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姉と弟  作者: 深江 碧
十三章 それぞれの約束
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それぞれの約束14

 いつも通り朝食を終えた姉は、若いメイドの付き添いで温室を訪ねた。

 いつものように温室内の散歩道を歩き、噴水のそばのテーブルで熱いお茶をいただく。

 お菓子とお茶を飲みながら、ゆったりと時間を過ごす。

 噴水の水音に耳を傾け、小鳥のさえずりに聞き惚れる。

 それが近頃の姉の日課だった。

 そうしていると不思議と心が落ち着きを取り戻していく。

 暗い気持ちが晴れ、少しずつ勇気が出てくる。

 自分の成すべきこと、進むべき道がわかってくる。

(そう、わたしはこのままでいてはいけない。いつまでもアレクセイ兄さまに甘えてばかりではいけない)

 そう思いつつも、すぐに行動に移せない自分がいる。

 姉は噴水のそばにある椅子に座り、紅茶のカップを傾ける。

 湯気の立つ紅茶に口をつける。

 今日の紅茶はローズヒップティーだろうか。

 飲んでいると穏やかな気持ちになってくる。

 メイドが事件を起こしてから、あの時暗く沈み、動揺していた姉の心も徐々に落ち着きを取り戻している。

(わたしは自分から行動しなければならない。自分で自分の道を選びとらなければいけないのに。ここに留まるか、伯母様のところに行くか、わたし自身が決めなければいけないのに)

 自分から動かなければいけないことはわかっている。

 しかし今のところ悩むばかりで具体的な行動は出来ていない。

 具体的にどう行動すればいいのかわからない。

 姉が悩んでいるところへ若いメイドが明るい声で話しかける。

「オリガ様、今日のケーキは桃を使ったケーキです。料理人が腕に寄りを掛けて作ったものです。どうぞ召し上がれ」

 朝食から時間が経って、お茶の時間になったくらいだろうか。

「ええ、頂きますね。ありがとうございます」

 姉は紅茶のカップをソーサーに戻す。

 見えないながらも若いメイドからケーキの乗った皿とフォークを受け取る。

 そろそろとフォークを使い、桃のケーキを切り分け、口に運ぶ。

 そんな時、温室の管理をしている庭師が通りかかる。

「おや、オリガ様。今日もおみえで?」

 庭師からしたら、何気なく話しかけたのだろう。

 しかし姉は集中力が途切れ、フォークで刺したケーキを取り落す。

「あっ」

 ケーキがテーブルの下に落ちてしまう。

 目の見えない姉には探しようがない。

「ご、ごめんなさい、マリアさん。ケーキを落としてしまいました。折角料理人の方が丹精込めて作って下さったのに」

 姉はしょんぼりとして若いメイドを振り返る。

「私が後で拾っておきますから、構いませんよ。どうぞ構わずケーキを召し上がってください」

 若いメイドは姉を慰めるように言う。

 すぐに床にしゃがみ込み、姉の落としたケーキの欠片を拾う。

「す、すみません」

 姉はしょんぼりとして、フォークを皿に戻す。

 それを見ていた庭師は大いに慌てる。

 自分が声を掛けてしまったせいで、こんなことになってしまったのではないかと、後ろめたさを感じたようだ。

「も、申し訳ねえだ、オリガ様」

 姉の前に進み出て、帽子を取って深く頭を下げる。

「そ、そんな、あなたは何も悪くありません。わたしが少しぼうっとしていたせいで、こんなことになったのです。謝るのはわたしの方です」

 姉は首を横に振る。柔らかく微笑む。

「それよりも、いつもきれいで香りの良い花を拝見させて頂いています。わたしにとって温室を歩くのが毎日の楽しみで、心の安らぎとなっています。あなたはこの温室の手入れをしている方でしょうか? いつもきれいな花をありがとうございます」

 姉の言葉に庭師はひたすら恐縮する。

「そ、そんな、滅相もねえだ。おらの方こそ、こんな立派なお屋敷でアレクセイ様に雇っていただいて、温室の管理をさせて頂けるだけで、身に余る光栄だといつも思っているだ」

 庭師の口から次男の名前が飛び出す。

 それを聞いて、姉は複雑な気持ちになる。

 しかしあの夜の白蛇とのやり取りを思い出し、姉は気持ちを落ち着ける。

 白蛇は今日から二日後の夜には次男のことを調べて、姉のところにやって来る。

 その話を聞いてから、次男の婚約の申し出を受け入れるかどうか決めたって遅くはない。

(そうだわ。白蛇さんがアレクセイ兄さまのことを調べてくれている間、わたしにも何か出来ることがあるはず。元々わたしが白蛇さんに頼んだことだもの。わたしも兄さまのことを少しでも調べて、考えておかないといけないわ。わたしはわたしに出来ることをやらないと)

 姉は気持ちを切り替え、庭師に穏やかな口調で話しかける。

「そうなのですか。わたしはアレクセイ兄さまのお屋敷に来たばかりで何も知らないのですが、この温室はよく管理されていて、いつもきれいな花が咲いていますね。この温室はお屋敷の中でわたしのお気に入りの場所の一つです。この温室の管理も兄さまがあなたに頼んでいるのですか?」

 出来るだけさりげなく言ったつもりだ。

 あからさまに次男のことを聞き出そうとすると、相手に警戒されてしまうことは姉にもわかっている。

 それにあまり目立った行動をすると、すぐに次男に話が行ってしまうだろう。

 何しろこの屋敷の使用人たちはすべて次男が雇った人達で、次男の命令で姉の身の回りの世話をしているのだから。

 普段から姉の身の回りの世話をしている若いメイドでさえ、厳密には姉の味方とは言えない。

 本当の意味での姉の味方は一人もいないのが現状だ。

 庭師は気をよくしたように弾んだ声で答える。

「へい、すべてアレクセイ様に頼まれて温室の花の管理を任されております。最近はアレクセイ様もオリガ様がよく温室にお出かけになることを知って、香りの良い花を植えるように言付かっております」

「まあ、そうなのですか。アレクセイ兄さまがそんなことを」

 この温室に姉が足しげく通っていることを、やはり次男は知っているようだ。

 それを知った上で目の見えない姉のために香りの良い花を集めているようだ。

 そういったことを堂々と出来るのが、奇をてらわないのが次男の性分と言えるのだろう。

 次男の厚意は、姉を複雑な気持ちにする。

「目の見えないわたしなどのために、そんなに気を遣われなくても良いのに…。今度兄さまに会ったら、そうお伝え下さい。そういった心遣いは有難いのですが、わたしなどにあまり気を遣わないで下さい、と」

 姉は控え目にそう訴えたが、庭師はにこにこと屈託なく笑っている。

「アレクセイ様はオリガ様にぞっこんですからねえ。アレクセイ様は少しでもオリガ様に喜んで欲しいと思ってそうしているのですよ」

「私もそう思います」

 今まで黙っていた若いメイドが横から口を挟む。

「アレクセイ様はただ純粋にオリガ様に喜んでもらいたいだけです。温室でオリガ様が少しでも心穏やかに過ごしてもらえるように心を砕いているのですよ」

 姉は若いメイドを振り返る。

「マリアさんまで、そんなことを言うのですか?」

 どうしてそう恥ずかしいことを堂々と言えるのだろうか。

 姉は怒っていいのか、呆れて良いのかわからない複雑な気持ちになる。

「そういったご厚意は有難いのですが、わたしなどにそれほど気を遣わないで下さい」

 きっと次男にいくら言っても伝わらないだろう。

 次男の厚意に姉にはかえって恐縮してしまう。

 実際、次男の厚意はとても有難いと思う。

 だがその厚意に応えられるだけの決断がまだ姉には出来ていない。

 その気持ちを素直に言える相手は、今のところこの屋敷にはいない。

 最も信頼する若いメイドでさえ、次男に雇われている以上は、次男にいつまでも黙ってはおけないだろう。

 秘密のままではいられないだろう。

(別にそれはそれとして、わたしは別に構わないと思うわ。マリアさんは、目の見えないわたしにも分け隔てなく接してくれるもの。マリアさんはいい人よ。前のバレンチナというメイドの人は、明らかにわたしを嫌っているようだったから)

 あの時の出来事を思い出す度、姉の心は重くなる。

 次男は姉をかばってメイドに怪我を負わされた。

 メイドの行動が嫉妬から来たのか、姉の行動が原因だったのかはわからない。

 あれ以来、姉は次男とは微妙な関係が続いている。

 次男に婚約を申し込まれた、と言うこともあるのだが、あのメイドの引き起こした騒ぎも関係しているように思う。

「オリガ様」

 いつの間にか暗い面持ちになっていたのだろう。

 若いメイドが心配そうに声を掛ける。

「申し訳ありません。私はそこまで深刻にオリガ様が考え込んでしまうとは思わなくて」

 若いメイドに続いて、庭師も申し訳なさそうに言い添える。

「おらもオリガ様がそこまで怒るとは思っていなくて」

 姉は顔を上げる。慌てて首を横に振る。

「そ、そんな、かしこまらないで下さい。わたしは別に怒っていた訳では無いのです。ただ、兄さまがそこまでわたしのことを考えて、この温室を管理してくれていたことを知らなかっただけで」

 姉は次男のことを考える度に、ますます複雑な気持ちになっていく。

 話せば話すほど墓穴にはまっていくような気がする。

「ええと、つまり、マリアさんのことを怒っている訳では無くてですね。わたしは、ええと」

 姉はしどろもどろになりつつ、顔を赤らめる。

 無性に次男に対して腹が立って来る。

「もう、全部アレクセイ兄さまのせいです! 全部兄さまが悪いんです!」

 姉は顔を赤くして悲鳴に近い声で叫んだ。

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