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姉と弟  作者: 深江 碧
五章 幸せな記憶があるから人は生きられる
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幸せな記憶があるから人は生きられる7

 伯母は穏やかな顔でうなずく。

「あぁ、いいよ。ほら、お前たち。この子に付いていておやり」

 背後に控える男たちに指図する。

 女の子はくすりと笑う。

「そんなに気を遣わないで、伯母さん。この子は新しくわたしの家族になるんでしょう? わたしももう子どもじゃないんだもの。わたし一人でも、この子の案内はできるわ。伯母さんと皆さんは温かい部屋で、どうぞ父さんと母さんとゆっくりお話ししてて」

 女の子は彼の手を引いて、広間の床を走っていく。

「ほら、行きましょう」

 彼は女の子に手を引かれるまま、その後に続いた。

 彼は女の子に屋敷の部屋を一通り案内された。

 財閥の総帥とその家族を守ることが仕事の彼は、その屋敷の構造と、逃走経路を即座に記憶した。

 案内がすむと、女の子は彼を子ども部屋に連れて来て、温かい炎の燃える暖炉の前の柔らかい絨毯の上に座らせた。

 部屋には飾りつけされたモミの木と、贈り物の入った箱がいくつも転がっていた。

「これは明日の朝にならないと、開けちゃいけないのよ。だから、今夜は我慢するの」

 女の子は箱をモミの木の下に集め、部屋の隅の棚からおもちゃ箱と数冊の絵本を持ってきた。

「何をして遊ぶ? おもちゃならいっぱいあるよ。それとも絵本が読みたい?」

 女の子は彼の前におもちゃ箱を置く。

 彼は女の子に何をしたいと聞かれても、すぐには答えられなかった。

 彼は遊ぶということに慣れていなかった。

彼の普段していることと言えば、仕事に関する勉強や訓練ばかりだった。

「きみは、何がしたいの?」

 彼は首を傾げ、聞き返す。

「え?」

 女の子は青い瞳を丸くする。

「ええと」

 困ったように視線を彷徨わせる。

 おもちゃ箱と持ってきた絵本とを見比べる。

「じゃ、じゃあ、絵本を読もうか。わたしが、絵本を読んであげるね」

 女の子はそう言って、絵本を持って彼の隣に座る。

 きれいな色で描かれた絵本を開く。

「おじいさんが、かぶをうえました」

 その絵本は、おじいさんとおばあさんと孫と動物たちが力を合わせて、大きなかぶを抜く話だった。

 彼にはそのお話のどこが面白いのかさっぱりわからなかった。

 ただ単に皆がかぶを抜くだけの話なのに、どこにでもある話なのに、それが絵本にまでなっている理由がわからなかった。

 彼は女の子が絵本を読むのを黙って聞いていた。

 じっと女の子が絵本を読む横顔を眺めていた。

 これから護衛をする女の子の顔立ちやしぐさ、性格を読み取ろうとしていた。

 絵本を読み終わった女の子は、絵本を閉じながら顔を赤らめる。

「や、やっぱり、母さんほど上手に読めないな。男の子には、絵本なんてつまらないよね。別の遊びがよかったかな」

 どうやら彼が女の子をじっと見つめているのを、読み方が下手なため集中できないと受け取ったようだった。

 女の子は申し訳なさそうに、うつむいている。

 彼は首を横に振る。

「そんなことは、ない、です」

 淡々と答える。

 女の子は破顔する。

「そう、よかった」

 にこにこと笑う。

 彼自身、護衛の対象と諍いを起こすのは好まなかった。

 そんなことをすれば、彼が伯母に叩かれてしまう。

 出来れば護衛対象とは軋轢のない関係を築きたいと思っていた。

 それには差し障りのない返答が一番だった。

 機嫌を損ねないのが最善の策だった。

 女の子は絵本を傍らに置いて、彼に向き直る。

 青い目を輝かせる。

「本当はね、どんな子が家に来るのか、少し不安だったの。でもね、あなたのような大人しい男の子が来て、よかったと思ってるわ。きっとわたしたち、いい姉弟になれると思うの」

 女の子は彼に笑いかける。

 無邪気な笑顔だった。

 女の子は心から微笑んでいるようだった。

 屈託のない笑顔を向けられ、彼は訝しむ。

 彼が今まで会ってきた人間は、笑顔の裏に何かしら腹に隠していた。

 彼を利用しようと、良からぬことを考えていた。

 女の子が彼の顔に手を伸ばす。

「ねえ、その銀色の髪、きれいね。髪に触ってもいい?」

 女の子は珍しそうに彼の銀髪を見ている。

 彼はあまり人に体を触られるのが好きではなかった。

 他人に体を触られる時、彼はいつも痛い思いをしてきたからだ。

 殴られることも、夜の相手をさせられることも、どちらも彼には嫌なことだった。

 しかし護衛の対象であり、主人である伯母に言い含められている以上、彼は彼女のどんな要求にも応えなくてはならなかった。

 彼には女の子の命令を拒否することは許されていなかった。

 彼は嫌だと言う言葉を飲み込み、答える。

「いいよ」

 出来るだけ嫌悪の感情を表に出さないよう努力する。

「ありがとう」

 女の子は彼のそんな心中に気付いた様子もなく、うれしそうに彼の銀色の髪に手を伸ばす。

「わあ、きれい。月に照らされた雪原の色を、そのまま髪の色にしたみたい。とってもきれいね」

 女の子は彼の真っ直ぐで滑らかな銀色の髪に指で触れる。

 はしゃいだ様子で彼の髪に触れ、頭をくしゃくしゃに撫でまわす。

「いいなあ、わたしの髪は黒くてくせっ毛だから、真っ直ぐで色の薄い髪がうらやましいの。わたしも母さんみたいな金色の髪ならよかったのに」

 女の子は心の底からうらやましそうにつぶやく。

 その女の子の言動に、彼の記憶の中にある、ある大人の女性の言動が重なる。

 ――あなたの髪は、本当にきれいね。

 伯母の施設では、子ども達に大人の相手もさせていた。

 その芸術家と名乗る女性は、彼を気に入ってか、よく指名してきた。

 その女性は他の大人たちと違って、彼に暴力は振るわなかったが、寂しげに彼を見つめ、酒をあおって、彼と一夜を共にした。

 彼ではない別の名前を叫び、泣きながらベッドの中で彼を抱きしめていた。

 彼はその女性の過去に何があったのか知らない。

 最期にその女性に会ったのは、彼が引き取られる数か月前のことだった。

 最期に彼と会ったその直後、女性は睡眠薬を飲んで自殺した。

 後で知ったことだが、その女性は年端もいかない自分の子を、事故で亡くしたという。

 彼の心に、その女性との記憶が蘇ってくる。

 恐怖とも悲しみともわからない感覚が胸を締め付け、彼は背筋をぶるりと震わせる。

「やめろ!」

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