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姉と弟  作者: 深江 碧
十五章 悪夢再び
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悪夢再び9

 夜にも関わらず、昼間のような眩い光が豪華なシャンデリアから降り注いでいる。床には足音がまったく聞こえないほどの厚い真紅の絨毯が敷かれ、磨き抜かれた大理石の床や細かな装飾の施された柱が広間には数多く並んでいる。着飾った人々の赤や青、黄色や緑、紫などの色鮮やかな服装が目に飛び込んでくる。

 次男と姉の周囲には着飾った招待客が集まり、壁を背にして長椅子に座る老人とその親族たちを取り囲んでいる。ここ現在の財閥総帥である叔父の屋敷に集められた招待客はすべて財閥関係者だ。国を牛耳るほどの経済力を持つ巨大財閥の今後に関わる話に聞き耳を立てている。次期財閥総帥候補である長男と次男が向かい合って立っている。

「なあ、兄貴。どうしてオリガの両親を殺したんだ? おれには兄貴が殺したいほど二人を憎んでいるようには見えなかった。ましてやオリガと兄貴はほとんど接点が無いだろう? どうして彼らをこのような目に遭わせたんだ?」

 長男は答えない。表情一つ変えない。次男は溜息を吐く。

「だんまりか。兄貴は都合の悪いことは、いつもそうなんだな」

 次男は悲しげな声でつぶやく。広間に集まった招待客は水を打ったように静まり返っている。四男は給仕から酒のグラスを受け取り、ちびちびと口を付けている。老人は何も言わない。長男は灰色の瞳で次男を真っ直ぐに見つめている。

「アレクセイ兄さま」

 隣にいる姉が気遣うようにか細い声でささやく。次男は姉を安心させるようにその肩を叩く。

「もう大丈夫さ。おれは兄貴なんかに負けない。何と言ってもおれは財閥の次期総帥だからね。これぐらいで怖じ気づいてちゃ、今後命が幾つあっても足りないからさ」

 次男は笑みを浮かべて強がって見せる。それを見て長男の表情が険しくなる。

「お前ごときが財閥の次期総帥とぬかすか。笑わせるな」

 冷ややかな視線を注ぐ。

「お前が、お前ごときが財閥の総帥になって、それで上手く行くと思っているのか。お前ごときが財閥総帥になれるのなら、生まれたばかりの赤子にだってそれは可能だ。他の兄弟を差し置いて、お前ごときがなれるはずはないだろう。身の程をわきまえろ」

 その声音に含まれるのは怒りと嘲り、侮蔑のようなものだ。決して強い口調ではなかったが、その声は大きく広間に響く。珍しく感情を露わにする長男に対し、次男は一歩も引かない。次男は口元に自嘲の笑みを浮かべる。

「おれごとき、ね。兄貴から見たらそう見えるかもしれないな。兄貴は確かに実力も才能も幼いころからおれよりも上だった。勉強の成績だって運動だって、兄貴は兄弟の誰にも負けたことはない。将来、兄貴が財閥の跡を継ぐんだって周囲は幼い頃から期待の目を向けてきた。数か月しか違わない兄貴とおれとはいつも比べられてきた。おれにとってはそれは大きな負担だった」

 次男の深緑色の瞳に暗い色が宿る。長男はまた元のような無表情に戻っている。

「実力ではすべてにおいて兄貴が勝っているだろう。だが、それ以外ではどうだ。人格でも才能でも、本当に頂点に立つに相応しいだろうか?」

「何だと」

 次男は肩をすくめる。長男の鋭い視線を受け流す。

「兄貴は前の婚約者である彼女を、アナスタシアを見殺しにした。それだけはおれは絶対に許すことは出来ない」

 次男の深緑色の瞳に静かな怒りが宿る。

「アナスタシア?」

 長男は問い返す。少しの間考える素振りでじっと黙り込んでいる。次男は語気を強める。

「忘れたとは言わせないぞ。アナスタシアはおれの親友の妹だ。アナスタシア・カサノヴァ、カサノフ公爵家の令嬢だった」

「あぁ、そうだったな」

 そこで初めて思い出したかのように、長男は小さくうなずく。その話題に、長男の隣に立つ現在の婚約者が反応する。婚約者は興味深そうに横目で長男を見ている。

「あぁ、カサノフ家の令嬢か。確かに以前私の婚約者だった相手だが、既に事故に遭って亡くなって、婚約は破棄されているはずだ。今更私とは何の関係も無い」

 淡々と話す長男に、次男は語気を強める。

「よくもそう他人事のように言えるな。自分の婚約者が亡くなったんだぞ。どうしてそう冷淡に話せる。葬儀の席で兄貴は涙一つ見せず、悲しそうな顔さえしなかった。自分の婚約者が亡くなったにも関わらず、どうしてそう冷淡でいられる。おれにはそれが信じられない」

 言い募る次男に、長男は涼やかな顔で受け流す。

「会って数か月しか経っていない女の死を悲しめ、と言う方が無理な話だろう。それともお前は出会って間もない女のために涙を流すのか。お前の涙は大層お安いものなのだな」

 長男は嘲笑する。次男はぐっと唇を引き結ぶ。

「おれが言いたいのはそういうことじゃない。兄貴は婚約者であるアナスタシアに生前辛く当たっていたじゃないか。自分の婚約者であるにも関わらず、たとえ政略結婚かもしれないが、アナスタシアは決して悪い娘じゃない。自分の立場を理解する賢い娘だ。それにも関わらず、兄貴はどうしてアナスタシアに辛く当たるのかをずっと聞きたかったんだ」

「辛く当たる?」

 長男は心当たりがないかのように、不思議そうな顔をする。

「だってそうだろ。兄貴はまともにアナスタシアの顔を見ようともしなかったし、話そうともせず、一緒に出掛けもしなかった。アナスタシアは一生懸命兄貴に歩み寄ろうとしていたが、兄貴はそうじゃないようだった。傍から見て婚約者のアナスタシアが辛く当たられているように見えたさ」

 次男は言い募る。長男は再び考える素振りをする。

「その反応が普通だろう。婚約者だからと言って、いきなり親しくなれる訳はない。お互いを理解するのには多くの時間が必要だからな。お前のように女であれば誰でもいいと言う訳では無い」

 長男の言葉には次男に対する棘が含まれている。次男はわずかにうつむく。

「アナスタシアは兄貴に嫌われているんじゃないかと、ずっと悩んでいた。そしてアナスタシアは自動車事故に遭った。アナスタシアの事故を調べていくうちに、ある疑惑が浮き上がった。アナスタシアの事故は仕組まれたことじゃないかという疑惑だった」

 長男は表情一つ変えずに次男の話を聞いている。次男の隣に立つ姉も長男のそばにいる婚約者もじっとその話に耳を傾けている。それを聞いている四男はあくびをし、つまらなさそうにしている。叔父はおろおろとして長男と次男を見比べ、祖父である老人はどっしりと構えている。招待客はひそひそとささやく者はあったが、大半が次男と長男の話に聞き入っているようだ。次男は話し続ける。

「今から考えると、兄貴は自分の婚約者であるアナスタシアを嫌っていたんだと思う。兄貴とアナスタシアが一緒にいるところをおれは見たことが無いし、親しげにしているところも見たことが無い。その上、アナスタシアは割と奔放な性格だったし、交友関係、男友達も多かった。女性に美しさと貞節、従順さ、完璧さを求める兄貴には、それが気に入らなかったかもしれないな。カサノフ家の方から婚約解消を申し出ようかと言う話が出た矢先、アナスタシアはあんな悲惨な事故に巻き込まれて亡くなった。そしてその事故が仕組まれていたかもしれない疑惑。犯人と思われる男の自殺。それによって真相は闇へと葬られる。果たしてそれは何を意味しているんだろうな、兄貴」

 次男はちらと長男を見る。長男は灰色の鋭い眼差しで次男を睨み返している。

「お前はつまり何が言いたい」

 長男の声にわずかに怒気がこもる。次男は小さな溜息を吐く。

「おれはアナスタシアから相談されたことがあるんだ。まあ詳しくはその兄である親友から聞いたんだけどな。それは事故で亡くなる数か月前のことだ。最近アナスタシアの周囲を不審な男がうろついている、と。そしてその後、悲惨な自動車事故に遭ってアナスタシアは亡くなる。どこかで同じようなことを聞いたことがあるのは、おれの気のせいなのか」

 次男は肩をすくめる。態度とは対照的にその両目には真剣な光が宿っている。

「だからお前は何が言いたい」

 長男の声には深い怒りがにじみ出ている。ぴりりとした張り詰めた空気が広間全体を包んでいる。

「つまりアナスタシアの自動車事故は仕組まれたことじゃないか、と言いたいんだよ、兄貴。そしてそれを指示した犯人は兄貴じゃないかという噂もある」

 怒りを露わにする長男に対し、次男も一歩も引かない。気が付けば広間は水を打ったように静まり返っている。

「証拠はあるのか」

 長男の言葉に、次男はうんざりしたように息を吐く。

「証拠は、ないさ。だからこうして兄貴に聞いているのさ。兄貴なら自分の婚約者だったアナスタシアの事故に関して、何か知っているんじゃないかと思ってね」

「私が知る訳が無いだろう」

 次男の問いに、長男は吐き捨てるようにつぶやく。その答えに次男は想定していたことなのか動じない。

「だろうな。そこがおかしいんだよな。アナスタシアの自動車事故の犯人は自殺し、事件の真相は数年経った今も解明されていない。あんなに公衆の面前で起こった目撃者の多い事故、普通ならばもっと早く真相が解明されてもいいはずなんだ。それにも関わらず、何の証拠も事件に結び付く手がかりも無い。これは誰かが故意に圧力を掛けているんじゃないかと思ってね」

 次男は深緑色の瞳で長男を真っ直ぐに見つめている。長男は険しい表情で沈黙を守っている。

「まあ、そう簡単に事件の真相がわかるとも思えなかったけどね。一応その親友と一緒におれなりにアナスタシアの事故について調べてみたんだ。そしたら警察に圧力が掛かっていることがわかった。それも圧力を掛けた人間は地位も名誉も財力も権力も持っていると見える。そう簡単に事故について調べることは出来なかったよ。そう。オリガの両親の事故と同じように、トラックを運転していた犯人と思しき人物は自殺して、手がかりは何も残されていなかった」

 次男は長い溜息を吐く。

「頭のいい兄貴のことだ。おれの言いたいことはわかっているはずだろう。おれの口から言わなくてもわかるはずだろう?」

 次男は悲しげな表情を浮かべている。長男は黙り込んでいる。広間に集まった人々は誰も口を開かない。二人のやり取りにじっと聞き入っている。あくびをしていた四男が飽き飽きしたように口を開く。

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