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姉と弟  作者: 深江 碧
一章 姉視点
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姉視点3

彼女の乗る車椅子を引き、部屋の中へと滑り込む。

すぐに扉を閉め、部屋の暗がりの中で息を殺す。

しばらくして叔父たちの足音が扉の前に差し掛かる。

彼女と弟は物音を立てないようにして、じっと外の様子をうかがう。

足音を響かせながら叔父が男たちと話す声が聞こえてくる。

「娘の容体はどうだ? 主治医はちゃんと買収しているんだろうな?」

 叔父の声に男が応じる。

「それが、なかなか強情な主治医で。いっこうに金を受け取ろうしないのです」

「まったく欲の皮の突っ張った医者だ。金の額をつり上げろ。金の額は相手の言い値で構わん。医療事故に見せかけてさっさと娘を始末するんだ」

 男がかしこまって答える。

「はっ、承知しました」

 そこで叔父の声が途切れる。

 不自然に間が空く。

「ちょっと待て。主治医は若い女医だと言ったな。ならば私が直接行って交渉しよう。なあに、お互い腹を割って話せば、相手もわかってくれるさ」

 叔父の声に嫌な気配を感じ、部屋で息を殺して聞いていた彼女はぞっとする。

 無愛想だが毎日決まった時間に診察に来てくれる主治医の女医の声を思い出す。

 女医は彼女や他の患者を区別しないようだった。

 そのため病院の人たちも、女医には一目置いているようだった。

「あの女の先生は、若いのに本当によくできた人で」

 病院の入院患者たちが廊下でそう話しているのを、彼女はたびたび聞いている。

 ――あの先生が、叔父さんからわたしを守ってくれていた?

 彼女は車椅子に座り、手で胸の辺りを押さえる。

 胸が熱く感じられ、苦しくなって身をかがめる。

 そうしている間に、叔父の声が遠ざかっていく。

 ずっと黙り込んでいた弟が口を開く。

「行ったようだな」

 暗い部屋の扉をわずかに開ける音がする。

外の様子を窺っているようだった。

「姉さん?」

 弟がこちらを振り返る。

 彼女はうなだれ、泣きそうな声でつぶやく。

「ごめんなさい」

 胸の辺りに置いた手をぎゅっと握りしめる。

 ゆっくりと首を横に振る。

「わたし、何も知らなかった。叔父さんが父さんと母さんを事故に見せかけて殺したことも。主治医の先生がわたしを守ってくれていたことも。何も知らなかった」

 胸が熱くなって、目頭に涙があふれる。

「ごめんなさい。わたしのせいで、みんなに迷惑をかけてしまって。わたしがいなければ、弟であるあなたにもこんな苦労をかけることはなかったのに」

 彼女は両手で顔を覆う。

 幾筋もの涙が頬を伝う。

 弟は彼女をなぐさめるように肩に手を置く。

「病室に戻ろう、姉さん。あいつが来たときに僕たちが病室に戻っていなければ、あいつに怪しまれる」

 弟はそう言って、彼女の乗る車椅子を押す。

 暗い部屋から廊下へと出て、彼女の病室へと向かった。




 それからしばらくして、叔父が彼女の病室にやってきた。

「やあ、――。調子はどうだい?」

 叔父は彼女の名前を呼ぶ。

 弟と話をしていた彼女は顔を上げる。

「叔父さん」

 彼女は落ち着いた風を装う。

 まるで叔父が彼女を殺そうとした事実を知らないかのように、精一杯の笑顔を向ける。

「来てくれたんですね、叔父さん」

 ベッドの隣にある椅子に腰かけていた弟が、椅子を引いて立ち上がる。

 弟の声には、叔父に対する疑念など微塵も感じられない。

「おぉ、――も来ていたのか。兄夫婦の葬儀以来だが、あの時はゆっくり話もできなくてすまなかったな」

 叔父も叔父で、病院の廊下で物騒な話をしていたことなど少しも感じさせないしゃべり方だった。

「叔父さんこそ、会社の経営で今はずいぶんと忙しいみたいですね。話によると外国の五つの企業を吸収合併するとか」

「ははは、話しが早いな。お前もずいぶんと世事に詳しくなったようだな。学校を卒業したら、私の会社に来るといい。上に口をきいて、幹部に取り立ててやってもいいぞ」

 叔父の誘いに、弟はさらりと返す。

「考えておきます」

 冷静に切り返す弟に対して、彼女は冷静ではいられなかった。

 ――叔父さんが、父さんと母さんを。そしていずれはわたしも。

 そのことばかりが頭の中を駆け巡り、彼女は平静を装えなかった。

 空恐ろしい気持ちで、背筋が凍りつく。

 青白い顔でうつむく。

 気分が悪くなり、口元を押さえる。

 胸が締め付けられ、胃液が逆流してくる。

「ごほっ」

 彼女は口を押え、咳き込む。

「姉さん」

 弟がベッドのそばにあったナースコールを押す。

 すぐに看護師が駆け付けてくる。

「――さん、大丈夫?」

 看護士が気遣うように話しかける。

 彼女は小さくうなずく。

「はい、大丈夫です。お昼に食べたものが悪かったみたいで。ご迷惑をお掛けしてすみません」

「先生をお呼びしましょうか? 念のため、検査を受けた方が」

 彼女は首を横に振る。

「いえ、それには及びません。少し気持ちが悪くなっただけです」

 彼女は看護師に心配されながら、弟のいるであろう方向へ顔を向ける。

 弟にはそれだけで彼女の意図が伝わったらしい。

「折角お見舞いに来てもらったのに、申し訳ありません、叔父さん。姉さんは今日は気分が優れないみたいで」

 言いにくそうに話す。

 その演技力には、彼女も感心するほどだった。

「うん、ではまた日を改めて見舞いにうかがうとしよう。くれぐれも体調には気を付けてな。まだ病み上がりなんだから、無理をするんじゃないぞ」

 叔父も演技力にかけては大したものだった。

 国内の幾つもの大企業を取り仕切っている経営者だけのことはあった。

 彼女の病室にいる最後まで心優しい叔父を演じきった。

 叔父が帰り、看護師がいなくなってから、弟はようやく椅子に腰かけた。

「ずっとおかしいと思ってたんだ。姉さんたちの乗っていた車にトラックが突っ込んで、その運転手は行方不明。おまけに叔父さんは、姉さんの意識が戻らないのに、父さんと母さんの葬儀を早く済ませたかったみたいだし。遺産相続に関しても親族の意見を聞かず、自分の弁護士を立てて一歩も譲らない。遺産相続の件では、父さんと母さんが生きていた頃からずっと揉めていたんだよ」

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