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姉と弟  作者: 深江 碧
五章 幸せな記憶があるから人は生きられる
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幸せな記憶があるから人は生きられる6

「姉さん。これから僕は怪我の治療で悲鳴を上げるかもしれないけれど、だからと言って、僕に近付いたら駄目だからね。僕がいいと言うまで、声を上げることも、僕に触れることも、しちゃ駄目だからね」

 姉は声を上げずに、こくこくと何度もうなずく。

「約束だからね」

 弟は尖った針先を、血のにじむ脇腹の傷に突き立てた。

「ぐ、うっ」

 弟の悲鳴に、姉の両肩がびくりと震えたが、口に手を当てて声を上げることはかろうじてしなかった。

 弟は痛みを我慢しつつ、針を動かす。

 額には痛みのために脂汗が浮かぶ。

 一針一針慎重に傷を縫合していく。

 脇腹の傷は七針にも及んだ。

 傷を縫合し終えた弟は、ナイフで糸を切る。

 血で汚れた針をぬぐう。

 針と糸をコートにしまい、脇腹の血を白い布でふき取る。

 縫合し終えた傷を見て、弟は長い息を吐き出した。

 包帯を取り出し、傷口に巻きつける。

 体はひどく疲れていたが、とりあえず傷の手当をすることはできた。

「姉さん、もういいよ」

 姉は傷の治療中、心配そうに弟を見守っていたが、弟と約束した通り、一言も声を上げなかった。

 そのおかげで、弟は傷を縫うのに集中できた。

 姉は両手を口から離す。

「本当に、大丈夫なの?」

 姉は弟のそばに寄り、そろそろと手を伸ばす。

「本当に?」

 手で脇腹の包帯に触れ、弟の頬に触れる。

 弟は微笑み、うなずく。

「うん、もう大丈夫だよ」

 頬に触れる姉の手に自分の手を重ねる。

 姉は安堵したように息を吐き出す。

手探りで弟の体に触れる。

「よかった。あなたが無事で、本当によかった」

 姉は弟の胸に顔をうずめる。

 目の見えない姉が、どれほど弟を心配していたか。

目が見えないからこそ、姉が不安で仕方がなかったことを、弟はおぼろげに理解していた。

 同時にここまで自分のことを心配してくれる姉のことを、うれしく思った。

「姉さんは、大げさだなあ」

 弟は姉の肩に手を置こうとした。

 そこでふと、自分がまだ上半身裸なのを思い出した。

 急に恥ずかしくなる。

「ね、姉さん、ちょっと待って。ま、まだ、僕上に何も服を着ていなんだ」

 弟は顔を赤くして、姉の肩を押す。

 姉は一瞬驚いた顔をする。

「え?」

間を置かず、姉の顔が見る見るゆでだこのように赤くなる。

「ご、ごめんなさい。わ、わたし、あっちを向いているから。その間に着替えてくれないかしら」

 姉は両手で顔を覆い、後ろを向く。

 弟は比較的汚れていないセーターをつかみ、袖を通す。

 血で汚れたシャツは、さすがにもう着られそうもなかった。

 弟は立ち上がり、玄関の前の廊下から居間へと向かう。

「とりあえず、暖房をつけて部屋を温かくしよう。それから姉さんも病院服から着替えないと。何か見繕ってくるから、居間で腰かけて待っててよ。それで、それから食事にしよう。姉さんは、昼からずっと何も食べていないんだろう?」

 弟は立ち上がった時に脇腹に鈍い痛みを感じたが、姉に心配をかけまいと平気な振りをして居間へと歩いて行く。

 その時弟は気にも留めなかったが、その脇腹の傷が原因で後日彼は高熱を出し、苦しむことになる。

 盲目の姉はどうすることもできず、ただただ彼のそばについていることしか出来なかった。

 二人は叔父に追われる身のため、医者も呼べず、誰の手助けも受けられず、アパートの中でひっそりと息をひそめて暮らすしかなかった。

 姉の目が見えれば、もっと違う決断もできたかもしれない。

 弟が前もって医者に行っていれば、姉をこんなに心配させずに済んだかもしれない。

 どちらにしろ、二人はお互いのことを心配し、身を寄せ合って叔父の手から逃げ延びた。

 最悪の未来だけは回避した彼らだったが、叔父の追及の手は止まない。

 彼らが足掻き、もがき、どんな未来を選び取ろうとしているのか。

 その話はまた次の機会にでも。

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