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姉と弟  作者: 深江 碧
十四章 悪夢
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悪夢27

 口に含んでいた紅茶を舌の上で転がし、次男はじっくり味わってから飲み下す。

 姉が紅茶カップから口を離すのを待って、口を開く。

「それで、オリガはおれに何を聞きたいんだ? わざわざこうして訪ねて来てくれたんだ。出来ればオリガとの時間を無駄にしたくはない。オリガはおれの何が聞きたいんだ?」

 姉は紅茶のカップとソーサーをテーブルの上に置く。真剣な面持ちでたどたどしく尋ねる。

「アレクセイ兄さまのことであれば何でも知りたいと思っています。その、わたしはこうしてこのお屋敷に来るまで、従兄弟である兄さまのことを何も知りませんでした。婚約のお返事をするにしても、兄さまのことをもっと知ってからお返事したいと思っているんです」

「ふうん、何でも、ね」

 次男は深緑色の瞳を細める。姉の必死な態度を見ていると、ついつい意地悪したくなってくる。

「じゃあ逆に聞くけど、オリガはおれの何を知っているんだい」

「えっ?」

「社交界でおれの噂は聞いているだろう? オリガがおれのどういったことを知っているのか、教えて欲しい」

「ええと」

 姉は戸惑ったようにうつむく。

「ありのままに教えてくれればいいよ。怒らないから」

 次男は姉から視線をそらさずに真っ直ぐ見据えている。

 姉は言葉を選ぶようにたどたどしく話す。

「その、親族会議や社交界で兄さまとは顔を合わせる機会は何度かありましたが、その時のわたしの感想はあまり良くないものでした。その時はわたしにも婚約者がいましたし、出来ればあまりお近づきになりたくない男性だと思ったものです」

「へえぇ、例えばどんな風に思ったんだい?」

「元々社交界で聞いていた兄さまの評判はあまり良くないものでしたから。それに夜会で会った時の印象もそれほど良いものではありませんでしたから」

 姉はいったんそこで言葉を切る。迷うようにペンダントに手を掛けている。

「正直に言ってくれていいよ。おれもオリガのことをもっと知りたいと思っているから」

 次男の言葉にうながされるように、姉は言葉を続ける。

「わたしがアレクセイ兄さまと出会った時の第一印象は率直に言って、何て軽薄な人だろう、と思いました。だって夜会であなたを介抱した時だって、わたしには婚約者がいるとお伝えしたではありませんか。それなのに、キスを要求して来て。そ、その上、唇にするなんて」

 姉は頬を赤らめて、またうつむいてしまう。長い黒髪が顔に影を作っている。

「そう言えば、そうだったね」

 次男はくすくすと声を立てて笑う。キスくらい次男にとっては何てこともないのだが、純情な姉には未だに刺激が強いようだ。

 次男はおもむろに手を伸ばし、向かいに座る姉の長い黒髪に触れる。

「でも、あの時だっておれは本気だったんだよ? たとえ君に婚約者がいたとしても関係ない。もし君がおれに心を開いてくれたら、無理にでもものにすることも出来た。裏から手を回して相手に婚約を破棄させることも出来たんだよ」

 次男の指は姉の黒髪を伝い、赤みを帯びた頬にそっと触れる。姉はびくりと肩を揺らす。

「そ、そんなこと」

 次男の手から逃れるように、姉はさっと身を引く。

「そ、その時のわたしは、そんなこと望んではいません。少なくともその時はそうでした」

 姉は軽く頭を振る。頬に掛かった黒髪を耳にかける。姉は耳まで真っ赤になっている。

 そんな姉の態度が面白くて、次男はさらに追い打ちをかける。

「その時、ということは、今は違うのかい。以前はそうだったかもしれないけれど、オリガの心境が変化したのかい? 以前はおれのことを軽薄だと思っていたかもしれないけど、今は違うと言うことだよね」

「そ、それは」

「今はおれのことはどう思っているんだい。好き? それとも嫌いなのかな? この屋敷から出て行かない、ということは、おれのことをそれほど嫌いじゃないということじゃないのかい。それともおれのことが嫌いだけど、出て行けない理由でもあるのかい?」

 熟れた林檎のように顔を真っ赤にしている姉に、次男は顔を近付ける。

「おれは以前に言ったよね。君が希望するなら君の伯母さんに連絡する手段を探ると。でも君は今もこの屋敷に留まっている。この屋敷に留まっているということは、おれに少なからず何かを感じている、と言うことだよね? それはどういった気持ちからなんだい?」

 姉は口を引き結び、顔を真っ赤にしたままじっと黙り込んでいる。深刻な表情で考え込んでいる。

(少しからかい過ぎたかな?)

 ここで姉をあまり追い詰め過ぎても、またへそを曲げられかねない。

 ここが引き際と判断した次男は紅茶で口を潤す。

 ナイフとフォークを持ち、温かいアップルパイを切り分ける。アップルパイを口に入れるとさくさくとしたパイ生地の食感と林檎の甘い煮汁、シナモンの香りが口いっぱいに広がる。

 その味は亡き母親との思い出の味だった。次男の胸に哀愁の気持ちが蘇る。

 きっと姉は自分のこの複雑な思いなど気付いていないに違いない。自分の姉に対する気持ちなど気付かないに違いない。

「オリガ、このアップルパイ、食べてみないかい? きっと君の気に入る味だと思うんだ。冷めないうちに食べてみなよ」

 明るい声で次男は姉に呼びかける。

 次男としてはアップルパイを切り分けて、フォークで姉の口に運んでやりたいところだったが、恐らくそんなことをしても姉は喜ばないに違いない。

 姉はしばらく黙り込んでいたが、手探りをして白いナプキンの上に並べてあったナイフとフォークを握りしめる。

「兄さまがそう仰るのでしたら、いただきます」

 皿の位置を確認し、慎重にアップルパイを切り分けている。苦労して切り分けたパイをフォークですくい、そっと口に入れる。もぐもぐと咀嚼する。

 次男はそんな姉をじっと眺めていた。

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