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姉と弟  作者: 深江 碧
五章 幸せな記憶があるから人は生きられる
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幸せな記憶があるから人は生きられる9

しかし、もしかしたら上手くいくかも、と考え直する。

 彼女の頭の中で、様々な考えがぐるぐると円を描く。

 彼女の思いついた方法とは、口移しで弟に薬を飲ませる方法だった。

 人工呼吸の方法を応用すれば、弟に薬を飲ませることが出来るかも、と考えついたのだ。

 しかしそんな馬鹿な方法は、試すだけ無駄なのかもしれない。

 彼女は何錠か残った痛み止めの薬を前に、悩む。

 弟の苦しそうな様子と、自分の気持ちとを天秤にかける。

 小一時間考え込む。

 恥ずかしさに顔を赤らめながら、ぶんぶんと顔を振る。

 ――わたしのことはどうでもいいの。とりあえず、弟を助けることが最優先なの。薬を飲んでもらえれば、きっと良くなるはずだから。

 彼女は意を決して、薬と水を口に含む。

 ――し、失敗したら、失敗しただけのことなんだから。薬が無駄になるけれど、薬はまだあるんだから。

 そう心に念じ、彼女は立ち上がる。

弟の火照った頬に手を添え、かがみこむ。

 触れた頬は熱く、玉のような汗がたくさん浮かんでいる。

 彼女は弟のわずかに開いた口に、自分の口を重ね、薬を流し込んだ。




 気が付けば彼女は弟のベッドの隣で丸くなって眠っていた。

 彼女はぼんやりとしながら起き上がり、隣に寝ている弟の様子をうかがう。

 弟の寝息は穏やかで、彼女はとりあえず安堵した。

 ずっと看病していたせいか、お腹は空いていたが、疲れと眠気の方が勝っていた。

 再び固い床の上に横になると、すぐに眠気が舞い戻ってきた。

 次に目が覚めたのは、固い床の上ではなく、自分のベッドの上に寝かされていた。

 彼女が驚いて飛び起きると、隣の台所から料理をする音が聞こえてきた。

 ――あれ? わたし、いつの間にベッドまで戻ったの?

 自分でベッドまで行った記憶はない。

 弟が運んでくれたのだろうか。

 彼女がベッドから降りて、部屋の入口へと向かう。

隣の台所を覗くと、肉の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。

「姉さん、おはよう」

 弟の元気そうな声が返ってくる。

 彼女のお腹がくうと鳴る。

「お、おはよう」

 彼女は戸惑いながらあいさつする。

 本当に弟が元気になったのかと、疑わしげに眺めている。

 弟はそんな姉の視線に気付いたのか、にっこりと笑いかける。

「朝食は、姉さんの好きなベーコンエッグだよ。それにトマトスープに、付け合せにポテトサラダとレタスとトマト、ライ麦のパンにはバターを用意しているけれど。朝食の準備が出来るまで、もう少し待ってて」

 明るい声が返ってくる。

 彼女はまだ混乱している。

「ね、ねえ、もう熱は下がったの? 起きて大丈夫なの?」

 かろうじてそれだけを聞いてみる。

 いくら弟が体が頑丈だと言っても、昨日一日弟が熱で苦しんでいるのを見ている。

 そんなすぐに動けるはずはないと思ったのだ。

 それに銃で撃たれた脇腹の傷はまだ完治していない。

 十分な安静が必要だった。

「姉さんは心配性だなあ。僕はもう大丈夫だよ」

 弟は笑いながら答える。

「本当に?」

 彼女は手探りで壁を伝い、弟のところまで歩いていく。

 弟の前に立つと、相手の肩に手を置いて顔を上げる。

「本当に熱が下がったか確認するから。あなたの額をわたしの額に当てて」

 彼女は不安になって弟を見上げる。

 弟は肩をすくめ、ベーコンを焼いていたフライパンの火を止める。

「はいはい」

 姉に言われた通り、弟は大人しく姉の額に額をくっつける。

 すぐに離し、姉は難しい顔でつぶやく。

「まだ、微熱があるわね。大人しく寝てなきゃ駄目じゃない」

 姉は弟をたしなめる。

 弟は困ったような顔で笑う。

「これぐらい平気だよ」

「駄目よ。あなた、お腹の傷だってまだ治ってないのに」

「じゃあ、朝食を食べ終わったら休むよ。姉さんだって、お腹減っているんだろう?」

 弟の言葉に、姉は返す言葉もなかった。

 お腹は正直なもので、空腹を訴えている。

 しぶしぶといった様子で、彼女はそっぽを向く。

「わかったわ。じゃあ、朝食が終わったら、ちゃんとベッドで休むのよ?」

「わかってる」

 それから少し考え、弟は姉に顔を近付け、意地悪く笑う。

「どうせ寝るなら、姉さんも一緒にどう? 姉さんに添い寝してもらえると、僕としてももっとよく眠れると思うのだけれど」

 姉の白い頬が紅潮する。

「わ、わたしは」

 とっさに言葉に詰まる。

 昨夜、弟の看病のために、口移しで薬を飲ませたことを思い出す。

 姉は耳まで赤くして、恥ずかしそうにうつむいている。

「ほら、小さい頃みたいに、一つのベッドで一緒に寝ようよ。姉さんが子守唄を歌って、夜にぬいぐるみを寝かしつけていた時みたいに」

 弟が家に引き取られて間もない頃、幼い彼女は夜が怖くて一人で眠れない時があった。

 そんな時彼女は、たくさんのぬいぐるみを持って、弟の部屋へ行くのだった。

 広いベッドに弟とぬいぐるみをたくさん寝かせて、子守唄を歌い、自分もその隣に眠る。

 そうすれば幼い彼女も夜の怖さが和らぎ、安心して寝つけるのだった。

「そ、そんな昔のこと、いまさら引き合いに出されても」

 彼女は顔を両手で覆う。

 顔から火が出そうなくらい、恥ずかしかった。

 そんな昔の記憶、いっそ忘れて欲しかった。

 弟はこれ以上姉をいじめても可哀想と思い、言い添える。

「冗談だよ。家の広いベッドならいざ知らず、こんな小さなベッドで二人が一緒に眠れるわけがないだろう? 姉さんはすぐに僕の言ったことを真に受けるんだから」

 姉の方から彼にそう望むならいざ知らず、彼の方から姉に迫ることはできなかった。

 普段から姉のことをからかっている彼だが、伯母にそんなとことを見られでもしたら、姉を溺愛する伯母が黙っているはずはない。

 すぐに彼は施設に連れ戻され、再教育を受けるか、そのまま処分されるか、どちらかの道を辿るだろう。

 姉は顔を赤らめたまま、蚊の鳴くような声でささやく。

「同じベッドで添い寝は出来ないけれど、昔風邪で寝込んだ時に母さんがしてくれたように、あなたのそばについていてあげることはできる。あなたの手を握っていることはできる。そ、それじゃあ、駄目かしら?」

 姉としては精一杯の提案なのだろう。

 恥ずかしさに身を震わせている。

姉はどこまでも人が良い。

 彼としてはどこまでも本気なのだが、冗談半分に聞こえる軽口にも真剣に答えてくれる。

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