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姉と弟  作者: 深江 碧
六章 それぞれの事情
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それぞれの事情4

 中庭の芝生の上に立っている弟を見る。

「ずっと踊っていて疲れたでしょう? あなたもこっちにいらっしゃい。パーティーもそろそろお開きの時間よ」

「そうだぞ。ここは寒いから、中に入って暖炉のそばに来なさい」

 両親が手招きし、姉が弟を振り返る。

「今日は、わたしのダンスの相手につき合わせてごめんなさいね。今回のお礼は必ずするから」

 姉は父親について階段を上がっていく。

 彼は戸惑いながらも母親のところへと芝生の上を歩いていく。

 母親の隣を通る。

「あの子は、あなたのことを嫌いではないと思うけれど、まだ自分の気持ちが定まっていないからね。あなたのことを家族としてしか見ていないと思うわ。あの子は優しいから、もしあなたが好意を伝えても、拒絶することはないと思うけれど、恐らく、今まで通りの姉弟の関係ではいられなくなることは確かね。それでも構わないと言うのなら、あなたの気持ちを伝えて見たらどうかしら?」

 母親は彼の耳元にそっとささやきかける。

 彼は驚いて母親を振り返る。

「ふふふ」

 母親は意地悪っぽく笑う

 彼は驚愕の表情を浮かべ口を開きかけたが、諦めてまた閉じる。

「忠告、感謝します」

 かろうじてそう答える。

 母親の隣を通り抜け、階段を上がっていく。

 早足で通路を歩き、父と姉のいる部屋とは別の方向へ歩いて行った。




 闇夜に降り続く雪を眺めながら、姉は編み物に励んでいた。

 古いラジオからは懐かしい音楽と、柔らかな解説者の声が聞こえてくる。

 二人のいる部屋の中では暖炉の炎が赤々と燃えている。

 夕食も終え、部屋は暖かく、穏やかな時間が流れていた。

「懐かしいわね。よくこの曲に合わせてダンスを踊ったわね。最後に夜会に出たのはいつだったかしら。あなたの誕生日の少し前のことだったかしらね」

 姉は編み物をする手を止め、ラジオから流れてくる音楽に耳を澄ませる。

 その曲を口ずさむ。

 本を片手に窓の外を眺めていた弟は姉の声に振り返る。

 ラジオから流れてくる曲は、ゆったりした美しい音色の曲だった。

 この国では昔から夜会で演奏される一般的な曲だ。

 「あなたも覚えているでしょう? あなたに練習に付き合ってもらったあの夜会の時のこと」

 姉は懐かしそうに言う。

 弟は開いていた本をぱたんと閉じ、渋い顔をする。

 それは忘れもしないあの夜会のことだろう。

 ダンスの練習に付き合って欲しいと姉に頼まれ、姉が息を切らすまで踊り続けたあの夜のことだろう。

「さ、さあ、どうだったかな? よく覚えてないや」

 その夜会での出来事がいっぺんに思い出され、弟は姉を直視できずに視線を逸らす。

 内心の動揺に、声まで裏返っている。

 姉は小首を傾げる。

「そう? わたしはよく覚えているけれど。あなたにわたしの練習につき合わせてしまったことは、申し訳ないと思っているわ。せっかくあなたが多くの女の子達と知り合える貴重な時間をふいにしてしまったのだもの。結局、あの時のお礼は、あなたに返せずじまいだし」

 申し訳なさそうに言う。

 あの時のことを指摘されるとも思ったが、どうやら姉はあの時のことを何も気にしていないようだった。

 弟は胸をなで下ろす。

 しかし胸をなで下ろしたのも束の間、姉は何かを思い出したように話題を変える。

「ねえ、あの時の夜会で話していたあなたのお友達は元気にしているかしら。こんな事態になってしまって、あなたを心配しているんじゃないかしら」

「友達?」

 弟の頭の中で、友達という言葉が焦点を結ばない。

 夜会で言葉を交わした何人かの相手を思い出して見たが、友達と呼べる人物は思いつかなかった。

 考え込む弟の気配を感じ取り、姉はもどかしそうに説明する。

「ほら、あなたが親しげに話していた相手よ。珍しくあなたが楽しげに話しているから、わたし、驚いてしまって。あなた、夜会の時はいつも不機嫌そうにしていたから、ようやく親しい友達が出来たのだと、わたしも安堵したのよ」

 話を聞けば聞くほど、弟は心当たりがなくなる。

 姉の思い違いではないだろうかと弟が思い始めた時だった。

「ほら、あなたと同じくらいの年頃の給仕の男性よ。遠くだったから何を話しているのかはわからなかったけれど。夜会であなたが親しげに言葉を交わすなんて、珍しいと思って」

 弟は合点がいった。

 仕事の話をしているところを、姉に見られていたのだ。

 出来るだけさりげなく言葉を交わしたつもりだったが、姉には気付かれていたようだった。

「友達なんてものじゃないよ」

 弟はそっけなく答える。

「そうなの?」

 姉は不思議そうな顔をする。

 姉に自分の仕事のことを話す訳にもいかず、弟は口ごもる。

「あいつは、確かに顔見知りで、ちょくちょく話もするけれど、友達じゃない。親しくもないし、あいつのことが好きでもない。あいつのことは友達ともなんとも思ってもないよ」

 きっぱりと言い放つ。

 言ってから、弟はちらりと姉の表情をうかがう。

 姉は悲しそうな、困ったような表情を浮かべている。

 肩を落とし、小さく息を吐き出す。

「そうなの。どうやらわたしの勘違いだったみたいね。ごめんなさい。変なことを言ってしまって」

 姉はわざとらしく髪をかきあげる。

 座っていたソファからすっと立ち上がる。

「疲れたから先に休むわね。おやすみなさい、――」

 姉はさっときびすを返す。

 編み物をしていた毛糸をテーブルの上に残し、おぼつかない足取りで部屋を出て行こうとする。

「姉さん、部屋まで送って行くよ」

 弟がそう言って立ち上がった途端、姉がテーブルの足にけつまずき転ぶ。

 派手な音を立て、周囲に置いてあった家具を巻き込み、姉は絨毯の上に倒れる。

「姉さん、大丈夫?」

 弟は倒れている姉のそばに寄る。

「ご、ごめんなさい。わ、わたしは、大丈夫だけど、他の物が」

 姉は絨毯の上に置きあがり、不安そうに辺りを見回す。

「落とした物は、壊れていないかしら」

 姉に聞かれ、弟は床に転がった家具を見る。

 元々そんなに置いていない家具だが、壊れやすい物はここには置いていなかった。

「大丈夫だよ。何も壊れていないよ」

 弟はそっとささやく。

「よかった」

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