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姉と弟  作者: 深江 碧
四章 運命の別れ道
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運命の分かれ道1

 彼女の目に映るものは暗闇だけだった。

 かろうじてぼんやりとした光は感じ取れるものの、そこに何があるのかまではわからない。

 目の見えない彼女にとっては歩くのも不便で、いつも杖をついて壁に手をついて歩いていた。

 彼女は匂いや音の他に触れることによって自分の周りのことを感じ取っていた。

かつて目で見えた頃の記憶があったため、手で実際に物に触り、形や触感を確認し、どんなものであるのか推測することができた。

 彼女は目が見えないと言っても、主治医の話ではリハビリ次第ではある程度歩き回ることもできるようになるし、簡単な手仕事もできるようになる。

毎日の生活は問題なく送れるようになるとも言っていた。

 ただ、今の彼女にはリハビリをする暇はなく、毎日の生活を送れるほどに回復する時間はなかった。

叔父の手から逃れるために、一刻も早く病院から抜け出さなければならなかった。

彼女はどうして自分がそうなったのか、何故叔父に命を狙われることになったのか、十分に考える時間さえ与えられなかった。

ただ彼女は訳も分からず弟と逃げなければならなかったし、二人で逃げる以外に他に選択肢はなくなっていた。

 そんな時彼女を励まし、手を引いてくれたのが弟だった。

 事故に合って両親が亡くなってからというもの、彼女はひどく落ち込んでいた。

そう言われた時、彼女がどれほどうれしかったか、弟の握りしめた手がどれほど心強かったか、彼女は弟に言葉では言い尽くせないほど感謝していた。

両親を事故で亡くし天涯孤独の身となり、叔父から命を狙われ、事故で視力さえ失った彼女は、もはや自分に何らかの価値があるとは思わなかった。

かつては巨大財閥の令嬢だった彼女も、叔父に両親の財産や地位をすべて奪われ、視力も失い、ただのお荷物でしかなくなった。

財産も地位も失った盲目の彼女を、好き好んで世話をしようとする者はいない。

弟が病院に来なければ、叔父が自分の命を狙っていることを知らなければ、彼女は何も知らないままこの病院でその生涯を閉じていたことだろう。

叔父が彼女の命を狙っている話を聞いてから、彼女はずっと考えていた。

自らの死を覚悟していた。

いっそ逃れられない死ならば、最後は誇り高く死のう。

それが彼女に残された最後の誇りであり、叔父に対する唯一の反抗だった。

弟がいなければ、彼女はきっとそうしていただろう。

「姉さん、一緒に逃げよう」

 弟が彼女の手を取ってそうささやかなければ、彼女は自分の死を受け入れていただろう。

 かくして彼女は弟の手を取った。

「あなたと一緒なら、どこへでも」

 弟と運命を共にする覚悟をした。

 この先どんなことがあっても、彼と共に逃げる覚悟を決めたのだ。

 弟が何者かも知らず、どんな困難が行く手を阻んでいるのかも知らず、彼女は叔父から逃げることが最善の方法だとその時は考えていた。

 叔父が彼女の主治医を買収し、彼女を殺そうとしている話を聞いたその日の深夜に、二人は病院から逃げ出すことを計画する。

弟が帰った後、彼女は一人病室に取り残された。

 いつ叔父が彼女を事故にみせかけて殺そうとするかもしれない。

口にするものすべて、近付く人すべてを警戒し、深夜に部屋を訪れる弟を待たなければならない。

 叔父のあんな話を聞いてしまった彼女は、もはや弟以外誰を信用すればいいのかわからなかった。

彼女はひどく混乱していた。

事故で両親を亡くし、目が見えなくなってから、彼女は半月の間ずっと意識を取り戻さなかったという。

目が覚めたら目が覚めたで、親族である叔父からは命を狙われ、弟からは一緒に逃げようと言われ、今はこうして弟が準備を整え迎えに来るのを待っている。

本当に叔父が彼女の命を狙っているのか、本当に弟と共に病院を逃げなくてはならないのか、彼女には事実がどこにあるのかよくわからなかった。

ただ自分が耳にした叔父の言葉を事実だとして、弟を信じて病院を抜け出すしか、今の彼女に選択肢はなかった。

彼女は持ち物はおろか、お金も何も持っていなかったし、現在のところは人の世話なしには生活ができなかった。

彼女は自分の置かれた境遇をよく理解していたから、弟の言葉に従うしかなかった。

彼女はベッドにもぐりこみ、明かりを消して部屋の外の物音に耳を澄ませていた。

もしも病院の看護師や主治医が、薬だと言って、注射や点滴で彼女の体に毒を注入したら防ぎようもない。

そのため、彼女はベッドでふとんにくるまり、ずっと恐怖に震えていた。

逃げることもできず、弟が迎えに来るのをじっと待っていることしかできなかった。

彼女にはとても長い時間のように感じられた。

部屋の窓ガラスが控えめに叩かれ、弟の声が聞こえる。

「姉さん、迎えに来たよ」

 弟の声が聞こえた瞬間、彼女はすぐにベッドから起き上がった。

 床に降り、部屋の壁伝いに歩き、窓の方へと向かった。

 手探りで窓の鍵を探し、それを外す。

 窓を開けると、すぐそばから弟の声が聞こえる。

「姉さん」

 彼女には弟の声がとても懐かしく感じた。

 まるで何年かぶりに再会したかのような気持ちになった。

「――」

 彼女は窓の枠に手をかけ、弟の名前を呼ぶ。

 もう少しで涙がこぼれ落ちるところだった。

 弟が窓から部屋に入ってくる。

 床に降り立つ音がする。

「姉さん、よかった。怪我はない? あいつらに何かされなかった?」

 弟の気遣いに、彼女は首をゆっくりと横に振る。

「ううん、大丈夫よ。それよりも、あなたの方こそ誰にも見つからずにここまで来るのは大変だったでしょう?」

 彼女の病室は三階にある。

 おまけに夜は警備員が巡回していると聞く。

 誰にも見つからずに病院の門をくぐり、建物の壁を三階まで登ってくるのは、さぞかし骨が折れただろう。

 弟はこともなげに答える。

「それほどでもないよ。軍学校に入っていると、訓練でもっと絶壁の岩山を上らされるからね。この建物の方がつかまるところあってまだ上りやすいよ」

 その言葉は本当だった。

 彼にとっては凹凸のある建物の三階まで登ることなど大変でも何でもなかった。

 弟の言葉に、彼女は声を立てて笑う。

「そうなの。それは大変ね」

 さっきまで彼女一人でいたときはあんなにも心細く怖いと思っていたのに、弟がそばにいるだけでこんなにも心強く思える。

 彼女は弟の他愛ない言動にずっと励まされている。

 ――きっと、わたし一人取り残されたら、とても笑うことなんてできなくなっていたかもしれない。何も知らないまま、毎日を泣き暮らす日々を送っていたかもしれない。

 そう考えると、弟の存在にとても感謝していた。

 唯一の家族である弟がいるというだけで励まされた。

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