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姉と弟  作者: 深江 碧
十三章 それぞれの約束
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それぞれの約束15

 その頃、噂の張本人である次男は執務室で盛大にくしゃみをしていた。

「風邪ですか?」

 中年の部下に聞かれ、次男は書類から顔を上げる。

「熱っぽくも、寒気も感じないんだけどね」

 次男は鼻をこすりながら不思議そうに首をひねる。

「ははあ、誰か美しい女性がおれの噂でもしていたかな?」

 次男の軽口を、中年の部下はさらりと無視する。

「それはさておき、彼女の駅からの足取りですが」

「そこは突っ込んでくれないと」

 次男が居心地の悪そうに訴える。

 中年の部下はちらりとそちらを見ただけで、淡々と部下からの報告書を読みあげる。

 例の事件を起こしたメイドのその後について報告する。

「列車に乗ったところまでは確認したのですが、その後、目的の駅で降りた形跡がありません。列車の中も探したのですが、どこにも姿が見えずに姿を見失いました。もちろん目的の屋敷に着いた形跡もありません。相手方の屋敷の老夫婦には私の方で急に来られなくなったと、お詫びを申し上げておきましたが、これは私の責任です。申し訳ありません」

 中年の部下は詫びの言葉を口にする。頭を下げる。

 次男は中年の部下を黙って見ている。

「それについてはおれの方からも老夫婦に謝罪の手紙を出しておこう。お優しい老夫婦のことだ、きちんと謝れば許してくれるさ」

 肩をすくめ嘆息する。

「ここでおれに謝ったところで何も解決しない。頭を上げてくれ、イーゴリ。問題は彼女がどこに行っただけれど」

 次男は顎に手を当てて考え込む。遠慮がちに中年の部下が口を挟む。

「それにつきましては、駅で彼女が接触した怪しい男がありまして」

「男?」

 次男は聞き返す。部下は小さくうなずく。

「はい、素性も名前もわからない男です。黒いコートと帽子を目深にかぶっていたので、顔はよく見えませんでした。その男は彼女と二言三言言葉を交わし、一緒に列車に乗り込んで行きました。その後、彼女の足取りがつかめなくなったのです」

 部下の話を聞いて、次男は窓に視線を向ける。

 窓の外では雪交じりの強い風がガラス戸を揺らしていく。

「彼女はその男と何を話していたんだい?」

 次男の問いに中年の部下は頭を下げる。

「それは、遠くて聞き取れませんでした。私もそばにいましたが、列車が入って来た音に阻まれて」

 次男は窓の外の雪景色を見つめたままだ。深緑色の瞳を細める。

「もしもその男が他の者の関係者なら厄介だな」

 ぽつりと独り言のように次男はつぶやく。

 次男の脳裏には腹違いの長男と四男の顔がよぎる。

 悪い考えを振り払うかのように金髪をかき上げる。

「彼女はこの屋敷の場所を知っている。彼女を使っておれたちに何かしようとするかもしれない。危害を加えようとするかもしれない」

 ひときわ強い風が吹いて、窓のガラスが音を立てる。

 暖炉の炎が揺らめき、薪が音を立てて爆ぜる。

「イーゴリ、引っ越しの準備を進めてくれないか。近いうちに次の屋敷に移る」

「はい」

「どれくらいで準備が整いそうだ?」

 次男の言葉に中年の部下は淡々と答える。

「三日…、いえ、二日あれば次の屋敷に移る準備が整うでしょう。荷物を最低限に絞って、総出で使用人に準備させれば、一日と半日あれば可能でしょう」

 部下の提案に、次男は穏やかな、どこか憔悴したような笑みを浮かべる。

「では頼む。使用人たちには、おれの方から話をしておこう」

「承知いたしました」

 中年の部下は一礼して次男に背を向ける。

「それと引き続き彼女の行方と、接触した男の割り出しを頼む。他の奴らの関係者かもしれない。兄貴や義弟の動きにもくれぐれも警戒しておいてくれ。最大限の人員を集めて、今出来る限りのことをしてくれ」

「承知致しました」

 中年の部下は扉の前で次男に頭を下げて執務室から出て行く。

 執務室には次男一人が取り残される。

 次男は執務室の窓に歩み寄る。

「おれは、女性に対して甘過ぎるのかなあ」

 冷たい窓ガラスの向こうを見る。

 雪で煙る窓の外をぼんやりと眺める。

 この国の冬は長く暗い。

 晴れている日など稀で、ほぼ雪が降ったり曇ったりする日が毎日続いている。

 空気は凍えるほど寒く、雪は冷たく重く折り重なっていく。

 冬の間は憂鬱で暗く、陰鬱な雰囲気が漂っている。

 冬になって何か月が過ぎたと言えども、春はまだ遠く、明るい日差しは当分拝めそうにない。

 次男にとって女性とは、この国の春のようなものだと思っている。

 女性は美しく穏やかで、心を明るくしてくれる。

 安らぎを与えてくれる。

 そのため女性は次男にとっては大事な存在で、大切にするべき相手だと思っている。

「自覚、しているつもりなんだけどな」

 次男は溜息を吐く。窓ガラスには憂鬱そうな次男の顔が映っている。

 自分が女性に甘いことは、部下の指摘が無くて知っていることだ。

 だからと言って、そう簡単に態度や考え方が変わるものでも無く、厳しく出来る訳でも無い。

「やれやれ」

 次男が金髪をかき上げると、額の隅にかつて彼女に殴られた時の傷の跡が見える。

 そんな時、窓の外をちらりと横切るものがあった。

「ん?」

 目を凝らすと、それは人影らしい。

 雪の降りしきる中、誰かが渡り廊下を歩いている。

 厚手の赤いコートに身を包み、黒く長い髪を揺らし、杖をついて一人で歩く後ろ姿は、次男にとって見間違えようも無い。

 今婚約を申し込んだ返事を待っている女性だった。

「オリガ?」

 姉は次男に窓から見られていることにも気づかず、杖をついて温室に続く道をゆっくりと歩いていった。

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