表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉と弟  作者: 深江 碧
一章 姉視点
2/228

姉視点1

その時のことはよく覚えていない。

 車が何かにぶつかったような強い衝撃、ガラスが割れるようなものすごい音がして、目の前が真っ暗になった。

 気が付けば病院にいた。

 ベッドに横たわっていた。

 周囲は薄暗く、近くから人の声が聞こえる。

 そこが病院だとわかったのは、薬品の臭いと、何かの電子音が聞こえるせいだった。

消毒液の臭いが鼻につく。

 ――今は朝なの?

 彼女はわずかに顔を動かし、声のする方を向く。

 目を凝らし、そちらを見ようとする。

 しかし目を凝らしても、視界ははっきりしない。

 ぼんやりと明るく見えても、人影や物の影が見えてこない。

 彼女は手で自分の目の辺りに触れる。

 そこには幾重にも巻かれた柔らかい布の感触がある。

 ――そっか。包帯を巻いているから。

 彼女は納得する。

 そのうちに彼女のベッドの周囲が騒がしくなり、幾つもの足音が近づいて来る。

「――さん、目を覚ましたようね。気分はどう?」

 低いけれど優しそうな女性の声が聞こえる。

 姿は見えないけれど、その人が彼女を診てくれた女医なのだろう。

「はい。頭が少しぼんやりするけれど、どこも痛いところはないです」

 彼女ははきはきと答える。

 少し体中が痛く、思うように動かなかったが、特に痛むところはなかったので、嘘ではないだろう。

「そう。それは良かった」

 女医からの質問はそれだけだった。

 足音が遠ざかっていく。

 彼女は少しがっかりした。

 他にも聞きたいことはたくさんあったのだが、どうやら女医にそれを聞く暇はないようだった。

 仕方なく彼女はベッドに横になり、別の誰かが来ないかと、物音に耳をすませる。

 それから間もなく、廊下を一つの足音が近づいてくる。

 部屋の扉が勢いよく開かれる音がする。

「姉さん!」

 それは彼女のよく知る声だった。

 彼女の弟の声だ。

 彼女はベッドに上半身を起こす。

 弟は息を切らして彼女に駆け寄ってくる気配がする。

「姉さん、怪我はない? どこか痛いところは?」

 弟は彼女の手を取る。

 強く握りしめる。

 弟の手は震えていた。

 よほど姉である彼女のことを心配していたのだろう。

 彼女は弟を力づけるようににっこりと笑う。

「わたしは大丈夫よ」

 弟の心配を少しでも減らそうと努める。

「よかった」

 彼女の手が弟の手に引っ張られる。

 どうやら安心した弟が床に座り込んでしまったらしい。

 彼女は声を立てて笑う。

「大げさね。わたしはこの通り、ぴんぴんしてるわよ」

 そこで彼女はかねてから疑問に思っていたことを尋ねる。

「ねえ、――。父さんと母さんはどこにいるの? 確か、わたしと一緒に車に乗っていたと思うのだけれど」

 彼女は弟の名前を呼ぶ。

 不思議そうに首を傾げる。

 彼女はこの病院に来る少し前のことを思い出そうとしたが、駄目だった。

 まるでその部分の記憶だけぽっかりと抜け落ちてしまったかのようだった。

「――なら、知っているんでしょう? わたしはどうしてこんなところにいるの?」

 彼女は何気なく尋ねる。

 まだ頭がぼんやりとして、事態がよく呑み込めなかった。

 一瞬、弟が言葉に困っているような気配がした。

 彼女は弟の顔が見えない。

 そのため弟がどんな表情をしているのか見えなかった。

「姉さんは、事故にあったんだよ」

 絞り出すようにつぶやく。

「姉さんたちの乗っていた車は事故にあって、怪我をした姉さんはこの病院に運び込まれたんだ」

 弟の言葉を聞いて、彼女は徐々にその時のことを思い出してくる。

 ――そう。あの時、わたしは両親と一緒に車に乗っていて。それで。

 その時のことが走馬灯のように頭を駆け巡る。

 ――赤信号で止まっていたところに、トラックが突っ込んできて。

 人の悲鳴。

強い衝撃。

ガラスの割れる音が響き、そこで彼女の記憶は途切れる。

 ――わたし、車の事故にあったんだ。

 彼女は無意識のうちに手で額を押さえる。

 やはり額にも包帯が巻かれている。

 彼女はぱっと顔を上げる。

「ねえ、父さんと母さんは? わたしと一緒に病院に運び込まれたんでしょう? どこにいるの?」

 矢継ぎ早に弟に尋ねる。

「それは」

 弟は口ごもる。

 彼女は最悪の考えに思い至り、血の気が引く。

 考えを振り払うように首を横に振る。

「き、きっと父さんと母さんは、怪我の治療でたまたま会えないだけだよね? 怪我が治れば、また会えるよね?」

 彼女は弟がいるだろう虚空を見つめる。

 目に包帯を巻いている彼女には、弟がそこに立っているだろうことをぼんやりと感じ取ることしか出来なかった。

「姉さん」

 弟の躊躇うような響きは、彼女の最悪の考えが当たっていたことを示していた。

「父さんと母さんはその時の事故で亡くなったんだ。葬儀は半月前に行って、その間姉さんはずっと意識を取り戻さなかった。半月の間眠ったままだったんだ」

 弟の言葉に、彼女は言葉を失う。

「うそ」

 かろうじてそれだけを口にする。

 彼女は頭を強く殴られたような衝撃を受けた。

 目の前が真っ暗になる。

 包帯を巻いた目の辺りが熱くなり、涙があふれてくる。

「そんな、父さんと母さんが亡くなって、わたしだけが、助かったの?」

 優しかった父と母の面影が脳裏に浮かぶ。

 彼女は急に体から力が抜ける。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ