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姉と弟  作者: 深江 碧
十四章 悪夢
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悪夢26

 次男の執務室には姉と次男、中年の部下とメイドの少女の四人がいた。

 姉は深刻な表情で黙り込んでいる。

 次男は執務机の椅子に座り、執務室にやってきた三人をぐるりと見回す。

「それで、つまり、これは一体どういうことなんだい?」

 中年の部下は直立不動で立ち、メイドの少女は困った様子で姉と次男とを見比べている。

「オリガがやって来たのならわかるけど」

 次男はちらりと中年の部下とメイドの少女を見る。

 姉が執務室を訪ねてきたのならわかる。彼女は次男との婚約の件で悩んでいた。その返事をしに来てくれたのかもしれない。

 そしてその付き添いでメイドの少女がついて来たのもわかる。メイドの少女は目の見えない姉に常に付き添い、身の回りの世話をしてくれている。

 一番わからないのが中年の部下がどうして一緒にいるのか、ということだった。

 確かにそろそろ仕事の報告に来る時間だとは思っていたが、何故姉と一緒に執務室に来る必要があるのだろう。どうしてこの場に一緒にいるのだろう。

 次男は不機嫌に中年の部下を見る。

「まさかお前、オリガにおれの変な事を話したんじゃないだろうな?」

 その可能性も十分に有りうる。姉に変なことを吹き込んで、婚約の話を無かったことになるかもしれない。

 中年の部下は首を横に振る。

「滅相もございません。私はオリガ様に若の変な事は何も話していません」

「そうか」

 妙に引っかかる言い方だったが、次男はひとまず胸をなで下ろす。

 ではこの組み合わせは何だろう。

 次男は溜息一つ、椅子から立ち上がる。

「とりあえず座らないか、オリガ。きっとおれに何か話があるんだろう。長くなるかもしれないのなら、そこのソファに座ってゆっくり話そう」

 次男は姉の前に立ち、その肩に手を置く。そばにあるソファに座るよう勧める。

「いえ、やはりこのままで。そんなにお時間は取らせませんので」

 姉は頑なに首を横に振る。次男は困ったように笑う。

「そうか。おれとしてはオリガとゆっくり話しがしたいんだけどな」

 冗談めかして言ったが、半分は本気だった。

 姉はわずかに戸惑った表情を浮かべる。何か言いたそうに口を開け閉めしてから神妙な顔でうなずく。

「わかりました。アレクセイ兄さまがそう仰るのでしたらそう致しましょう」

 姉は次男にうながされるままにソファに座る。次男も姉の向かいに座る。

「マリィ、紅茶と菓子を用意してくれ」

「は、はい」

 メイドの少女に紅茶の用意を頼む。慌てた様子で執務室から出て行く。

 執務室には次男と姉と中年の部下が残っている。

「さて、と、お前はどうする?」

 次男は立っている中年の部下を見る。暗に仕事の話なら後でも出来るぞと、目線で示す。

 中年の部下は次男では無くソファに座る姉に問い掛ける。

「オリガ様、どうされますか?」

 姉は遠慮がちにきっぱりした口調で話す。

「出来ればイーゴリさんにはわたしの付き添いとして、このままそばにいてくれると心強いのですが」

「だ、そうです、若。と言う訳で、私はこのままここにいたいと思います。どうぞお気になさらずに。彫像のようなものと思って頂ければ構いません」

 次男は少し驚く。中年の部下は主人である次男より姉の言うことを聞いているなんて、いつの間にそんな関係になったのだろう。

「おいおい、オリガもイーゴリもいつの間にそんなに親しくなったんだい。それよりも、おれはオリガにとってそんなに信用が無い男なのかい?」

 姉は申し訳なさそうに言う。

「ごめんなさい、アレクセイ兄さま。兄さまを信用していない訳では無いのです。でも目の見えないわたし一人では心細くて。こうしてイーゴリさんにそばについていてもらっているんです。イーゴリさんに同席を頼んだのはわたしなんです。叱るならわたしを叱って下さい」

「若は恋愛事となると失敗ばかりしていますからね。オリガ様にこれ以上愛想を尽かされないようにこうして見守っているのです」

 それぞれの言い分に、次男は眉をひそめる。

「本当か?」

 次男は疑わしげに中年の部下を見る。肩をすくめる。

「まあ別にいいけどね。でもオリガにそれほど信用が無いなんて、おれとしてはショックだな。こうしてオリガに何かと心を砕いているつもりだけど、それが足りなかったってことかな?」

 次男はわざとらしく深い溜息を吐く。向かいのソファに座る姉の様子を伺う。

 姉は胸に下げたペンダントを揺らし、膝の上に手を置いている。

「それについては重ね重ね申し訳ないと思っています。でも、わたしはアレクセイ兄さまのことをまだあまり知らないのです。そのためこうして話をしに来たのです。社交界ではわたしを人の目の届かない場所に連れ出して不埒な真似をしようとする男性も何人もいました。兄さまのことを信用していない訳では無いのです。わたしが目が見えず、女性である以上、兄さまに限らず男性と接する時は二人きりにならないように用心してもし過ぎることはないと考えたのです」

「ふうん」

 次男は申し訳なさそうに言う姉をじろじろと見回す。

(今日は随分としおらしいな。オリガもおれに会えなくて寂しかったとか?)

 ここ数日で姉も次男に対する気持ちが少しは変わったのかもしれない。出来れば良い方に変わってくれているといいのだが。

 社交界で姉にそんな真似をする男性とは誰だろうか。次男は姉に心を寄せている男性を数人思い浮かべたが、それ以外にも女であれば誰でもいいという男性も数限りなく知っている。そのうちの誰かが姉に下心を抱いて、無理にことに及ぼうとしても不思議ではない。

 社交界において美しい白百合に群がる虫が後を絶たないことくらい次男だって知っている。

 そもそも二人きりになったとしても、こんな明るいうちから姉を襲おうとは思っていない。姉の方から誘ってくるならまだしも、嫌がる姉に無理強いしようとは思うわない。姉が婚約を受け入れてくれたのならまだしも、受け入れてくれる前からことに及ぼうとは思わない。

 その場合、一時の快楽よりも、彼女に嫌われる可能性の方が高いからだ。

 しかし次男としては何となく面白くない。姉が自分よりも中年の部下を頼ったことに対して、ある種の劣等意識を感じる。中年の部下に負けたと言う意識が次男の心に残る。

「じゃあオリガはおれじゃなくて、イーゴリと二人きりだったらいいのか? イーゴリだって年は上だが、れっきとした男性だぞ」

 次男は意地の悪い問いを姉に向ける。

「それは」

 姉は言いよどむ。背後に立つ中年の部下を振り返る。

「話をしたところ、イーゴリさんは既に結婚されていて、お子さんも二人いらっしゃったと聞いたものでして。それに年も随分と上ですし、父と子ほど年が離れていますから」

 中年の部下は大きくうなずく。

「その通りです。若やオリガ様のことを息子や娘のように見ることは出来ても、到底恋愛対象として見ることは出来ません。それに私は今のところ再婚する予定もありませんし、その相手もおりませんから」

「と言うことでしたので、イーゴリさんに同席して頂いたのですが、兄さまにとってご迷惑だったでしょうか?」

 姉は中年の部下の言葉を継ぐ。

「別に」

 次男は頬に手を当てふて腐れたようにそっぽを向く。

 いつの間に二人はこんなに親しくなったのだろう。次男としてはますます面白くない。

 そんな時、執務室の扉が叩かれる。

「失礼します。紅茶をお持ちしました」

 メイドの少女が紅茶とお菓子を持って部屋に入ってくる。

 次男と姉の座るソファの間にあるテーブルの上に紅茶の茶器を並べる。ティーポットから注いだ琥珀色の紅茶から湯気と甘い香りが執務室に漂う。次男と姉の前に出された白磁のカップの中には熱い紅茶が注がれている。

「本日はアップルパイと果物のシロップ漬けです」

 次男と姉の紅茶のカップの隣に、きれいに盛り付けされたパイの乗った皿が並べられる。白いナプキンの上にナイフとフォークも添えられる。

「とりあえず冷める前に紅茶とお菓子を頂こう、オリガ。話はそれからだ」

「は、はい、頂きます」

 姉は緊張した面持ちで紅茶のカップとソーサーを持ち上げる。

 次男は紅茶をスプーンでかき混ぜ、カップに口を付ける。熱い紅茶と、甘い香りが口の中に広がる。

 次男は好んで紅茶を飲む。今は亡き母親が好んで紅茶を飲んでいたため、その習慣が抜けないのだ。しかし未だかつて母親の淹れてくれた紅茶ほど美味しい紅茶に出会ったことは無い。

 紅茶の香りと味を感じていると、昔よくこうして母親と弟と三人でゆったりと紅茶を飲んでいたことを思い出す。

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