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姉と弟  作者: 深江 碧
十四章 悪夢
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悪夢17

 夜の闇の中に振る白い雪は、まるで闇の中に咲く一輪の白い花のようだ、と弟は思う。

 その幻想的な光景を眺めていると、ひと時現実の辛さを忘れる。

 自分の置かれている立場を忘れることが出来る。

 部屋の窓から外を眺めていた弟は、酒の入ったグラスを傾け飲み下す。

 喉に焼けるような感触がひろがる。

 グラスを近くのテーブルの上に置く。

 今夜ワタリガラスが持ってきた酒は、かなり度数の高い酒らしく、ワタリガラスは早々に酔いつぶれた。

 今は赤々と燃える暖炉のそばのソファの上で大いびきをかいている。

 あの夜以来、ワタリガラスは度々弟の部屋に酒を持ち込み、晩酌をするようになった。

 話すのは仕事の不満、好きな女のこと、情報屋たちを取りまとめている大ガラスの親父のこと、人間関係、他愛ない雑談がほとんどだった。

 いつも一方的に話すのはワタリガラスの方で、弟は聞き役に回るのが常だった。

 弟はあまりワタリガラスに心の内を打ち明けることは無い。

 自分でもそれを不思議に思う。

 しかしいくら我慢強い弟でも、仕事に対する不満や人間関係に対する不信はある。

 今までは誰にそれを話していただろう。

 そういったことを胸の奥に溜めておける性格だっただろうか。

 思い返してみると、不平不満は言葉を濁して姉や家族に対して話していたかもしれない。

 血の繋がらない家族は彼の心を優しく包み込んでくれていた。

 姉や両親が、今までの彼を支えていたのだ。

 弟は姉との唯一の繋がりであるハンカチを取り出す。

 ペンダントを贈ったお返しとして、姉にもらったハンカチだ。

 そのハンカチはいつも肌身離さず持ち歩いている。

 ハンカチの中には姉が入れてくれたスミレの押し花が入っている。

 鼻を近付けると微かな花の香りが残っている。

 夜の闇の中に浮かび上がる白い雪を見て思い出した。

 闇の中に浮かぶ雪は、まるで自分の心を照らしてくれる姉のようだと。

 自分自身の心が黒に染まり切らないのは、純白の姉の存在があるからだと。

 姉と離れ離れになってから、自分の心が鈍くなったのは自覚している。

 何事にも無関心になり、あまり心を動かなくなったのには気付いている。

 このままでは姉や家族と出会う前の冷徹な暗殺者に戻ってしまうのだろうか。

 心の無い命令のままに任務をこなす存在になってしまうのだろうか。

 そんなことになれば、姉と再会した時果たして自分と気付いてくれるだろうか。

(姉さん)

 姉のことを思うと、心が痛む。

 この心の痛みを感じるということは、喜ぶべきことかもしれない。

 もしもこのまま独りでいたら、心が痛むことさえなくなってしまうかもしれない。

 それは喜ばしいことなのか、悲しむべきことなのか。

 このままでいたら、そのうち何もわからなくなってしまうだろう。

(姉さんに、会いたい)

 弟は姉からもらったハンカチを胸に抱いて、せめて姉の姿を頭に思い浮かべる。

 思い浮かべる姉の姿は、いつも穏やかに笑っている。

 弟は目を閉じ、ひと時想像での姉との出会いを噛みしめる。

 しかし想像では、姉に触れることも出来ず、優しい言葉も掛けてはもらえない。

 ただ穏やかに笑っている姉しか、今の弟には想像することは出来ない。

 想像上ではこれが限界だった。

 もしも姉に実際に会うことが出来たら、どんなに幸せだろう。

 きっと弟を心配し、気遣うような優しい言葉を掛けてもらえるだろう。

 実際に姉に会って、触れることが出来たら、どんなに満ち足りた気持ちに満たされるだろう。

(もしも姉さんに会えたら)

 弟は希望を胸に、再会する時のことを想像してみる。

 きっと姉は弟を見つけて、喜んで駆け寄って来るだろう。

 久しぶりの家族の再会に感激して、抱きしめてくれるかもしれない。

 姉の体は温かく柔らかくて、まるで毛布にくるまれたような安堵感に包まれるだろう。

 弟の任務でつけた怪我を目ざとく見つけて、心配したしなめるだろう。

 それ以上のことは望んではいけない。

 しかしもしも姉が弟に異性としての好意を抱いてくれたら。

 家族以上の存在だと思ってくれていたら、それ以上のこともあるかもしれない。

 姉は弟の頬に心配そうに手で触れ、その怪我を見ようと顔を近付けてくる。

 その体からは甘くいい匂いがして、姉の顔が近付いてくる。

 二人の鼻先が触れ合い、熱い吐息がこぼれる。

 唇が重なり、柔らかな感触に弟は心が満たされる。

 もしそうなったら、姉が自分を好きになってくれたら、それはとても幸福なことだろう。

(僕は何を馬鹿なことを考えているのだろう)

 弟は姉に対する考えを振り払う。

 ゆっくりとまぶたを開ける。

 急に現実に引き戻される。

 窓の外には真っ暗な夜の闇が広がっている。

 雪の白さも闇に飲み込まれてそれほど目立たない。

 その心にどうしようもない孤独感が押し寄せる。

 本当に心が凍っていくのではないかと不安に感じる。

(もしも姉さんと一緒にいることが出来たら、姉さんに想いを伝えることが出来たら、姉さんは僕を愛してくれるだろうか?)

 ちらちらと降り積もる白い雪を眺めながら姉の姿を思い浮かべる。

 姉の隣に立つ自分の姿を想像してみる。

(でも、それは無理なことだ。姉さんには他に相応しい男性がいる)

 相応しい男性、と言って、次男の姿が真っ先に思い浮かぶ。

 弟はそんな自分に腹が立つ。

(いや、姉さんにはあいつ以外に、もっともっと相応しい男がいる。優しくて格好良い姉さんにぴったりな相手がいるさ)

 弟はハンカチを大切に懐に戻し、テーブルの上のグラスを取る。

 今夜はこのまま酔いつぶれて寝入ってしまいたい気分だった。

 弟は強い酒をグラスになみなみと注ぐと、それを一息に飲み干した。

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