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姉と弟  作者: 深江 碧
六章 それぞれの事情
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それぞれの事情1

 弟は広間に集まったパーティーの出席者たちの動きに神経を尖らせていた。

 彼の本来の仕事は、財閥の総裁の家族の護衛。

 こうして人が多く集まるパーティーでは、彼らに危害を加えようとする者たちが紛れ込みやすい。

 そのため彼は人々の雑談に耳を傾けつつ、もう一方で広間に集まった人々の動きに目を光らせていた。

 もちろん広間で護衛に当たっているのは彼一人ではなく、他の護衛の者たちも給仕や警備員、オーケストラの一員として会場のあちこちに散らばっていた。

 両親のいる階段上から視線を自分のすぐそばに戻すと、数人の若い女性が彼を取り囲んで談笑していた。

「ねえ、そうでしょう? ――様」

 その中の一人が、彼に同意を求める。

 その女性は街に新しく出来たショッピングモールの品ぞろえが下品だというどうでもいい話題を他の女性としていた。

 彼はその女性に目を落とし、口元に社交辞令の笑みを浮かべる。

「そうですね、――嬢」

 穏やかな笑みを向け、無難な返事を返す。

 本来の仕事が護衛とは言っても、彼の今の立場は財閥の御曹司だった。

 こういった人の目のある場所では、立場に相応しい振る舞いをしなくてはならない。

 同意を求めたその女性は、一瞬彼の笑顔に見惚れ、頬を赤く染める。

慌てて扇で口元を隠し、つんと顔を逸らす。

「そうでございましょう。まったく、下々の者たちの考えることは浅はかですわ」

 その女性がその数人の中で親が一番の資産家なのだろう。

 他の女性たちが口々に同意し、賛同する。

 彼はその女性たちの話にたいした興味もなく、すぐに広間に視線を戻す。

 人々の動きに目を凝らす。

 広間の中央では、オーケストラの演奏に合わせて着飾った男女が優雅に踊っている。

 彼はその踊っている人々の中に姉の姿を見つけた。

 姉は婚約者に身をまかせて、軽やかに踊っている。

 彼の心がずきりと痛み、慌てて視線を逸らす。

「どうかされましたの? ――様」

 先ほどの女性が彼の態度が気になった様子で聞いてくる。

「いえ」

 彼は笑顔を取り繕い、短く答える。

 徐に広間の隅にいる給仕に顔を向ける。

「そういえば、喉が渇きましたね。何か飲み物を取ってきましょうか?」

 数人の女性たちがわっと喜びの声を上げる。

 口々にお礼を述べる。

 女性たちの注文を聞いた彼は、銀板に飲み物を乗せた給仕の方へと歩いていく。

 給仕の持つ銀板の上の飲み物を選ぶふりをして、小声で話しかける。

「首尾はどうだ?」

 その若い男性の給仕は同じように小声で答える。

「見ての通りさ。会場は、いたって平和だよ」

「そうか」

 彼は手早く女性たちに頼まれた飲み物を選ぶ。

 顔を動かすと、自分といくらか年上の給仕と目が合った。

「まだ何か用が?」

 彼が眉をひそめると、給仕はへらへらと笑う。

「いやな。お前はすっかり財閥の御曹司が板についたなと思ってさ。元は俺と同じ施設の出だったのさ。お前が施設を出た時と比べれば、確かに俺の待遇も少しは上がっているけどさ。財閥の御曹司の生活をするお前に比べれば、天と地との差だよ」

 彼は黙り込む。

 給仕の言ったことももっともだった。

 施設にいた頃の生活を考えると、今の生活はまるで毎日が夢のようだ。

 寒さに震えることも、飢えることもない、普段であれば命の危険もない生活は、今までの彼がいくら望んでも手に入らない生活だった。

 しかし同時に、彼は自分の立場が非常に危ういことも感じていた。

 主人である伯母に嫌われている彼は、へまをしていつ施設に送り返されないともわからない。

 今の心優しい家族と引き離されるかもしれない。

 彼は心の中に常にその不安を抱えていた。

「そうだな」

 彼はわずかに目を伏せ、短く答える。

 同じ施設の仲間から見たら、彼の立場は恵まれていると受け取ったのだろう。

 しかし今の彼は表向きの満ち足りた生活であればあるほど、それを失う恐ろしさに怯えていた。

 すべてを失ってしまう恐怖が、彼の心の片隅で大きくなっていた。

「さて、と。そろそろ戻らないとな」

 飲み物を選び終えた彼は、給仕から視線を逸らす。

 給仕は心底うらやましそうに言う。

「いいなあ。お前は美人で金持ちの令嬢に囲まれて、優雅にダンスなんか踊ったりして。一方の俺はパーティー会場の片隅で、女性に声をかけられることなく見張りの仕事しているなんて」

 ぶつぶつとぼやく。

 彼はそんな護衛仲間を無視して、飲み物を持って背を向ける。

「今度、いい子を紹介してくれよ」

 背中にかけられた護衛仲間の言葉をあえて無視する。

 彼はその給仕とは特別仲が良いわけではなく、ただの護衛仲間だとしか思っていない。

 いい子と言われても、ここには美しい薔薇がたくさんあるが、その薔薇には鋭い棘があって、給仕のような男が触れれば痛手を負うことは必至だった。

 悪いことは言わない、平凡な女性にしておけ、と心の中でぼやきつつ、それを教えてやる義理もない。

彼はさっさと先程いた場所へと歩いていく。

 先ほどの女性たちは、まだ飽きずに世間話に花を咲かせていた。

 彼の姿に気が付くと、優雅な笑みを浮かべる。

「お待たせいたしました」

 彼は社交辞令の笑顔を浮かべ、女性たちに頼まれた飲み物を手渡す。

「まあ、申し訳ありません。――様」

 そう言って、最初に飲み物に手を伸ばしたのは、親が一番の資産家である女性だった。

 遠慮がちな態度をしながらも、彼に流し目を送ることは忘れない。

 財閥の御曹司と言う肩書きを持つ今の彼に気があるのは、火を見るよりも明らかだった。

「このお礼は、いずれ、いたしますわ」

 口でそう言いつつ、大人しい女性を演じてはいるが、彼はその女性が自分よりも身分の下の者に尊大な態度で接していることを知っていた。

 周辺の資産家の調査を行うのが彼の仕事の一つでもあったが、その女性の一家に関しては調べてもいないのに問題な案件がいくつも上がっていた。

 その女性やその一家は身分の下の者に対しては、人を人とも思わない仕打ちをすることで有名で、いずれその一家が警察に捕まるのは明白だった。

 彼はその事実を知りながらも、逮捕される日までは素知らぬふりで、普通に接することを決めていた。

「いえ、そんなにお気にならないで下さい」

 表向き、この女性たちは仲良しのふりをしていたが、彼女たちが腹の底ではお互いを良く思っていないことを知っていた。

 お互いに自分の美貌や財力を誇り、隙あらば蹴落とそうと腹の探り合いをしているのだった。

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