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姉と弟  作者: 深江 碧
十五章 悪夢再び
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悪夢再び11

 人々の動揺が広がる中、長男は叔父に拳銃を向けたままだ。一方の次男は長男に拳銃を向けている。弟は肩から血を流したまま絨毯の上に膝をついている。叔父は弟のそばに青白い顔で立ち尽くしている。

「父さんも義兄さんたちも散々だね」

 四男だけが他人事のように酒の入ったグラスを片手に笑っている。長椅子に座る老人も先程から表情一つ変えずにことの成り行きを見守っている。医者を呼んでもらうように頼んだ姉は、給仕からの報告を待っているのか、緊張した面持ちで立ち尽くしている。長男の婚約者の女性は拳銃を向け合う長男と次男を青白い顔で気丈に見つめている。

 そんな義兄達を眺めていた四男はグラスに口をつけ、おもむろに長椅子の老人の方へと歩いていく。黒服の男が四男にちらりと視線を向ける。四男は男にかまわず杖を握りしめている老人の隣に立つ。

「ねえ、おじい様。おじい様は父さんが撃たれそうになっても、セルゲイ義兄さんとアレクセイが拳銃を向け合ってても、さっきからまったく動じていないみたいだけど。おじい様のことだから、もしかして全部お見通しだったとか?」

 四男は老人に親しげに話す。老人はちらりと四男の方を見ると、静かな口調で答える。

「無論、いずれこうなることはわかっていた。それが早いか遅いかの違いはあるが」

「へえぇ」

 四男は目を見開く。面白そうに早口で尋ねる。

「すごいやおじい様。じゃあおじい様は、さっきアレクセイが言ってたセルゲイ義兄さまの元婚約者の事故のことや、前財閥総帥の事故の真相も知っているってこと?」

 老人は白いあごひげを撫でる。

「無論。それくらい知らないようでは、ユスポフ家の当主の名が泣くからな。事故のことは計画段階から知っていたし、事故の詳細はすべて調べてある」

 四男は瞳を輝かせる。

「すごいやすごいや、おじい様。流石おじい様だね」

 四男は純粋にはしゃいでいる。しかしそれを耳にした姉は弾かれたように振り返る。

「事故のことを計画段階から知っていた、ですって?」

 姉の声は震えている。両親が亡くなり、自身も目が見えなくなるほどの事故を老人があらかじめ知っていたとなると、事故の被害者である姉としては見過ごしておけないのだろう。

「事故のことを知っていたのだったら、どうして教えてくれなかったのですか。止めなかったのですか。実の息子が殺されたのに、どうしてそんなに冷静でいられるのですか?」

 姉は矢継ぎ早に話す。まるで今まで抑えつけていた感情の激流をすべて吐露するかのように。

「どうしてあなたはそんなに冷淡になれるのですか。それとも財閥という体勢を維持するためなら、人の命なんて幾らでもなくなってもいいというのですか。わたしの両親の命はそんなに軽いものなのですか? それなら財閥のために尽くしてきた父は、何のためにその重荷を背負わされたのですか? 優し過ぎる父は財閥総帥の重荷に、常に苦しんでいたと言うのに」

(姉さん)

 弟には姉の気持ちが痛いほどわかる。元々両親は姉弟に対して惜しみない愛情を注いで育ててきた。そのため姉は愛情深く育ち、そばで育ってきた弟から見ても人懐っこく、人一倍情に厚いところがあるように思える。弟はそんな姉を誇りに思い、同時に大切な家族を守らなければならないと感じてきた。両親の命を守れず、姉の光を奪ったことは弟にとって最大の失態だ。本当であれば弟の手で事故を起こした犯人を八つ裂きにしても腹の虫が収まらない。

 姉の悲痛な言葉を聞いても、老人は何も言わない。長椅子に座って激昂する姉を見据えている。

「なに感情的になってるのさ。起こったことを今更悔やんだって仕方が無いのにさ。おじい様を責めるのは見当違いも甚だしいのに。そんなのあんたのただの八つ当たりじゃないか」

 四男は呆れたように言う。まるでそれが些細な事とでも言うような口ぶりだ。

「おじい様はただすべてを知っていただけなのに。どうしてそれを責められなきゃいけないのさ。知らなかったそっちが悪いんだろう? あらかじめ察知できなかったそっちが悪いのに」

 四男はけらけらと笑っている。姉は頬を赤らめ、目に涙を浮かべている。

「体勢を維持することがそれほど大事なのですか? だったら、どうしてわたし達家族をそっとしておいてくれなかったのですか? 下町で静かに暮らしていたところを呼び戻したのは、おじい様ではないですか。どうしてわたし達家族をそのまま静かに日々を送らせてくれなかったのですか?」

 姉は肩を震わせ、毅然として前を向いている。以前の姉であれば、この場で泣き崩れていただろう。姉はいつの間に精神的に強くなったのだろう。両親の死に打ちのめされていた姉は弱く儚げで、今にも消え失せてしまいそうに見えたのに。弟が支えてあげないと、とても生きていけないように見えたのに。

(姉さん)

 弟は眩しいものでも見るような目で姉を見つめる。

「オリガ、じいさんに何を言っても無駄だ。その人は昔からそういう人だ」

 次男が長男に拳銃を向けながら、目線を逸らさずに言う。肩をすくめる。

「おれと弟のフェリックスがじいさんと初めて会った時も、そうだった。じいさんはおれにはほとんど興味を示さなかった。どうやらじいさんは親族であっても人にあまり興味が無いらしい。確かにじいさんは一代で財閥を巨大にした優秀な経営者だ。とんでもなく有能かもしれないが、人として大きく欠けている部分がある。そこのクソ兄貴と同じさ。人としての当たり前の感情が大きく欠落しているのさ」

 次男は皮肉めいた笑みを長男へと向ける。長男はわずかに顔をしかめる。

「よくそんな口が利けるな、アレクセイ。お前こそ口先だけの無能のくせに。拳銃の引き金だってまともに引けない臆病者が」

 長男は拳銃を叔父から次男へと向ける。次男はとっさのことに拳銃を握りし直し冷や汗を流す。引き金に置いた指先がわずかに震えている。

「子どもの頃の話を蒸し返さないで欲しいな。おれはこの十数年の間に変わったんだ。あの頃のおれとは違う。もう兄貴の影で小さくなっているおれじゃないさ」

 次男の言葉に、長男は薄く笑う。

「本当にそうなのか? 私にはお前はあの頃の弱虫のままに見えるが」

「おれも男だ。婚約者であるオリガの前で格好が悪い真似は出来ない。彼女と仲間を守るためなら、おれは兄貴とだって命懸けの喧嘩もする。兄貴の前で何も出来なかった無力だったおれとは違う」

 長男と次男は拳銃を向け合ったまま一歩も引かない。

「お前はどうしようもない馬鹿だな。自分の実力も分かっていない。身の程をわきまえない大馬鹿者だ」

 長男は険しい目を次男に向けている。二人は対決の姿勢を露わにする。それを見守っていた弟は肩からの出血と痛みとともに、全身から力が抜けていくのを感じる。

「デニス!」

 叔父が悲鳴にも似た声を上げる。その声に反応して、姉が弟を省みる。弟は声も上げずに絨毯の上に倒れる。

「その上、デニスまでこんな酷い目に」

 姉は震える声でささやく。この時ほど自分の体が動かないのを呪ったことは無かった。弟には動くことも出来ずに見守っていることしか出来ない。姉の視力を失った青い両目に涙がにじむ。

「わたしは、何もいらなかった。富も地位も名誉も権力も。両親さえ生きていれば、それで良かったのに」

 姉は声を荒げて叫ぶ。

(姉さん、泣かないで)

 薄れゆく意識の中、徐々に視界が黒く塗りつぶされていく。いつもは忘れている孤独と不安が弟の心を支配していく。

(姉さん)

 意識を失う直前まで、弟は広間の様子をつぶさに観察していた。泣き続ける姉も、取り乱す叔父も、拳銃を向け合い睨み合う長男と次男も、長椅子に腰かける老人もそばに立つ四男も、目に入るすべてが彼にとってはどこか遠い存在のように感じられた。目の前の出来事が現実なのか夢なのか区別がつかないようになっていた。

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