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姉と弟  作者: 深江 碧
十三章 それぞれの約束
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それぞれの約束4

 次男は執務室で鏡を手に包帯を巻いた頭を気にしていた。

「前の怪我もそうだったが、この怪我も跡が残らないといいけどな」

 鏡で怪我の様子を写し、しきりに気にしている次男の横で、中年の部下が他の部下からの報告書に目を通している。

 中年の部下は執務机の次男の前に報告書を置く。

 次男に向かって深々と頭を下げる。

「今回の件は、私の失態でもあります。申し訳ありませんでした。やはりあの時若をお一人にするべきではありませんでした。私がもっと早く気付いていれば、こんな事態にはならなかったのですが」

 次男は鏡から目を離し、頭を下げている中年の部下を見る。

 椅子にもたれかかり、天井を見上げる。

「今回のことは、おれの考えが甘かったこともある。お前のせいじゃないさ、イーゴリ」

「しかし」

 中年の部下の言葉を遮るように次男は話し続ける。

「誰だって失敗はある。お前は今まで大きな失敗も無く、よく頑張って来てくれた。おれや皆を危険から守って来てくれた。それはそばで見てきたおれが一番よく知っている。お前に大きな不手際があった訳じゃない。お前はよくやってくれているさ」

 次男は椅子の背もたれにもたれかかり、ぼんやりと天井を見上げている。

 天井からの明かりに、深緑色の瞳を細める。

「これからもよろしく頼む、イーゴリ」

 次男は起き上がって、中年の部下に笑いかける。

「はい」

 中年の部下は深く頭を下げ、強い意志の感じられる声で返事をする。

 次男は怪我をして血のにじんだ包帯の上から指で触れる。

「しかし、体に怪我をするのは仕方が無いと思うが、頭や顔だと跡が残ると目立ってしまうな。折角の美男子が台無しだ。オリガもそれでおれを嫌いにならないといいけど」

 次男は鏡を取り、金髪をかき上げて怪我の跡をしきりに気にしている。

 自分のことを美男子と言ってのけるところが次男らしかったが、長年の付き合いである中年の部下はあえて無視した。

 ましてや目の見えない姉が次男の外見を気にするなど無いように思えた。

 その時、部屋の外から扉を叩く音が聞こえる。

「失礼します」

 執務室に若いメイドが入ってくる。

 次男が明るい声で尋ねる。

「マリアか。オリガの様子はどうだい。少しは落ち着いたかい?」

「はい、食事を取られた後は、お部屋でお休みになられたようです」

「それなら良かった。今日はオリガにとっても大変な一日になっただろうからね。ゆっくり休んで元気を取り戻してほしい」

 次男の言葉を聞いて、若いメイドは表情を曇らせる。

「それなのですが…、オリガ様は今回のアレクセイ様の怪我を気に病んで、落ち込んでみえられるようでした」

「オリガが?」

「はい、オリガ様に食事を持っていたのですが、その時も元気が無いようでして。アレクセイ様が怪我をなされたのは、自分のせいでは無いかとご自分を責めてみえられるようでした」

 次男は驚いた表情で若いメイドを見つめている。

 くしゃりと金髪をかく。

「そうか。オリガはそんな風に考えているんだな。おれが怪我をしたのは自分のせいだと落ち込んでいるんだ」

 若いメイドはゆっくりとうなずく。

「はい。オリガ様はアレクセイ様の怪我のことを気にして、心苦しく思っておられるようでした」

「そうか。いつも報告すまないな、マリア」

「いえ」

 それきり会話が途切れる。

 次男は執務机に置いてある報告書を手に取る。

 中年の部下は次男が報告書に目を通すのを待って、声を掛ける。

「あの問題を起こしたメイドの処遇ですが」

 それを聞いていた若いメイドが息を飲むのがわかった。

 次男は椅子にもたれながら、難しい顔で溜息を吐く。

 中年の部下を振り返る。

「バレンチナか。彼女の様子はどうだ?」

「はい、少し前まで暴れて暴言を吐いていましたが、今は観念したのか落ち着いています」

 報告書には今回姉に危害を加えようとしたメイドの動機、素性や経歴がまとめてある。

「そうか」

 静かな声で答える。

 そばにいる若いメイドは真っ青な顔で二人の会話に聞き入っている。

 次男はメイドをこの屋敷に雇い入れる時に、一度報告書に目を通している。

 その時と多少変わったことは、問題を起こして報告書に新たに書き加えられた部分があるくらいだろうか。

 すなわち性格の欄に、思い込みが激しく、他者に対して攻撃的な部分が見られる、その性格のために窃盗や他者を貶め、虚偽の証言をすることもある、と。

「雇い入れる時は、大人しい女性だと思ったんだけどなあ」

 次男は深緑色の瞳を細め、眉をひそめる。

 彼女と初めて会った時、学校を中退して、故郷にも戻る当てがなく、路頭に迷っている状態だった。

 次男は厚意から彼女を屋敷に雇い入れた。

 決して下心や、愛や恋の気持ちがあった訳では無い。

 困っている女性を見ると放っておけない次男の性格から雇い入れたのだ。

 今回のことがあるまで、彼女は大きな問題も起こさず、使用人たちとの仲もほどほどだった。

 ずっと大人しい女性だと思い込んでいた。

 次男は報告書に目を通しながら、溜息を吐く。

「まさか今回のような事件を起こすとは思わなかった。そのような女性には見えなかったんでね」

「何事も見かけに騙されることがあると言う一例でしょうか。本来の性格は、長年一緒に過ごしてみるまでわからない。よく知っているはずの相手でも、突然態度が豹変すると言うこともあるのでしょう」

 中年の部下が言い添える。

「そうだな」

 次男は心持ち頼りない声で応じる。

 やはり信じて雇っていた使用人に裏切られるのはショックのようだ。

 この屋敷の主人である以上は、雇っていた使用人のその後の処遇も検討しなければならない。

 果たして女性に対して優しい次男が、厳しい対応を取れるかどうかわからない。

「しばらくは使用人たちの動揺も大きいでしょう。しかしいずれはそれも収まります。執事と家政婦に事情を話して、彼女の今度の処遇を考えなければなりません」

 中年の部下の言葉に、次男からの返事は無い。

 次男は報告書に見入ったまま黙り込んでいる。

 女性に対して次男はとても甘い部分がある。

 それは次男の長所でもあり、短所でもある。

「お辛いとは思いますが、目の見えないオリガ様に暴言を吐き、害されようとしたのです。重い処罰は免れないと思います」

「うん、そうだな」

 次男の気のない返事に、中年の部下はそれ以上何も言わなかった。

 報告書に目を落としたまま、次男は物思いにふけっているようだった。

 こればかり中年の部下にもどうにもならない。

 次男自身が気持ちの整理をつけるしかない。

 そばでは元同僚だった若いメイドが何も言わずに幽霊のような青白い顔で立ち尽くしている。

 中年の部下はちらりとそちらにも目を向ける。

「夜分に失礼致します、アレクセイ様」

「鍵が見つかったとは本当でしょうか?」

 執事と家政婦がそれぞれ次男の執務室へとやって来る。

「あぁ、二人とも来たか」

 次男は疲れた声で応じる。

「では私はこれで失礼致します」

 中年の部下は執事や家政婦と入れ違いに部屋を出て行く。

 次男に結論を急いでも仕方が無い。

 執事と家政婦とで相談して結論を出すべきだと考え、本来の仕事、屋敷の警戒へと戻った。

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