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姉と弟  作者: 深江 碧
六章 それぞれの事情
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それぞれの事情10

 扉の手前で次男が彼を振り返る。

「あ、そうそう。君の新しい転勤先だけど、東方支部の支部長に推薦しておいたから。父さんもそれでいいと言ってたし。新しい勤務地で怪我の療養に励むといいよ」

 次男の言葉を聞いて、彼はあんぐりと口を開ける。

 中央にいる彼が東方の会社に飛ばされると言うことは、実質的な左遷だった。

 有能とうたわれ、財閥の中央で活躍してきた彼も、これで出世の道が絶たれたということだろう。

 現財閥を実質支配している叔父の親族である次男を敵に回して、命があっただけまだましだと言う考え方もできる。

しかし今まで出世ばかりにこだわってきた彼にしてみれば諦めるに諦めきれなかった。

「ま、待って下さい。わ、私は、そもそも、婚約者などという、不相応な立場にはいたくなかったのです。あなたが一言声を掛けて下されば、いつでもこの立場をお譲りしたのです」

 彼は次男の背中に必死に呼びかける。

 開け放たれた扉の前に立つ次男は、わずかに肩を震わせる。

 彼はベッドから身を乗り出す。

「こ、今度は上手くやります。もう二人を取り逃がすような失敗はいたしません。どうか、もう一度私に機会をお与えください!」

 次男は彼を振り返る。

 面倒くさそうに頭をかき、ベッドのそばまで戻ってくる。

 彼の顔に明るさが戻る。

「機会を、いただけるのですか?」

 ベッドのそばに立つ次男を見上げる。

 次男は気だるそうな目で彼を一瞥し、拳を握りしめる。

 ベッドにいる彼を思い切り殴り飛ばす。

 思い切り頬を殴られた彼は、一瞬何が起こったかわからなかった。

 口の中に血の味がして、痛みが広がっていく。

 次男は乱暴に彼の襟首をつかみ、汚い物でも見るような目で彼を見下ろす。

 吐き捨てるようにつぶやく。

「お前は財閥の元総帥の下で取り立てられていたんだろう。それをお前は裏切った。いくら出世をしても、手柄を立てても、裏切った事実は変わらない。恩のある元総帥を裏切ったお前のことだ。形勢が変われば、お前はおれを裏切るだろう。そんな奴を今更信用してそばに置けと? それこそくだらない」

 女性のような整った次男の顔に、怒りの形相が広がっていく。

 次男は彼の襟首を離し、押し殺した声でつぶやく。

「命が惜しければ、さっさと消え失せるがいい。二度とおれの前に姿を現すな」

 次男は彼を顧みることなく、さっさと病室の扉へ向かう。

 足音も荒く、病室を出ていく。

 護衛の男二人がその後に続き、病室は再び静かになった。

 後には椅子の上に残された白いバラの花束と、頬を押さえて呆然とする彼が残された。

 その後、中央で姉の元婚約者の彼の姿を見た者はいない。

 辺境の東方支部に来た若者が破産寸前の会社を立て直した、という風の噂が聞こえて来るだけだった。




 次男が彼女と出会ったのは、ある夜会でのことだった。

 たびたび開かれる財閥関係者を集めた夜会で、二人は出会った。

 次男は持ち前の華やかさと明るさで女性を虜にし、夜会ではいつも注目の的だった。

 女性に勧められるままに酒を飲んだ次男は、酔いを醒ますために一人で階段を降りていた。

そこへ階段のそばの廊下を彼女が通りかかり、人に押された彼女が階段を踏み外したのだ。

「きゃあ!」

 彼女は体制を崩し、階段を背中から落っこちた。

 振り向いた次男はとっさに手を伸ばし、彼女の体を抱き留めた。

 しかしその重さを支えきれず、一緒に下の階まで落ちて行った。

「だ、大丈夫ですか?」

 彼女はすぐに起き上がり、次男を気遣うようにその顔を覗き込む。

 次男の体がクッションとなり、彼女には怪我はなかったが、次男は足をくじいてしまった。

「ご、ごめんなさい。わたしのせいですね」

 次男の足の状態を見て、落ち込む彼女に、次男は笑いかける。

「あなたのような美しい女性を助けることが出来たのですから、これは名誉の負傷ですよ」

 いつも女性に言っているように、口説き文句を言う。

「本当に、ごめんなさい」

 彼女は青い目を伏せ、肩を落とした。

 次男としても、そう言って笑ったものの、一人で立ち上がることはできなかった。

 仕方なく彼女に肩を貸してもらい、休憩できる部屋まで歩くことになった。

 その途中で彼女の弟らしい少年と出会った。

「姉さん。ずっと姿が見えないから心配していたんだよ」

 少年は次男に気付き、いぶかしそうに見つめる。

 彼女は事情を説明する。

 自分が階段から落ちてしまい、助けてもらったこと。

 そのために足首をひねってしまったため、医者を呼ぶ途中だと言うこと。

「だったら、会場の係りの者を呼べばいいのに。姉さんが面倒を見る必要はないよ」

 彼女は首を横に振る。

「そうはいかないわ。わたしが怪我をさせてしまったんだもの。お医者様に見てもらうまで、責任を持って付き添わないと」

 弟はまだ不満そうだった。

「姉さんが付き添う必要はないと思うけど」

 彼女は弟に手を合わせる。

「そんなこと言ってないで、お医者様を呼んできてちょうだい。わたしたちはすぐそこの部屋にいるから」

 彼女の頼みに弱いのか、弟は渋々といった様子できびすを返す。

「わかったよ」

 弟は次男を横目でちらりと見る。

 その鋭い眼光に、次男は背筋がぞっとする。

 しかしそれは一瞬のことで、弟はすぐに廊下を駆けて行った。

 弟の姿が廊下の角に消えても、次男はまだ体が震えていた。

 彼女が心配そうに次男を見る。

「大丈夫ですか? 足が痛むのですか? 部屋はすぐそこです。もう少し頑張って下さい」

 彼女は彼を気遣いながら歩いていく。

「あぁ」

 次男は彼女の細い肩に手を回し、ゆっくりと歩いていく。

 部屋にたどり着き、ベッドに横になる。

 間を置かず、医者らしき初老の男性と弟がそろって部屋に入ってくる。

 医者は次男の足を調べる。

「ただの捻挫ですね。しばらく安静が必要でしょう」

「よかった」

 彼女は胸をなで下ろす。

医者は足に薬を塗り、湿布と包帯を巻く。

テーブルの上に薬と松葉杖を置いていく。

「痛み止めはここに置いていきます。では私はこれで失礼します」

 医者は時は金なりとばかりに、さっさと部屋を出ていく。

「ありがとうございました」

 彼女は医者に頭を下げて見送る。

 後には彼女と弟とベッドで安静にしている次男が残される。

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