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姉と弟  作者: 深江 碧
十四章 悪夢
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悪夢12

 元メイドのナイフの切っ先が姉の体に触れるよりも早く、部屋に乾いた音が響く。

 まるで風船が割れるような音。

 一瞬にして部屋からすべての物音が掻き消える。

 目の見えない姉はその音が耳の奥でまだ反響している。

 体を固くして身構えていた姉は、いつまでたっても痛みが襲ってこないのを不思議に思う。

(何が起こったの?)

 その音がして数瞬後、元メイドが手に持っていたナイフが落ちる。

 音を立てて絨毯の上に突き刺さる。

 その音からして、姉のすぐそばに落ちたようだ。

 どこにも痛みがないことから、かろうじて姉の体の上には落ちなかったようだ。

 姉は元メイドに蹴られたお腹をかばうように体を丸めたままだ。

 息を詰めて絨毯の上で動けないでいる。

 辺りの様子を確かめようにも、姉の耳に物音が戻らない。

 空気を震わせたあの乾いた音が耳の奥に残っている。

 次男が信じられないものを見るかのように深緑色の瞳を見開いている。

「バレン、チナ?」

 ゆっくりと元メイドの体が力を失い、傾いていく。

 元メイドの異変に最初に気が付きその名を呼んだのは、若いメイドだった。

 若いメイドは頭から血を流す元メイドの姿をじっと見つめている。

 皆の目の前で元メイドは頭から大量の血を流し、ゆっくりと床に崩れ落ちていく。

 どさりと重たい音がして、元メイドが絨毯の上に倒れる。

 絨毯の上に見る間に鮮血が広がって行く。

 姉の倒れているそばからはむせ返るような血の匂いが漂ってくる。

 絨毯は血に染まり、真っ赤な鮮血があちこちに飛び散っている。

 目の見えない姉にはわからなかったが、両目を見開いて見つめている次男には頭を撃たれた元メイドが絶命していることがわかった。

「バレンチナ」

 擦れた声でつぶやく。

 それをきっかけに若いメイドは両手で口元を覆い、恐怖に顔を引きつらせる。

「いやあああぁぁぁぁ!」

 若いメイドは声を限りに絶叫する。

 青い顔で声の限りに叫ぶ。

 先程の乾いた音は拳銃の発砲音だった。

 そしてその拳銃から放たれた弾丸は、元メイドの額を貫通した。

 たった一発の銃弾がこの事態を一変させ、元メイドの命を奪ったのだった。

 それを物語るように部屋の壁に一発の銃痕と大量の血の跡を刻んでいる。

 次男はのろのろと背後を振り返る。

 銃弾が飛んで来た方角に立っている人物を振り返る。

 部屋の別の扉の前に中年の部下が立っている。

「何とか、間に合いましたか」

 中年の部下はどこか安堵したように表情を浮かべ、手に持っていた拳銃を懐へとしまう。

 次男の方へと歩いて来る。

「バレンチナを、撃ったのか?」

 次男は中年の部下に問いかける。

 中年の部下は次男の問いに答えずに、彼のそばまで歩いて来る。

「若もオリガ様もご無事ですか?」

 中年の部下は淡々と尋ねる。

「おれは、無事だ」

 次男は中年の部下から視線をそらす。

 元メイドのそばに倒れている姉を振り返る。

 姉は体を丸めて絨毯の上に倒れ、かろうじてこちらに顔を向けている。

「オリガ、大丈夫か?」

 次男はすぐに姉のそばにしゃがみ込む。

 姉は小さくうなずいて、無理に笑う。

「はい、わたしは大丈夫です」

 蹴られたお腹は痛み、両腕も鈍く痛んでいるが、恐らくは大丈夫だろう。

「そうか。良かった」

 次男は安堵の息を吐き出す。

 そして視線を隣へと移す。

 そばに横たわる元メイドも頭から大量の血を吹き出して倒れ、血の海を作っている。

 その出血量は多く、近くにいた次男も姉も返り血で服が赤く染まっている。

 絨毯や部屋全体からむせ返るような血の匂いが漂ってくる。

 頭を撃たれた元メイドは恐らくもう生きてはいまい。

 即死だったかもしれない。

 それくらいの出血と得体のしれない何かが元メイドの頭から流れ出ている。

 人の体の中にこんなにも血が流れていたのかと思われるほどの、おびただしい量の血が絨毯を赤く染めている。

 次男は姉に視線を落としたまま尋ねる。

「お前が、撃ったのか?」

 次男の背後に立つ中年の部下は眉一つ動かさない。

「はい」

 その返事を聞いて、次男は深い溜息を吐く。

「そうか。バレンチナを殺したのは、お前か」

「どのように受け取って下さっても構いません」

 中年の部下は冷たいとも取れる冷淡な声で答える。

「各々警戒を怠るな。持ち場に戻れ」

 他の部下たちにげきを飛ばす。

「は、はい」

 放心していた部下たちがそれぞれの持ち場に戻って行く。

 まだ部屋の中や屋敷内に何者かが潜んでいる可能性はある。

 この屋敷に侵入することは警備を担当している者がいる以上、元メイド一人では不可能だ。

 元メイドを手引きした何者かがいるはずだと、中年の部下は考えたらしい。

 いつでも拳銃を引き抜けるように、油断なく辺りを警戒している。

 次男は黙って元メイドの血まみれの死体を見下している。

 震える声で中年の部下に言う。

「何も、殺すことはなかったんじゃないのか?」

 中年の部下は次男を振り返り、躊躇うことなく答える。

「もしもあそこで撃っていなければ、若やオリガ様が殺されていたかもしれません。もっと被害が増えていたかもしれません。若はそう仰いますが、私は自分の判断が正しかったと思っています」

「お前は」

 次男はかっとなって立ち上がる。

 中年の部下をにらむ。

「だからって、殺すことは無いだろう? 殺さずに止める方法だってあったはずだ」

 元メイドの死を悲しむような次男に、中年の部下は声音を変えずに淡々と話す。

「若はそう仰いますが、あれしか方法がなかったと私は思っています。あの女性は若の言葉にも、オリガ様の言葉にも、他の誰の言葉にも耳を貸そうとしない様子でした。オリガ様を傷つけ、命さえ奪おうとした事実は変わりません。この屋敷に侵入した事実は変わりません。最早誰の言葉も聞き入れないのなら、私があの女性を殺すしかないと思ったのです」

 中年の部下の冷静な言い分を聞いて、次男は深い深い溜息を吐く。

 金色の髪をがしがしとかく。

「そうか、そうだな。お前はそういう奴だったな。お前は昔からそうだったよな」

 次男はなおも口を開きかけたが、それ以上何も言わなかった。

 すべてに疲れたような深緑色の目で中年の部下から視線を逸らす。

 倒れている姉を見つめている。

 次男の深緑色の瞳には怒りとも悲しみとも取れる微妙な色が浮かんでいる。

「オリガの手当てと、死体の処理。後のことは全部任せる」

「承知いたしました」

 次男はうつむいたまま中年の部下に命令する。

 間もなくして屋敷に医者が到着したと報告が入る。

 こうして姉にとって悪夢のような長い一夜は元メイドの死によって幕を閉じた。

 姉の傷はすぐに医者に診てもらい、出血に比べてそれほど傷が深くないことが告げられた。

 腕や他の怪我も見た目ほど重症では無く、適切に治療し安静にしていれば大丈夫とのことだった。

 安堵とともに気持ちが落ち着いてくると、意識が徐々に遠のいてくる。

 姉の意識はそこで途切れた。

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