それぞれの約束5
弟が自分の部屋に戻ると、部屋には同じ組織で働く白蛇が待っていた。
ベッドに座って、勝手に部屋の本を読んでいる。
「相変わらず真面目で面白味のない本を読んでいるのね、白犬」
白蛇は本をベッドの上に放って、ひらひらと弟に手を振る。
「白蛇か」
弟は疲れたように溜息を吐く。
部屋に入る前から誰かの気配は感じていたが、白蛇だろうとは思っていた。
そのため予想を裏切らない展開に、弟は少々呆れてしまう。
ワタリガラスだけならわかるが、どうして白蛇まで弟の部屋に入り浸るのだろう。
「それで、今度は僕に何の用だ? ここに来たからには、何か用事があって来たのだろう」
弟は腰に手を当てて立ったまま尋ねる。
弟は白蛇をまっすぐに見つめる。
「あぁ、そうだったわね。用ってほどのことは無いけれど、白犬の様子を見に来たの」
白蛇はにっこりと笑う。
艶やかな笑みだが、その笑みには毒々しさも含まれている。
白蛇は神経毒の扱いを得意とする暗殺者だ。
その毒牙に掛かった男たちは数知れず、多くがただで済んではいない。
普段は姉貴分の黒蛇と組んで仕事をしている。
姉貴分の黒蛇はと言うと、致死毒の扱いを得意とするのだから、もっと性質が悪い。
「そういえば、最近はいつも一人だな。黒蛇は一緒じゃないのか?」
弟自身もそうだが、組織では基本的に二人一組で仕事をこなしている。
二人で組んで仕事をしている以上、弟とワタリガラスのように付かず離れずで、お互いに情報を共有しているのが基本だ。
白蛇はよく見かけるが、黒蛇とは顔を合わせていない。
一人で仕事をするという黒鷲など、組織では珍しい存在だった。
「姐様なら、情報を集めに街に出てるわ。時々合流するけど、今はあたしとは別行動中」
「そうか」
組織内で白蛇のように、こうして気安く言葉を交わせる相手は珍しい。
そういった意味では、白蛇は組織内では親しい相手と言えるのだろう。
ワタリガラスと同じく、数少ない友人と呼べるかもしれない。
そう考えると、邪険にするべきではないと、弟は考えを改める。
「あんた、黒鷲と会ったんですってね」
白蛇はあごに手を当てて弟を見据える。
宝石のように美しい青の瞳が弟を見つめている。
もうそんな情報が流れているのだろうか。
黒鷲とはつい昼ごろに会ったばかりなのに。
「やめときなさいよ、黒鷲を相手にするなんて。あいつは誰とも組まないし、何考えているのかわからないんだから。無暗に近付くと突っつかれるわよ?」
確かワタリガラスも同じようなことを言っていたように思う。
黒鷲とはそれほど厄介な相手なのだろうか。
弟は溜息を吐く。
「わかってるさ。僕だってそんなに考え無しじゃない」
白蛇は白い指を形の良いあごに当てる。
「どうかしら? あんた、まだオリガ様のことを引きずっているみたいじゃない」
図星のことを指摘され、弟に返す言葉も無い。
弟のあからさまな反応に白蛇は肩をすくめる。
「あんたの主人に対する忠誠心も立派だけど、もう次の主人に仕えている身なんだから、そろそろ吹っ切れなさいよ。オリガ様は黒蛇姐様が見てるから、心配しなくても大丈夫よ。少しもんちゃくがあったけど、今はご無事よ」
ひとまず姉が無事だと聞いて、弟は安堵する。
「そうか。姉さんが無事なら良かった」
そういったことは、弟にも話してもいい事柄なのだろうか。
それとも弟のことを心配してくれているのだろうか。
白蛇は姉のことを心配する弟を呆れつつも、弟を何かと気遣ってくれているようだ。
「今姐様は、少しの間オリガ様のそばを離れているけど、いずれはボスのところまでオリガ様を安全に脱出させる手はずなの。今はそのための準備をしているのよ」
つまり弟のやろうとしたことを、黒蛇と白蛇が代わりに引き受けてくれたのだ。
叔父に雇われて動けない弟の代わりに、二人が姉を安全に伯母のところに送り届けてくれるというのなら有難い。
「すまないな、白蛇」
弟は表情を緩め、白蛇にお礼を言う。
白蛇の頬にさっと赤み増す。
「べ、別に、これは元々ボスの命令だもの。あんたに感謝されるいわれは無いわ」
白蛇はぷいと顔を背ける。
弟は穏やかな表情で、今目の前にいない姉の姿を思い浮かべる。
(姉さんが、無事で良かった。元気でいてくれて良かった)
胸の奥に温かい気持ちが沸き出てくる。
姉のことを思うと、ざわざわと胸がざわめく。
弟はこうして姉の無事を確認できているが、姉の方がどうだろうか。
自分のことを心配していないだろうか。
不安に思っていないだろうか。
弟は姉に何としても自分の無事を知らせたい気持ちが生まれてくる。
白蛇はまだ頬を膨らませてそっぽを向いている。
弟はベッドに座る白蛇を見下ろし、静かな声で語りかける。
「白蛇、お願いがあるんだ。姉さんに僕の無事を伝えてもらえないか?」
今の弟には姉に連絡を取る手段は無い。
自由に顔を合わせることも出来ない。
しかし白蛇ならば姉と連絡を取れるかもしれない。
自分の無事を知らせてくれるかもしれない。
弟は声に力を込める。
「頼む、白蛇。お前だけが頼りなんだ」
一縷の望みを掛けて、弟は白蛇に頼む。
「頼む」
弟は白蛇に深々と頭を下げる。
「白犬、あんた本気?」
白蛇は驚いた顔で弟を見つめる。
「仕方が無いわね」
頭を下げる弟のすぐそばで、白蛇が溜息を吐く音が聞こえた。




