情報収集や組織から回されてくる別の仕事を請け負っている。

その日は珍しく一日仕事が入っていなかった。

昼食を食べ終えた弟は、組織から送られてきた新しく役員になった人事の書類に目を通し、財閥の人間関係を洗っているところだった。

 そんな時、窓から姉の乗るリムジンがアパートの前に止まるのが見えた。

 黒服の男がリムジンの扉を開け、車内から外行きにしては質素だが上品な白い服に身を包んだ義姉が降りるのが目に入った。

 ――ね、姉さん?

 弟は持っていた書類を取り落とし、窓枠へとへばりつく。

 義姉は扉を開けた黒服の男に丁寧に礼を言って、こちらへ歩いてくる。

 弟は慌てふためき、散らかった居間のソファに無造作に駆けておいたコートをはおり、玄関へと向かった。

 靴をひっかけ外へ飛び出し、階段を駆け下りて、リムジンの止まっている歩道へと出る。

 そこには数人の護衛の黒服の男たちに囲まれた義姉が立っていた。

「あら、――」

 義姉は弟を振り返り、悪戯を見つかった少女のようにはにかんだ。

「こっそりアパートを訪ねて、あなたを驚かせようとしたのだけど。上手くいかなかったみたいね」

 照れくさそうにくすくすと笑う。

「ね、姉さん。どうして、ここに?」

 弟はいぶかしげに眉をひそめる。

 義姉のところにいる護衛からは何の報告も受けていない。

 家からはずいぶんと離れた弟のアパートにやってくるなど、よほどの用事があったのだろうか。

 弟の深刻な顔を見て、義姉は笑みを引っ込める。

「も、もしかして、用事があったかしら。そ、その、あなたを驚かせようとして、ここへ来ただけなの。だって、最近あなたは全然家に帰って来ないから、どうしてるかと思って。ごめんなさい。あなたに用事があったのなら、出直すわ」

 叱られた子どものようにしょんぼりとして、弟の顔色を見ながら小声でささやく。

 義姉の素直な物言いに、弟は複雑な気持ちになる。

「べ、別に、姉さんが訪ねて来て、迷惑ってわけじゃないけど。で、でも、こっちにも都合ってものがあるから。せめて、前もって連絡を入れてくれれば」

 最近できるだけ年相応の弟らしく、普通の姉弟らしく、家族らしく振舞えるよう、彼なりに努力している。

 それは実の家族を持たない彼には難しいことだったが、おおむね上手くいっていると思っている。

「そうよね。あなたにも用事があるものね」

 義姉は肩を落とし、悲しそうな顔をする。

 弟は義姉の悲しそうな表情を見て、胸を締め付けられる。

 彼の中に葛藤が生まれる。

 義姉は自分を心配してこうして訪ねてきたのだ。

 義姉を慕う彼にとっては、これ以上うれしいこそはない。

 しかし素直にうれしいことを口にするのは、一般的な姉弟としてはどうだろうか。

 世間一般では年頃の姉と弟は家の中でさえ口を効かないことがあるのに。

 素直に喜びたい気持ちが喉元までせり上がってくるのをこらえ、表面を取り繕おうとする。

「だ、だから、次回からは前もって連絡を入れてよ。こ、今回は、これでいいけどさ。ちょうど、今日は予定もないし。い、一日くらい、弟として、姉さんに付き合ってあげてもいいよ?」

 弟は赤い顔で義姉の顔を正面から見ないようにしつつ、彼にしては精一杯の提案をする。

 義姉は迷うような表情で考え込んでいる。

「でも、突然訪ねてきて、あなたも迷惑でしょう? やっぱり、日を改めて都合のいい日を決めてからの方が」

 弟は義姉の言いかけた言葉を、手で制する。

「いやいやいやいや、きょ、今日でいいよ。ちょうど予定が空いてるし。天気も良いし、暖かいし、風もないから。い、今から近くの公園に散歩にでも出かけようかな、とちょうど思ってたところだから」

 弟はちぎれんばかりに首を横に振る。

 義姉は表情を曇らせる。

「迷惑でないのなら良かったけれど。でもこんな格好のわたしが今のあなたの隣を歩いたら、迷惑じゃないかしら。わたしもあなたのような服装をして来れば良かったわね」

 そう言われて、弟は自分の服装を見る。

 弟はこのぼろアパートに住む者ならば一般的な服装をしていたのだが、上品な装いの義姉の隣を歩くには安っぽい労働者のような格好だった。

「ご、五分。ね、姉さん、そこで五分だけ待っててくれないかな。すぐに着替えてくるから」

 弟は恥ずかしさに顔を真っ赤にして訴える。

 部屋に戻れば、外行きにあつらえた高級な服もあるため、弟はすぐにでも着替えて来るつもりだった。

 動揺する弟に、義姉は驚いた様子で答える。

「ご、ごめんなさい。そう言う意味ではないの。ただ、この地域は物騒だし、この格好で護衛の人を連れて歩くのも何だし。できればあなたの普段着ている服を貸してもらえないかしら。それに着替えて歩けば、わたしもきっと目立たないと思うのよ」

 それから弟のそばに寄り、耳元で小声で言う。

「わ、わたしも、久しぶりにあなたに会ったんだから、できれば姉弟で二人きりでゆっくり話がしたいと思うの。それには護衛の人達に帰ってもらって、あなたの服を借りて、家で着替えてから色んなところへ行くのが一番いいと思うの。だ、駄目かしら」

 義姉の希望を聞いた弟は、ちいさくうなずく。

「わかったよ、姉さん」

 義姉の頼みであれば仕方がない。

 主人である伯母に、弟は家族の頼みには無条件で従うようにと言い置かれている。

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