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姉と弟  作者: 深江 碧
十四章 悪夢
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悪夢6

 白い腕から血がにじむ。

 腕からぽたぽたとこぼれ落ちた血が絨毯の上に赤い染みを作る。

 それでも姉はひるまない。

 こんなところで脅え、震えているだけでは道が開けないことをよく知っている。

「わたしはあなたに思い通りにはならない。わたしは生きて弟に会うの。こんなところで死んでなんてあげない。わたしは生きるんです」

 姉はすっくと立ち上がり、毅然とした表情で元メイドを見つめている。

 すると今まで笑みを浮かべていた元メイドの表情が一変する。

「何馬鹿のこと言ってんの? あんたは目が見えないんでしょう? あたしに大人しく殺されなさいよ!」

 大振りのナイフを振り上げ、腕で顔をかばう姉に何度も切りつけてくる。

 怒りのために顔を赤くして叫ぶ。

「いい、あんたはここであたしに殺されるの。そうすればあたしの不幸もここで終わるし、アレクセイ様にも愛される。あんたが生きていたらあたしは不幸なままなの。あたしのためにも今ここで死んで、あたしに詫びなさいよ! 目の見えないあんたなんか生きている価値は無いのよ!」

 元メイドの遠慮のない言葉が、姉の胸に突き刺さる。

 しかし今までの辛い体験に比べればこれくらいどうってことは無い。

 そう思えるほど姉は気持ちの面でも強くなっていた。

「な、何よ、あんたなんて。あたしはちっとも怖くないんだから」

 元メイドは切りつけるのを止め、一歩後ずさりする。

 姉は切り傷で血だらけになった腕を下す。

 指の先からぽたぽたと血が滴り落ちている。

 見えない目で真っ直ぐに元メイドを見つめている。

「わたしはあなたのために死ぬなんてまっぴらごめんです。それに生きる価値があるかどうかは、わたし自身が決めます。あなたに指図されるいわれはありません」

 きっぱりした強い口調で答える。

「こ、このクソ女!」

 元メイドの顔が怒りのために赤から黒く変色していく。

 たとえ腕が切り落とされても胸を刺されても、彼女には決して従わないと心に決めている。

 姉の手の平の中には弟からもらったペンダントが握られている。

 弟も姉が生きることを強く望んでいる。

 そして姉に婚約を申し込んだ次男も、何らかの理由で姉を必要としているのだろう。

 姉には次男の心理はよくわからないが、きっとそうなのだろう。

「わたしには、他にわたしを必要としてくれている人たちがいます。その人たちのためにも、わたしは今ここで死ぬ訳にはいかない」

 腕から血を流しながら痛みに耐えながらも、姉は穏やかな表情でいる。

 その強い態度には、ナイフを持っている元メイドの方が怯むくらいだった。

「あぁ、そう。でも残念ね。あなたはここであたしに殺されるのよ!」

 元メイドは自分に言い聞かせるように大振りのナイフを振り上げる。

「さようなら、オリガさま」

 振り下ろす瞬間、姉はわずかにしゃがみ込み、床に落ちた布団をつかむ。

 力の限りその布団を元メイドに向けて投げつける。

 そのまま後ろも見ずに、裸足で駆け出す。

 捕まったら今度こそ殺されてしまうかもしれない。

 姉はひしひしとそんな恐怖を胸に抱く。

「待ちなさい!」

 背後から元メイドの金切り声が聞こえる。

 部屋の扉の場所は目の見えない姉でもわかっている。

 問題は部屋の扉の鍵をどうやって開けるかだ。

 他にも部屋からの逃げる方法は窓から出る方法もあるが、目の見えない姉には雪で凍ったベランダから飛び降りることはとても出来ない。

(どうすれば生き延びられる?)

 姉は必死に考えを巡らせる。

 元メイドに切り付けられた両腕が焼けるように痛い。

 強い血の匂いが漂っている。

 姉が扉に向かいながら早い息遣いを整えるように壁に手をつくと、部屋の明かりのスイッチが指先に当たる。

 その指先のスイッチに触れていい考えが浮かぶ。

(これで多少は時間が稼げるかもしれない)

 一か八かで姉は部屋の明かりをつける。

 真っ暗な部屋が突然真昼のように明るくなる。

「ぎゃあ」

 元メイドは悲鳴を上げる。

 暗闇に目が慣れていたせいだろう。

 一瞬目が眩んで、元メイドはわずかにその場に立ち止まる。

 両手で顔を覆い、立ち尽くしている。

 目の見えない姉にはその影響はほとんどなかった。

 そうしている間に部屋の扉に辿り着く。

 扉の取っ手をつかんだが、やはり鍵はかかったままだ。

 取っ手を動かし扉を叩いたが、扉が開く気配はない。

「あんた、絶対に殺す。殺してやる!」

 明るさに目が慣れた元メイドが背後に迫ってくる。

 元メイドに捕まる時は自分が死ぬ時だと姉は直感的に感じ取る。

(もう、駄目なの? わたしはここで死ぬの?)

 泣きそうな気持で扉の取っ手を回している。

 血だらけの手で扉を叩き続けている。

 元メイドの足音が背後にまで迫ってくる。

 姉は手の中のペンダントを強く握りしめる。

(ここで諦めては駄目。最後まで生き残る方法がきっとあるわ。考えるのよ)

 泣き出し恐怖におののく気持ちを必死に抑え、姉は扉を背にして元メイドと対峙する。

「もういい加減、諦めたらどう? 大人しくすればひと思いに殺してあげるわよ?」

 そう言う元メイドも以前のような気持ちの余裕はないようだった。

 ナイフを持つ手がぶれて、肩で息をしている。

 姉はペンダントを握りしめ、自分を奮い立たせる。

「嫌です」

 強い口調で大振りのナイフを持つ元メイドと向き合う。

 腕から流れ落ちる血が高価な絨毯に赤い染みを作っている。

 元メイドはにっこりと笑う。

「そう。まあどっちにしろあんたの運命は変わらない。あんたはここで死ぬのよ」

 姉はじっと黙り込んでいる。

 ペンダントの鎖を握りしめる。

(もしもあの人がナイフでわたしを刺したら、わたしはこの鎖であの人の首を絞めてやるんだから。わたしはわたしが死ぬ瞬間まで諦めたりしない!)

 姉は強い気持ちで自分を鼓舞する。

 そうしていないと足が震えて動けなくなってしまいそうだ。

 元メイドはじりじりと距離を詰めてくる。

「今度こそ本当にさようなら。オリガさま」

 元メイドはナイフを頭上に構え、姉の頭めがけて勢いよく振り下ろした。

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