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姉と弟  作者: 深江 碧
六章 それぞれの事情
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それぞれの事情3

 弟が内心では、姉のダンスの相手を務めることにこの上なく喜んでいることも、彼が一途に思いを寄せていることも、姉は何も知らなかった。

 弟の心中を知らない姉は、ダンスの練習相手が見つかったくらいにしか思っていなかった。

上機嫌で弟の手を取り、庭の緑の芝生の上に導いた。

「まずは、基本的なステップから教えて欲しいの」

 姉はそう言って、彼の肩にそっと手をかける。

「それには、まずは体を寄せて、基本の型を作らないと」

 姉は弟の手を取り、自分の腰へと回す。

 体を寄せ、もう一方の手で弟の手を握りしめる。

 彼は姉の細い腰に手を回し、抱き合うような格好になる。

 ダンスでは基本的な形なのだが、相手が心を寄せている姉である以上、彼はこれ以上ないほど緊張していた。

 姉の腰に回した手が、つい汗ばんでしまう。

 しかも姉の顔が彼の眼下にあり、姉は背中の開いたドレスを着ていたので、その白いうなじや丸い肩、あらわになった背中がすぐそばに見えた。

 彼は緊張のあまり、頭が真っ白になった。

 まともなステップも踏めずに、姉に笑われたほどだった。

「わたしが相手をするのだもの。正式なパーティーの時のように、固くならなくたって大丈夫よ。失敗したってかまわないわ」

 姉は笑ってそう言い、練習を続けた。

「ほら、落ち着いて。順番にステップを踏みましょう」

 これではどちらが教えているのかわからなかった。

 彼は姉の言葉に従いながら、徐々に落ち着きを取り戻して行った。

「ほら、1、2、3。1、2、3」

 姉の声がすぐ耳元で聞こえる。

 ほのかに漂う花の香りは、姉のつけている香水の匂いだろうか。

 暗闇に照らされる姉の闇色のドレスが広がり、彼をこの出来事が現実のものではないという錯覚に陥らせた。

 夢の中でさえ、彼はこんなに姉の姿を間近では見たことがないだろう。

 彼のぎこちない動作も徐々に解きほぐれ、姉をリードするようになっていった。

 姉の手を引き、彼女が踊りやすいように動く。

 夜の空気は静まり返り、屋内の喧騒はここまで聞こえてこない。

まるでこの庭に二人だけしか存在しないかのようだった。

二人はけっこうな時間、踊っていた。

姉は白い息を吐き出し、頬を赤らめ、息が上がっている。

それでもやめようと言わすに、弟に練習に付き合ってもらった。

弟にとってはそれぐらいの運動量では、息が上がることはなかった。

ターンをしたところで、疲れのために姉がつまずき、弟の胸に倒れ込んだ。

「ご、ごめんなさい。少し、休んでもいいかしら」

 姉は息を切らし、赤い顔で尋ねる。

 彼はうなずく。

「もちろん」

 弟としてはもっと踊っていたかったが、姉の体力を考えてそこでやめる。

 姉の腰に回した手を離す。

「あ、ありがとう」

そう言ったものの、姉は息が切れてすぐには動けないようだった。

 依然として弟の胸にもたれかかっている。

「ご、ごめんなさい。ちょ、ちょっと待ってね」

 姉は弟にもたれかかったまま、うまく立てないようだった。

 踊り過ぎたために、足が震えてすぐには立てないようだ。

 弟の胸にすがりついて、必死に立とうとしている。

「大丈夫? 姉さん」

「え、えぇ」

 姉はうなずくものの、うまく足に力が入らないようだった。

 見ると膝が笑っている。

 姉は弟の胸にすがりつき、困ったようにしている。

「ほら、僕が肩を支えているから、膝に力を入れて」

 弟はそう言って、姉の体を支える。

 脇を支え、背中に手を回す。

 姉の白い首筋に顔を寄せる。

 首筋からふわりと良い香りが漂う。

 花の香りが彼の気持ちを惑わせる。

 彼は胸の奥が締め付けられるような気持ちとともに、姉を抱きしめたい衝動に駆られる。

 姉の腰に回した手に、ほんの少しだけ力を込めれば、抱きしめることが出来るだろう。

 その形の良い顎を引き寄せ、姉の青い瞳をのぞきこめば、唇を奪うことが出来るだろう。

 しかしそれは、彼には許されていないことだ。

 姉の意志でそう望んだならともかく、彼の方から手を出すことは許されていない。

 彼が姉に手を出したことが知られれば、どんな処罰を受けるか。

伯母の恐ろしさを知る普段の彼ならば、とてもそんな勇気はないだろう。

しかしこの夜ばかりは、彼も夢見心地でいたせいもあり、花の香りに酔っていたせいもあるだろう。

彼の心につい魔が差した。

背中に回した手に力を込め、姉の華奢な体を抱きしめる。

その顎を引き寄せ、姉の青い瞳をのぞきこむ。

「姉さん」

姉は驚いた様子で彼を見つめていたが、やがて何かに気が付いたように横を向いた。

「二人とも、こんなところにいたのか」

 突然声をかけられ、彼は硬直した。

「父さん、母さん」

 屋内に通じる扉の方を向く姉が、弾んだ声で叫ぶ。

 弟の心にやましい気持ちが押し寄せ、顔から血の気が降りていく。

冷たい汗が背中を流れる。

扉の方を見ると、父親と母親がそろって立っている。

「こんな暗いところに二人でいて、どうしたんだい? 外は冷えるから、早く中へ入りなさい」

 父親の問いに、姉は弟の体にしがみついたまま少し恥ずかしそうに答える。

「そ、その、弟にわたしのダンスの練習に付き合ってもらっていたの。そうしたら、練習のし過ぎで足が痛くなって、動けなくなってしまったの」

 姉は父親に向かって苦笑いをする。

「まあ、それは大変だったわね。でも、ダンスの練習なら、言ってくれれば別に部屋を用意したのに」

 母親が口元に手を当て、驚いた様子で話す。

「ごめんなさい、母さん。でも、父さんと母さんはお客様のお相手で、忙しそうだったから、言いにくくて」

 ようやく動けるようになった姉は、もたれかかっていた弟の体から離れ、深い青色のドレスの裾をつまみ、芝生の上を横切って両親の元へと歩いていく。

「弟には無理を言って悪かったと思ってるわ。彼もパーティーで令嬢たちのお相手があったでしょうに。でもわたし、どうしてもダンスが上手になりたかったの。上手になって、みんなを見返してやりたかったの」

 姉は必死に両親に訴える。

 一方の弟は動けないまま、両親の顔色をうかがう。

 両親は二人とも笑顔で姉と話している。

「それよりも、弟ったらダンスがとても上手なのよ? ずっとダンスの相手をしてもらっていたのだけれど、ちっともばてないの。わたしの方が先に音を上げてしまったわ」

「ほう、それは」

「あらまあ」

 両親は共に驚いた顔をする。

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