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姉と弟  作者: 深江 碧
十四章 悪夢
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悪夢16

 姉は部屋のソファに座り、黙々と編み棒を動かしていた。

 頭をよぎるのは先まで部屋にいた次男とのやり取りの出来事。

 ――君には既に心に決めた相手がいるみたいだからね。

 次男は弟からもらったペンダントを姉に返しながらそう言った。

 姉はそのペンダントをもらった相手が弟だと、とっさに答えられなかった。

 そのため姉に想い人がいると勘違いされたのだ。

 ――邪魔者は大人しく身を引くことにするよ。

 次男の言葉が姉の胸に突き刺さる。

 姉の行動が原因で、今まで親切にしてもらった次男を結果として傷つけることになってしまった。

 あの時姉が次男の言葉を否定できなかったために、その親切心に傷をつけてしまった。

 恩を仇で返すような結果になってしまった。

 次男の厚意を踏みにじってしまった。

 姉は編み物をしながら、大きな溜息を吐く。

(わたし、ひどい女ね。アレクセイ兄さまは両親を事故で亡くし、目の見えないわたしにこんなにも親切にして下さったのに。本当であればわたしはそのご恩に報いるために、兄さまに身も心も捧げてお仕えしなければならないのに)

 つい先の次男とのやり取りについて考え込んでしまい、気分が落ち込んでいく。

 溜息を多くなってしまう。

 部屋の中ではメイドの少女がせわしなく立ち働いている。

 ベッドメイキングや掃除を一人でこなしている。

 姉は編み棒を動かす手を止め、先程の次男との関係を考えてみる。

 もしもあの時、姉が次男の婚約を受け入れる返事をしていれば、結果は違ったかもしれない。

 あの時次男の愛を受け入れていれば、次男の気持ちを傷つけず、喜んでくれたかもしれない。

(もしも、わたしがあのまま兄さまを受け入れていたら)

 姉は次男とのキスの先の行動を考える。

 夜のベッドの上で裸で抱き合う姉と次男の姿が頭をよぎる。

 その生々しい淫らな想像を姉は慌てて頭から振り払う。

(や、やっぱり駄目よ。そ、そんな結婚前の男女がそんなことしていいはずが無いわ。わたしがそんなことしたら、天国にいる父さんも母さんも悲しむに決まっているわ)

 姉は顔を真っ赤にして両手で頭を抱える。

 泣きそうな気持になる。

(やっぱり、兄さまには悪いけれど、あの時はあの返答以外出来なかった。そのせいで兄さまを傷つけてしまったのはいけないことだとは思うけれど)

 落ち込みそうになる気持ちを、姉は奮い立たせる。

 首元に下げているペンダントの鎖をつまみ、服の外に出す。

 ふわりと清涼な百合の香りが鼻孔をくすぐる。

 ペンダントを手の平の上に置いて、指で触れて観察してみる。

(元々兄さまに隠し事をしていたわたしが悪いんだわ。兄さまはそれが気に入らないんだわ。あの時わたしがペンダントは弟からもらった物だと言えば良かったのに。そうすれば兄さまの気持ちを傷つけることはなかったかもしれないのに)

 百合の固い彫刻が指先に当たる。

 姉は両手でペンダントをそっと握りしめる。

(そもそもわたしが兄さまの婚約のお返事をもっと早く出来ていれば。わたしの決断が遅いばかりに、あんなにも兄さまをお待たせすることになってしまった)

 姉はペンダントを再び服の下にしまう。

 服の上から胸の辺りをなぞる。

(せめて、わたしの目が見えれば、兄さまに違ったご恩返しの方法もあったかもしれないのに)

 いくら考えても、溜息が多くなるばかりで姉の気持ちが晴れる訳では無い。

 それに仲が良かったと思っていたメイドが、急に辞めたことにも姉はショックを受けていた。

 姉は編み棒を手に取り、編み物を再開する。

(マリアさんがメイドを辞めていたなんて。わたしには何も言ってくれなかった)

 姉はソファに座り、黙々と編み物を続ける。

 編み棒を動かしながら白い毛糸が籠の中を転がっている。

(どうして話してくれなかったのかしら。わたしの意識がなかったから? それともわたしが寝込んでいたから遠慮したのかしら。急いで決めなければならなかったのかしら)

 気が付けばそばには仕事を終えたメイドの少女が立っている。

 マリィという新しく身の回りの世話をしてくれるメイドは落ち着かない様子で、姉のそばに控えている。

 じっとしているのが落ち着かないのか、姉に話しかける。

「ねえ、オリガ様。ようやく医師の許可も下りましたし、そろそろ部屋から出られてはいかがでしょうか。ご気分が優れないのか、先程から溜息ばかりしていらっしゃいますよ? 部屋に籠られてばかりでは、また体調が悪くなってしまわれますよ?」

 姉は編み物の手を止め、顔を上げる。

 メイドの少女の提案はもっともだと思う。

 これ以上部屋にいても、次男とのことや辞めて行った若いメイドを思い出し、気持ちが滅入るだけのような気がする。

「どちらか行きたいところはありませんか? オリガ様がよく行かれていた温室などいかがでしょうか」

 メイドの少女が明るい声で問いかける。

 姉は大きくうなずく。

「そうね、そうしましょうか。マリィさん、温室までの付き添いを頼めますか?」

 姉は編み棒を籠に入れ、ソファから立ち上がる。

「はい、喜んで」

 やはり部屋の外に出たかったらしい。

 メイドの少女の弾む声が聞こえる。

 そのあからさまな幼い態度に、姉はくすりと口元に笑みを浮かべる。

 メイドの少女は姉の手を取って、先に立って歩き出す。

「オリガ様、どうぞこちらへ。お足もとにお気を付け下さいね」

「えぇ、ありがとう、マリィ」

 姉は片手に杖を持って、メイドの少女にうながされるままに歩く。

 部屋から出て、廊下の厚い絨毯の上を足音も無くゆっくりと進む。

 姉の手を引きながら、メイドの少女がほうっと息を吐き出す。

「やっぱりオリガ様はおきれいです。手も肌も真っ白ですし、髪も長く艶やかな黒髪で。どおりでアレクセイ様が夢中になる訳ですね。アレクセイ様と並んで歩かれたら、さぞかし周囲の目を引く美男美女のカップルになると思いますよ」

 そのあまりに素直なメイドの少女の物言いに、姉は戸惑う。

「そ、そんなことは、ありません。わたしなんてそんな大したことは、無いんです。それにアレクセイ兄さまの隣を歩くなんて、わたしにはそんな資格は」

 姉は目を伏せ、うつむく。

 次男の名前を出されると、不思議と胸が痛む。

 姉の唇に先程の次男とのキスの感触が生々しく思い出される。

「わ、わたしなんて、そんな」

 姉は顔を赤らめ、首を横に振る。

 メイドの少女は身を乗り出してなおも言い募る。

「えぇ~? そんなことないですよ。オリガ様は私が出会って来た人の中で五本の指に入るぐらいの美人ですよ。それに体型だって抜群じゃないですか。美人でナイスバディだったら、アレクセイ様じゃなくてもどんな男性でも振り向きますよ。オリガ様もそんな謙遜されなくてもいいのに。もっと自信を持って下さいよ」

 姉は顔を赤くして、小さくなっている。

「わ、わたしはそんなことは」

 小声で話したがメイドの少女には聞こえないようだった。

「あ~あ、わたしもオリガ様の十分の一でも美人だったらなあ。このそばかすが無くて、赤ら顔じゃなければなあ」

 メイドの少女はうらやましそうに姉をじろじろと眺めている。

 目の見えない姉には、メイドの少女がそばかすで赤ら顔かどうかはわからない。

 そのため否定も肯定も出来ない。

 そんな時、廊下で中年の部下が歩いて来るのとすれ違う。

「これはオリガ様、どこかへ行かれるのですか?」

 中年の部下の問いに、姉はつい自然にこんな言葉が口をついて出る。

「はい、これから温室に行こうかと思いまして」

「そうですか、オリガ様も随分とお元気になられたようで良かったです」

 中年の部下は普段通りの穏やかな声で返す。

「ご心配をおかけしました。こうして元気になれたのも皆さんのおかげです」

 姉は感謝の気持ちと共に胸の前で両手を組み合わせる。

 色々なことで関わりが出来たせいだろう。

 今日はいつも以上に中年の部下が気遣ってくれているように思える。

「そうですか、それは良かった。しかしまだご無理は禁物です。近くに使用人がいるので大丈夫とは思いますが、体調に変化がありましたらすぐに近くの者に声を掛けて下さい」

「はい、ありがとうございます」

 姉がお礼を言うと、中年の部下も頭を下げる。

「では、私はこれで」

 中年の部下に礼を返して、姉もおもむろに歩き出す。

 隣ではメイドの少女が話しかけてくる。

「温室では今はどんな花が咲いていますかね? オリガ様のお好きな香りの良い花が咲いているといいですね」

 ある程度歩いたところで、中年の部下に次男のことで聞きたいことがあったのだと気が付く。

 姉は慌てて立ち止まり、背後を振り返る。

「イーゴリさん?」

 姉は声を掛けたが返事は返ってこなかった。

「イーゴリさんなら、もう行ってしまいましたよ?」

 メイドの少女が不思議そうに首を傾げる。

「マリィさん、イーゴリさんがどちらに行ったのかご存知無いですか?」

「さぁ」

 姉は尋ねたが、メイドの少女は首を傾げるばかりだった。

 結局その日はそれ以来、中年の部下に出会うことは出来無かった。

 姉は憂鬱な気持ちのまま一日を終え、床に就いた。

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