悪夢3
弟は燃え盛る暖炉の炎の前で険しい表情を浮かべていた。
暖炉のそばの椅子には仕事の相棒であるワタリガラスが座っている。
「あの女はお前の叔父さんの二番目の息子、アレクセイ・ユスポフのところで働いていた元メイドのバレンチナ。そしてあの女をけしかけたのは…」
弟はあまりの話の急展開についていけない。ワタリガラスの話を途中で遮る。
「ちょっと待て。どうしてそこでアレクセイ・ユスポフの名前が出て来るんだ? それにあの女の素性が元メイドとはどういうことだ? どうしてアレクセイ・ユスポフが元メイドを使って父親を襲わなければならないんだ?」
弟は矢継ぎ早に尋ねる。一方のワタリガラスは渋い顔をする。
「正直俺もあの女がお前の叔父さんを襲った理由はわからない。ただ俺はあの女の素性を調べただけだ。それによるとあの女はアレクセイ・ユスポフの元でメイドとして働いていたという事実。そして今はメイドを辞めさせられて、暇を出されていたということしかわからなかった。どうしてお前の叔父さんを襲ったのかはいまだに謎のままだ」
弟は淡々としたワタリガラスの言葉に閉口する。
「そうか」
ベッドに座っている弟はワタリガラスから視線を逸らす。
ワタリガラスは肩をすくめる。
「問題はあの女をけしかけた奴だ。あの女をけしかけたのは、どうやら黒鷲らしい」
「黒鷲?」
それも弟にとっては思いも寄らない名前だった。
しかし考えてみれば腑に落ちる点がいくつもある。
次男と叔父は他の息子たちに比べてそれほど険悪な関係ではなかったはずだ。
そんな次男が自分の素性のばれるかもしれない人物に頼んで、わざわざ父親を襲わせるだろうか。
しかも元メイドという任務を達成できるかどうか不確実な相手に。
それならばもっと別の相手、それこそどこかの組織の暗殺者に頼んだ方が効率がいい。
それにそちらの方が素性もばれなくて済むし、任務の達成率が高い気がする。
と、ついつい次男の心配をしてしまう。
もっとも彼に姉を頼んだ以上は、それも仕方が無いことかもしれない。
「黒鷲はどうしてあの女を使って、叔父さんの命を狙わなくてはならない?」
弟は率直な疑問を口にする。
「それなんだよなあ」
ワタリガラスは腕組みをして、炎の燃える暖炉の方に両足を伸ばす。
暖炉の薪がぱちりと爆ぜる。
「どうやら黒鷲はどこかの依頼主についているらしい。その依頼主から仕事を請け負って、今のような行動を取っているらしいんだが」
ワタリガラスは言葉を濁す。
その含みのある言い方から、弟はワタリガラスが黒鷲の依頼主について調べがついていないのだと判断する。
「黒鷲の依頼主が誰かわからなかったのか?」
ワタリガラスは首を横に振る。
「依頼主はわかっているさ。お前の叔父さんの息子たちだ。長男に三男に四男。次男以外の三人の屋敷に黒鷲は出入りしている」
それも弟にとっては驚きだった。
同時に三人の依頼主を持ち、三人の依頼を同時にこなせるのだろうか。
話によると叔父の四人の息子たちはお互いに仲が良くないと聞いている。
その仲の悪い息子たちの依頼を同時に叶えることが、果たして黒鷲に可能なのだろうか。
もしもお互いがお互いの不利な情報を調べてこいと言う依頼があったらどうするのだろうか。
それとも黒鷲ならばそれも可能なのだろうか。
基本的に依頼主は一つの依頼に対して一人だとしている弟にとっては、同時に三人の依頼主を持つことが信じられなかった。
ワタリガラスは考え込む弟を見つめている。
「俺は以前にお前に黒鷲に近付くな、と言ったことがあるだろう? つまりそういうことだ。あいつは何を考えているのかわからないところがある。下手に近付くとお前に何らかの危害が及ぶかもしれない。実際に組織内でそういったことがあったんだ。それ以来黒鷲には誰も近付かなくなった」
それでワタリガラスが心配しているのだろうか。
こんなに饒舌に弟に対して話をしているのだろうか。
弟はワタリガラスを見つめる。
それに気付いたワタリガラスは肩をすくめる。
「まあ、俺が変に心配しているだけかもしれないがな。どっちにしろ黒鷲には近付かない方がいいってことだ。あいつは目的のためなら手段を選ばないところがある。組織内でも恐れられている奴だ」
ワタリガラスの言葉に弟は頷く。
「わかった。気を付けるよ」
暖炉の赤い炎が弟の白肌の上で踊っている。
ワタリガラスは素直にそう言った弟を振り返り、にやにやと笑っている。
「今夜はずいぶんと素直だな。何か良いことあったのか? 叔父さんと仲直りしたのか?」
「お前こそ、ずいぶんと饒舌みたいじゃないか。普段からこれだけ説明が上手ければ、僕も苦労しないのにな」
からかいに対してからかいを返す。そんなワタリガラスとのやり取りもいつものことだ。
「さあな」
弟は胸元に手を置く。
服の上から姉にもらったスミレの押し花の入った白いハンカチの感触を確かめる。
姉が弟のペンダントを大事にしているように、弟も白蛇に届けてもらった姉のハンカチが宝物だった。
それはお互いに唯一残った家族の絆を確かめる物だった。
(姉さん元気かな)
弟は窓の方を見る。
外では強い風に雪が吹雪になっているようだ。
窓の外ではごうごうと風が唸り声を立てている。
窓を揺らし雪がつぶてのようにガラスに当たり闇夜を舞っている。
(姉さん)
暗い闇の空の向こうにいる姉に無事を、弟は静かに祈っていた。
 




