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姉と弟  作者: 深江 碧
六章 それぞれの事情
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それぞれの事情7

「殺す、必要は、なかったのではないのか?」

 叔父は二人の遺体を前に、立ち尽くしていた。

 傍らには自分の息子である長男が、たった今発砲したばかりの拳銃を手に立っている。

 胸を撃たれ絶命している二人を冷たく見下ろしている。

「殺す必要はなかった? 父上は、まだそんな馬鹿なことを言っているのですか?」

 長男の足元には空薬莢が二つ転がり、二人の体から流れ出た血が血だまりを作っている。

「わ、私は、確かに財閥の総帥になりたかった。しかし、だからと言って、兄夫婦を殺すのは、いくらなんでもやり過ぎではないのか? 兄を総帥の座から降ろす方法は、他にもいくらでも」

 叔父は実の息子である長男の表情を見て凍りついた。

それ以上の言葉が出て来ない。

「総帥から降ろす方法はいくらでもある、と? 失礼ですが、それを出来ずに何十年と表舞台に立てなかったのは、どこの誰ですか? 総帥の弟でありながら、汚い仕事ばかり押し付けられて、父上は本当にそれで満足だったのですか?」

 かつて巨大な財閥を率いた総帥と、折り重なるように倒れているその妻の遺体を前に、血だまりの中で長男は笑っていた。

「俺は嫌ですね。ずっと総帥の影に隠れている生活は。実の兄に頭も上がらず、ずっとこびへつらっている人生は。俺は、ごめんですね」

 長男は拳銃を手に、肩をすくめる。

「もし俺がそんな立場に立たされた、実の兄であろうと殺します。たとえ血を分けた強大であろうと、俺が総帥の座に就くには、邪魔な存在なのでしょう? でしたら邪魔者は排除しないと」

 細められた目が叔父を射抜く。

 手に持った拳銃の銃口がこちらに向けられているようで、叔父はぞっとした。

 足元で冷たくなる遺体が、もう一つ増えるのではないか。

 そしてそれは自分なのではないか。

言いようのない恐怖が叔父の脳裏を駆け巡る。

そのまま動けなくなる。

長男は薄く笑う。

「そうでしょう、父上」

 長男は叔父から銃口を外し、拳銃を懐へと戻す。

 叔父は長男から視線を逸らす。

「あ、あぁ、そうだな」

 叔父は震える声で答える。

 足元には冷たくなった兄夫婦の遺体がそのままになっている。

 叔父は最初から兄夫婦を殺すつもりではなかった。

 確かに事故を起こすように手引きしたのは叔父だったが、兄夫婦に直接手を下したのは長男だった。

 たった二発の銃弾で、兄夫婦の命は絶たれた。

 事故が起こった時、兄夫婦は生きていた。

 一番怪我が重かった兄夫婦の娘である姉は、頭を強く打っており、先に来た救急車で病院に搬送された。

兄夫婦はあちこち怪我をしていたが、命に関わるほどの怪我ではなく、動けずに救急車を待っている状態だった。

そこへ叔父と長男が到着した。

事故現場へ到着するなり、長男は拳銃を取り出し、兄夫婦に向けて発砲した。

一緒にいた叔父は、その光景をただ見ていることしかできなかった。

――いまさら、後には引けない。

財閥の総帥だった兄夫婦の死は、すぐに親族の知るところとなるだろう。

そうすれば財閥総帥の後継者を巡って、親族同士で争いが起こるだろう。

今のところ、財閥総帥の最有力とされるのは叔父だが、他の親族がそれぞれの利権を主張して、後継者を立てるだろう。

叔父は親族を黙らせ、その争いに勝たねばならない。

そうでなければ、兄夫婦を過失とはいえ殺した意味がない。

――そうだ。私は後戻りはできないのだ。

叔父は隣に立つ長男を見る。

叔父の一人目の妻との間の子どもである長男は、生まれつき頭も良く、凡庸な叔父とは違い、会社の経営に優れていた。

若いながらも大手企業をいくつも傘下にし、着実に実績を上げていた。

長男だけではない。

他の三人の息子達も皆頭が良く、財閥の傘下の会社を任され、頭角を現していた。

四人の息子たちは、財閥の裏も表も知り尽くしている。

彼らの力があれば、凡庸な叔父も、財閥総帥としてやっていけるのではないか。

叔父は兄夫婦の遺体を見下ろし、決意を固める。

 辺りを取り囲む黒服の男たちを振り返る。

「おい、誰か。この遺体を、誰にも気づかれないよう、処分しておいてくれ」

 叔父はゆっくりと歩き出す。

 その隣を、長男が並んで歩く。

「実の娘と養子の息子の方はどうしますか、父上。今、搬送された病院を調べていますが。実の娘だけは殺しておいた方が、後々差し障りがないと思いますが」

 叔父はしばし考え込む。

「娘の方は私が何とかしよう。お前は親族たちが変なことをしないよう、警戒しておいてくれ」

「わかりました」

 そう言って、叔父は長男と別れた。

 二人はそれぞれの行動を起こすことになる。




 叔父は焦っていた。

 病院に部下を置いて姉弟を包囲したのに、弟の説得には失敗し、二人は病院から姿をくらました。

あまつさえ姉の元婚約者という男は、弟に肩を撃たれてそのまま病院送りになり、現在入院中である。

 長い廊下を信頼できる数人の部下に囲まれ、苛立ちのせいか、つい会議室に向かう歩みが乱暴になってしまう。

 予定では今頃あの姉弟を無事捕え、これで何の憂いもなく枕を高くして眠れると思っていたのだが、どうもそうはいかないようだった。

 叔父は今までの苦労と、年のせいで薄くなった頭をなでる。

 財閥の前総帥であった優秀な兄とは違い、彼は凡庸な人物だった。

 そのため彼はこれまでに築いた人脈や優秀な部下を使い、財閥の総裁に次ぐ地位を築いてきた。

 そして長年思い描いてきた願いが叶い、ついに総裁の地位に就くことができた。

 それも優秀な部下や四人の息子たちがいたおかげだ。

 しかし叔父は、自分が総裁の地位に就いたことを、素直に喜べない節があった。

 叔父が総裁の地位に就くまでに払った犠牲は大きかった。

 彼が総裁の地位に就くのに反対した実の両親の毒殺、兄夫婦を事故死に見せかけて殺し、自分に反対する親類縁者はある者は抹殺し、ある者は弱みを握って脅した。

 お互い財産目当てで一緒になった婚約者との結婚生活は上手くいかず、叔父は三度の結婚と離婚とを繰り返した。

「――様、ご子息達が先程からお待ちです」

 叔父が会議室の扉の前にたどり着くと、部下の男が頭を下げる。

「うん」

 叔父は苦虫をかみつぶしたような顔をして、彼の前に立って扉を開ける部下を眺めていた。

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