悪夢23
屋敷の外の警護を任されていた中年の部下は、次男の執務室に呼び出された。
「若、お呼びでしょうか?」
次男は執務室の机の上で朝食を食べながら、片手間に新聞を広げている。
普段の姉との朝食の席ではテーブルマナーも完璧にこなしている分、礼儀作法に厳しい老家政婦が見たら眉をつり上げそうな様相だった。
しかし中年の部下はそれほど礼儀作法にうるさくない。
たとえ次男が寝ながら手づかみで食べていようが、何も言わない性格だった。
次男は新聞を執務机の上に広げ、机の上にだらしなく肘をついて、さっきまで食べていたスクランブルエッグのフォークで中年の部下を指し示す。
「うん、オリガのことなんだけどな」
気の進まない様子で話す。
「どうやらオリガはお前を探しているらしい」
中年の部下は一瞬次男の言わんとしていることの意味がわからなかった。
「オリガ様が私を?」
驚く中年の部下を、次男は不機嫌な目でねめつけている。
「オリガ様が私を探しているなど、どうしてでしょうか?」
次男は面白くなさそうに答える。
「さあな。それはオリガ本人に聞いてみないとわからない。オリガがおれを探しているならまだしも、お前を探している理由なんてさっぱりわからないさ」
次男は執務机の隅に置かれていた籠からバターの塗られた食パンをつかみ、端からかじっていく。
「ただ、オリガはおれじゃなくてお前を探しているみたいだ。お前に何かどうしても聞きたいことがあるんじゃないのか? おれじゃなくて、お前にしか知らないことを聞きたいんじゃないかと思うんだが」
パンを食べ終わった次男はバターのついた手を舐める。
「オリガ様が私を、ですか」
普段は滅多な事では動じない中年の部下だったが、姉が自分を探しているという事実を聞いて戸惑っている。特に尋ねられることの心当たりも無いので、姉が何を聞きたいのか計りかねている。
「そこでだ」
次男はフォークをつかみ、ハーブを練り込んだソーセージに突き刺す。
「お前には引き続き屋敷の外の警護を頼みたい。お前にはわざとオリガに会わないようにしてもらいたいんだ。そうすればオリガもいずれは音を上げておれを頼って来るに違いない。おれを頼みにするに違いないんだ。なぜならお前の居場所を知っているのは、おれだけだからな」
得意げに話しソーセージをかじる。
「はぁ」
中年の部下は釈然としない表情で返事をする。
「しかしそれでしたら、わざわざそのような面倒なことをせずとも、若がオリガ様に直接お尋ねになればよろしいのではないのでしょうか? それとも私がオリガ様に直接お会いすれば話は早いのではないでしょうか?」
次男は食べていたソーセージを飲み下し、口を開く。
「わかっていないなあ、お前は。これは男女の恋の駆け引きなんだよ。先に折れた方が負けなんだよ。おれもオリガもどちらが先に音を上げるか、どちらが先に折れるか、お互いに様子を伺ってるってことさ」
そんなものだろうか。
結婚した経験があり、子どもまでいた中年の部下にとって、初めて聞く話だった。
「だからおれから折れる訳には行かないんだ。オリガが音を上げて、おれに頼って来るまでじっと待っているんだ」
中年の部下はふと考える。
「もしや若が今朝の朝食をオリガ様と一緒に取られなかったのは、そういった理由からですか?」
次男はよくぞ聞いてくれたとばかりに目を輝かせる。
「そうさ。これでオリガに揺さぶりを掛けて、不安にさせようって寸法さ。オリガも素直じゃないからさ。おれと会えなくて、今頃寂しがってるんじゃないかなあ。おれに泣き着いて来るのも時間の問題じゃないかなあ」
そんな都合よく行くだろうか。
ああ見えて、姉は一度こうと決めたら意地でも動かないところがある。
それはこれまでの姉の行動で次男もよくわかっているはずだ。
中年の部下は口には出さないが、次男ほど楽観的には受け取れなかった。
姉が中年の部下を探している理由だって、恐らくはどうしても聞きたいことがあって探しているに違いない。
どうして次男では無く自分を、と言う疑問は残るが、それについてもきっと姉なりの理由があるに違いない。
「しかし、若もお父上の誕生パーティーまであまり時間が無いのではないのですか? オリガ様とのことをそれほど悠長に構えている時間は無いと思いますが」
そこは次男も痛いところらしく、途端に表情が渋いものに変わる。
ふて腐れたようにそっぽを向く。
「あまり時間が無いことくらい、わかってるさ。でもようやくオリガがおれに心を開くようになったんだから、少しくらいオリガとのやり取りを楽しんだっていいだろう?」
どうやら次男は次男なりに考えているらしい。
「わかっているのなら良いのです」
中年の部下は執務机に頬杖をついてフォークを手で弄んでいる次男を見つめる。
「御用はそれだけでしょうか?」
「うん」
次男は気の無い返事をする。
「では警備に戻ります」
中年の部下は次男に一礼して、執務室を出て行く。扉を閉める直前、部屋の中の次男を省みる。
次男はぼんやりと窓の外を眺めている。
扉を閉めて、廊下を歩き出す。
「やれやれ、若ももう少しオリガ様に対して素直になられた方がいいと、私は思うのですがね」
小さな溜息と共につぶやいた言葉は、静まり返った朝の空気に溶け消えていった。




