過去編6
彼は独り言のようにつぶやき、薄く笑う。
手に持った拳銃を地面に投げ捨てる。
「つまり、僕が最初から犯人を捜そうとすれば、こんなことにはならなかったんだ。まったく、僕はとんでもない道化だな。こんな不良品は、さっさと処分されて当然だったんだ」
拳銃が地面を滑り、護衛の男たちの足元に転がる。
彼はビルの明かりに照らされた夜空を見上げる。
空には闇が広がるばかりで、星は一つも見えなかった。
叔父は彼の行動に不可解さを覚えながら、ある提案をする。
「そ、そこでどうだ。お前は腕も経つようだし、度胸も据わっている。前の雇い主が誰かは知らないが、私の下で護衛を務めないか?」
叔父の提案に、彼は少し驚いた顔をする。
「ど、どうだ、金なら前の雇い主の倍は出そう」
彼はわずかに目を細める。
ゆっくりと首を横に振る。
「それは、できない」
「な、なぜだ?」
彼は叔父の問いに答える。
「僕の主の下には、僕以上に腕の立つ人間も、僕以上に頭のいい人間もごまんといる。もしも僕が裏切ったと主に知られたら、恐らくは数日のうちに刺客が送られてくるだろう。そして僕の存在はこの世から永遠に消え失せるだろう」
彼は力なく笑い、執務室に入った時のような穏やかな笑顔を浮かべる。
「叔父さんも気を付けてください。父さんや母さんの命を奪った叔父さんの命を狙う者は、僕一人ではないですから。もしもこのことが主に知られたら、きっと死ぬなんて生易しいことだと思うはずですから」
彼は笑顔で持っていたペーパーナイフを投げる。
ペーパーナイフは叔父の顔すれすれを通り過ぎ、コンクリートの壁に突き刺さる。
叔父は悲鳴を上げることさえ出来ず、恐怖に顔を歪める。
彼は身を翻し、屋上の隅へと走る。
屋上の端を蹴る。空中へその身を躍らせる。
それを見た叔父や護衛の男たちは息を飲む。
彼はビルとビルの間を飛び、ゆうに数メートルはある距離を飛び移る。
隣のビルの屋上にたどり着いた彼は、ビルの屋上を走り抜け、また隣のビルへと飛ぶ。
それを繰り返し、彼の背中は徐々に遠ざかっていく。
闇にまぎれて見えなくなる。
屋上に取り残された叔父は、地面にへたり込む。
彼の言った言葉を反芻し、ある決意を固める。
その後、叔父が自分の命を守るために取った行動は、もっと強力な裏組織と繋がることだった。
叔父は彼らと繋がることによって、この国で確固とした地位を築いていった。
事故に合った彼女が病院で眠っている半月の間に、この国の勢力図は大きく塗り替えられることになる。
やがて国の政治家や司法組織とも結びついた叔父は、誰も刃向うことのできない強大な存在となる。
皮肉なことに、弟との一件によって叔父は気持ちを新たにしたと言っていい。
もしも弟があの時叔父のところに行かなければ、あの時叔父の命を奪っていれば、姉弟が今のような状況に立たされることはなかったかもしれない。
すべては運命の悪戯であり、人にその選択権はない。
かくして弟は息をひそめ、姉の居所を探すのに躍起になる。
彼が姉の病院を突き止めるのは、もはや叔父の財閥が手も付けられないほど強大になってからのことだった。
叔父は弟に姉のいる病院で再会した時、何食わぬ顔でこう応じた。
「おぉ、――も来ていたのか。兄夫婦の葬儀以来だが、あの時はゆっくり話もできなくてすまなかったな」
叔父の言葉は嘘ではなかったが、真実を言い当ててもいなかった。
叔父と弟は葬儀から後、執務室で会っていたが、その時のことを感じさせないしゃべり方だった。
あの一件以来、叔父は弟を警戒すると同時に、ぜひとも部下に組み入れたいと思っていた。
姉の入院する病院を自力で突き止めただけではなく、別の裏組織とも繋がりのある彼を、叔父は高く評価していた。
そこで叔父は自分の財閥に彼を組み入れようと、姉を人質として揺さぶりをかけたが、返答はいつも決まっていた。
「考えておきます」
彼はあくまで主人の名前を明かさなかったし、姉を守る姿勢は終始一貫していた。
そのため、叔父は彼女にわざと物騒な話を聞かせ、弟が主の下へ逃げるように仕組んだのだ。
この国ではもはや叔父と肩を並べる者はいない。
暗にそう示し、叔父は弟の主人を突き止め、彼を配下に加えるつもりだった。
もはや叔父にとっては姉の命など眼中になく、弟の背後にある巨大な裏組織に目をつけていた。
かくして姉と弟は手を手に取って、伯母のいる隣国へ逃げることになる。
彼らの命は雪原の中で揺れる小さなロウソクのようなもので、巨大な権力同士の抗争に巻き込まれる形となってしまった。
目の見えない姉は自分の命にどれほどの価値があるのかまだ知らなかったし、弟は叔父が自分を執拗に追いかけてくる理由を知らなかった。
彼らが真実に行き当たるには、まだ多くの時間が必要だったし、まだ乗り越えなければならない障害もたくさんあった。
彼らは無事に生き延びることができるのか。
この話の続きはまた次回にでも。