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姉と弟  作者: 深江 碧
十四章 悪夢
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悪夢21

 辺りに使用人たちが集まっている。彼らは口々に噂話をしている。

 姉は少し離れたところから彼らを見守っている。

「あの」

 姉が使用人たちに近寄っていくと、彼らはいっせいにこちらを振り返る。

「人殺し」

「人殺しだわ」

 ざわめきと共に使用人たちが姉に冷たい視線を投げかける。

「あの人がバレンチナを殺したのよ」

「あの人がお屋敷に来なければ、こんなことにはならなかったのに」

「全部あの人のせいよ」

 使用人たちは口々にそう言って、姉に指を突きつける。

 その中には若いメイドの姿もある。

 若いメイドは目に涙を溜めて、大声で叫ぶ。

「全部、オリガ様のせいよ! オリガ様がいなければ、バレンチナは死なずに済んだのよ。オリガ様がお屋敷に来たから、こんなことになったのよ」

「わ、わたしは」

 姉は言いつくろおうとしたが、口を閉ざす。

 ただ黙って青い瞳で口々に罵る使用人たちを眺めている。

 姉が立ち尽くしていると、背後からくぐもった声が聞こえてくる。

「そうよ、あんたのせいよ。あんたさえいなければ、こんなことにはならなかったのに」

 姉が後ろを振り返ると、そこには元メイドが血まみれで立っている。

 手には大振りのナイフを握りしめている。

「あなたは、生きていたのですか?」

 姉は全身から血の気が引く。

 あの夜、元メイドは頭を撃ち抜かれて死んだはずだった。

 それがこうして再び姉の前に立ちはだかっている。

 姉は一歩二歩後ずさったが、すぐに背中に壁が当たってしまう。

「い、いや」

 姉はゆっくりと頭を振る。

 悪い夢なら早く覚めて欲しいと強く願う。

 元メイドは姉に歩み寄り、大振りのナイフをゆっくりと振り上げる。

「あんたさえいなければ!」

 鈍く光るナイフの切っ先が姉の頭めがけて振り下ろされる。

 姉は悲鳴と共にベッドで目を覚ました。

 ベッドで目覚めた時、姉は全身にびっしょりと汗をかいていた。

 早鐘のように打つ心臓の鼓動が、耳の奥で大きく聞こえる。

「ゆ、夢、良かった」

 姉は青い目に涙を溜めて、安堵の息を吐き出す。

 両手で自分の体を抱きしめ、まだ生きていること実感する。

 暗い部屋では暖炉の炎が赤々と光を投げかけている。

 時々小さな火の粉を巻き上げ、赤い光が踊っている。

 姉の横顔も赤い光に照らされている。

「オリガ、何かあったのかい? 随分うなされていたようだけど」

 すぐそばから声がして、姉の顔に影が落ちる。

 顔を上げるとすぐそばに次男の顔がある。

 深緑色の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。

「いえ、そんな大したことではありません。ただ、悪い夢を見ただけです」

 姉は両手で体を抱きしめ、再びうつむく。

 あの時のことを思い出すと、まだ震えが止まらない。

 あの夜の記憶は姉の脳裏に深く刻まれている。

 あの時の出来事は決して忘れることが出来ず、姉が一生背負って行かなければいけないと思っている。

 姉が震えながら黙り込んでいると、ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐる。

 次男がいつも付けている柑橘系の香水の匂いだ。

 金色の髪が姉の視界いっぱいに広がる。

 次男が優しく姉を抱きしめている。

「そんなに震えて、よっぽど怖い思いをしたんだね。でももう大丈夫だよ。これからはおれが君のそばにいるよ。君にこれ以上怖い思いをさせないように。そばで守ってあげるから」

 次男はまるで子どもあやすような優しい声で姉に語りかける。

「アレクセイ兄さま」

 姉は父に抱かれているような穏やかな気持ちになる。

「わたしを気遣ってくれてありがとうございます、アレクセイ兄さま」

 姉は穏やかな気持ちで次男の胸元に顔をうずめる。

 ゆっくりと目を閉じる。

 そうしていると、先程までの緊張や恐怖が消え去っていくようだった。

 姉は徐々に落ち着きを取り戻す。気持ちが和らいでいく。

 どのくらいそうしていただろう。

 頭上から再び次男の声が聞こえる。

「少しは落ち着いたかい?」

 姉はゆっくりと顔を上げ、わずかな名残惜しさを感じながら体を離す。

 顔を動かして次男の顔を見上げる。

「はい、取り乱してしまいすみませんでした。ありがとうございます」

 名残惜しく感じたのを照れくさく思って、姉は指で黒髪を整える。

 次男は穏やかな表情で姉を見下ろしている。

「それなら良かった」

 次男は深緑色の瞳を細め、屈託なく笑っている。

 その笑顔があまりにまぶしくて、姉は頬を赤らめ青い瞳を次男から逸らす。

「は、はい、もう大丈夫です」

 次男から少しでも離れようと、体の位置をずらす。ベッドの端へと移動する。

 いつもならばこんな気持ちにはならないはずなのに、今夜は妙に落ち着かない。

 ついつい目の前の次男を意識してしまう。

(きっとあんな悪夢を見たせいよね。だから気分が落ち着かないのよ)

 姉は自分にそう言い聞かせて、胸に手を当てて気分を落ち着けようと努める。

 先程の恐怖は遠のいたが、今度は別の意味で心臓の鼓動が早くなる。

 姉が体を離し、視線を逸らして黙り込んでいると、心配そうに声が掛けられる。

「どうしたんだい、オリガ。顔色が悪いみたいだけど、まだ気分が悪いのかい?」

 次男が心配そうな表情で覗き込んでくる。

「い、いえ、そう言う訳では」

 姉はすぐそばに迫った次男の顔を、その青い瞳でまじまじと眺める。

 今更ながら違和感を覚える。

 彼はこんな顔だっただろうか。

 すっと通った鼻筋。優しげな目元。顔立ちは整っていて、気品さえ漂ってくる。

 深緑色の瞳には知的な色を湛え、金色の流れるような長い髪を後ろで一本に束ねている。

 父親に似ているようにも見えるし、弟にも似ているように思う。

(これは本当にアレクセイ兄さまなの?)

 以前、夜会で出会ったはずの彼は、こんな顔立ちをしていただろうか。

 その時はあまり興味も無かったので、しっかりと彼の顔を見ていた訳では無い。

 社交界ではあまりに多くの人々の名前と顔を覚えなくてはならないため、姉は大雑把な顔立ちと経歴を覚えているだけだ。

 特に重要な人々だけは特別だが、次男に対してもその経歴とおぼろげな顔立ちしか覚えていなかった。

(これは本当に兄さま本人なの?)

 そのため久しぶりに見る次男がこのような顔立ちであったかよく覚えていない。

 目の前にいるのが次男本人である確証が持てない。

「アレクセイ、兄さま?」

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