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姉と弟  作者: 深江 碧
五章 幸せな記憶があるから人は生きられる
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幸せな記憶があるから人は生きられる1

「わたしは」

 彼女は震えながらつぶやく。

 弟の手を握り、自分を強く持とうとする。

 何度も自分の心に問い掛け、答えを出そうとする。

 しかし出てきた答えはたった一つだった。

「ごめんなさい、――。やはり、わたしは叔父さんを許せない。父さんと母さんを、二人を殺した叔父さんを、どうしても許せそうもない」

 彼女は弟にそう答えた今現在も、まだ迷っていた。

 自分がそう答えたことによって、今後どのような事態に巻き込まれるかも、彼女には十分にわかっていた。

「本当に、ごめんなさい」

 だからこそ、弟には心から詫びなくてはならない。

 自分がそう選んだことによって、彼をどんな事態に巻き込むのか。

このまま叔父に二人して射殺される運命を辿ることは、彼女には容易に想像がついた。

「わたしはこのまま死んでしまっても構わない。事故のために目も見えないわたしは、あなたの足手まといにしかならない。けれど、あなたはわたしと一緒に死ぬことはないわ。あなたは父さんの遺産のこととも、財閥のこととも無関係だもの。家族として、姉として、せめてあなただけでも生き残って欲しいと、わたしは思っているの」

 口では精一杯そう強がってみたものの、震えは止まらなかった。

 彼女はこのまま射殺されて何も感じないほど出来た人間でもなかったし、弟が叔父に寝返ったらやはり悲しいだろう。

 自分がどんな選択肢を選んでも、必ず迷いと後悔はついて回る。

 いくら考えても、彼女にはどれが正しい選択かは判断できなかった。

「姉さんは、またそういうことを言って。全然僕の気持なんか考えてもくれないんだね」

 弟が繋いだ手を強く握る。

 呆れた様な声がすぐそばから聞こえてくる。

 弟のいつもの調子に、彼女は置かれた状況も考えずに頬を膨らませる。

「じゃ、じゃあ、わたしに聞かないで、あなたが選べばいいでしょう? 叔父さんはあなたの実力を見込んで、提案を持ちかけてきているのよ? わたしはあなたのおまけで、叔父さんにとってはいてもいなくてもどちらでも構わないんだから。叔父さんの提案には、あなたが返事をすればいいじゃない」

 一応は銃を持った男たちに取り囲まれている状況を思い出し、小声で話す。

 弟は小さな溜息を吐く。

「僕、叔父さんのこと好きじゃないから」

 あっさりと言い放った弟の言葉に、彼女は状況も忘れて呆れてしまった。

 彼女が黙り込んでいると、弟は慌てて言いつくろう。

「あ、姉さんのことは好きだから安心して。姉さんは僕が命に代えても守るよ」

 この状況で突然何を言い出すかと思ったが、弟の物言いに、彼女は呆れて物も言えなかった。

 小さな溜息を吐く。

 ――やっぱり、ここは叔父さんの提案を素直に受け入れて、命乞いをすればよかったのかしら? でも、命乞いをしても、二人の命が助かるという保証はないし。

 真剣に悩んでしまう。

 彼女が悩んでいると耳元で、弟がそっとささやく。

「正直、姉さんが叔父さんの提案を蹴ってくれたことには感謝してるよ。そうじゃないと、せっかく持ってきた道具も無駄になっちゃうからね」

「え?」

 彼女は弟の方を見たが、目の見えない彼女には弟の言う、道具の意味がわからなかった。

「姉さん、少しの間息を止めておいてもらえるかな?」

 弟はおどけた口調でそう言ったが、その理由はいっさい明かさなかった。

「わ、わかったわ」

 彼女は訳も分からないまま、口を押え息を止める。

 彼はコートの下にある催涙弾を取り出し、男たちの方へと投げる。

 催涙弾は乾いた音を立て、床を転がる。

 間を置かず、催涙弾からガスが噴き出し、病室がガスに包まれる。

「な、何だ?」

 叔父や男たちが咳き込む声が聞こえてくる。

 弟は息をひそめ、姉にささやく。

「姉さん、立って。逃げるよ」

 姉の手を引き、立ち上がる。

「え?」

 姉が口を押えて戸惑っている間に、弟は半ば強引に彼女を抱き上げ、窓へと向かう。

「ま、待て!」

 咳き込み叫ぶ叔父を省みもせず、弟は姉を抱いて窓から飛び降りる。

 病室の窓に括りつけたワイヤーを手に、落下速度を緩め、地面に着地する。

「よ、っと」

 彼にとっては慣れたものだったが、抱きかかえた姉にとっては慣れないものだった。

 地面に降ろした途端、力なくへたりこむ。

「な、何? 何が、起こったの?」

 今までずっと息を止めていた姉は、説明を求めるように弟を振り返る。

 弟はすぐに立ち上がり、暗闇に油断なく視線を走らせる。

「叔父さんも、大人しく僕たちを見逃がしてくれない、ってことだよ、姉さん」

 弟はコートの下から拳銃を取り出し、構える。

 病院の庭に降り立った二人を、黒服の男たちが取り囲むようにして拳銃を構えている。

 街灯に照らされて、その数は二十人を超えていた。

 暗がりから一人の男が進み出てくる。

「そう。私も君たちをみすみす逃がすつもりはないよ」

 若い男の声だった。

 黒い服を着た銃を構えた男たちの間から、見るからに品の良い白いスーツをきっちり着こなした青年が歩いてくる。

「この声は」

 地面にへたり込んでいた姉が驚いたように顔を上げる。

 弟は眉をひそめ、青年を見つめる。

 弟は青年の顔に見覚えがあったが、思い出せなかった。

姉にはその声に心当たりがあるようだった。

「――。君は事故に合って、視力を失っても、まだしぶとく生きようとするんだね」

 青年は姉の名を呼び、地面にへたり込んでいる汚れた病院服を着た彼女を軽蔑したように見下ろす。

 姉は信じられないものを見るような顔をする。

「――、あなたなの、ですか?」

 生前に父親が決めたかつての婚約者の名前を呼ぶ。

 弟もその名前を聞いて、思い出した。

 よく姉と連れ立って、食事に行く青年だった。

 弟はたまに街で姉と寄り添う青年の姿を見て、胸が奥がひどくざわつくのを感じたものだった。

 青年は銃を構える男たちを目線で下がらせ、拳銃を構える弟を見据える。

「少し彼女と話がしたい。いいかな、弟君?」

 弟は姉を振り返る。

 姉は小さくうなずき、ゆっくりと立ち上がる。

 弟は拳銃をおろし、姉の後ろに下がる。

 かつての婚約者である青年の声のする方を向き、語りかける。

「――、どうしてあなたがこんなことをしているのですか? 叔父さんのしたことをわかった上で、味方しているのですか?」

 青年は穏やかな笑みを浮かべている。

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