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姉と弟  作者: 深江 碧
十三章 それぞれの約束
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それぞれの約束2

「オリガ様もお疲れでしょう。少しお休みになられてはいかがでしょうか」

 中年の部下にそう言われ、部屋に戻った姉は一人でソファに座っていた。

 部屋の中は静まり返っていて、暖炉の薪のはぜる音と窓のガラスを揺らす風の音が響いている。

(わたしのせいで兄さまに怪我をさせてしまった。わたしがいなければ、あの人もあんなことをしなかったかもしれないのに)

 考えるのは怪我をした次男のことばかり。

 自分の不用意な行動で次男を危険にさらしてしまったのではないか。

 あの時、自分が次男の元を訪ねようと言わなければ、あんなことにはならなかったのでは無いかと、ひたすら後悔していた。

 姉の見えない両目に涙がにじむ。

(わたしは、やはり伯母様の元にいた方が彼のためになるのかもしれない)

 次男は姉に傍にいてくれるように頼んだが、やはり彼の婚約を断って、この屋敷を離れた方がいいかもしれない。

 その方が結果的に彼のためになるかもしれない。

 次男が何を考えているかは知らないが、目の見えない姉はただの足手まといで、彼の迷惑になるだけかもしれない。

(だとしたら、伯母様に連絡する方法を考えた方がいいのでしょうけど。どうしたら伯母様に連絡することが出来るのかしら? アレクセイ兄さまは、伯母様の連絡先を知っているような口ぶりだったけれど)

 思い切って次男に会って、伯母のことを話してみるべきだろうか。

 しかしあんなことがあって以来、何となく次男と顔を会わせ辛い。

 自分のせいで次男が怪我をしたのではないかと、心苦しく感じる。

 彼とまともに顔を合わせる勇気がまだない。

 姉はソファに座りながら肩を落とし、溜息を吐く。

(わたしは、どうすればいいのかしら)

 答えの出ない考えに埋没しそうになる。

 考えが同じところを行ったり来たりしている。

 そんな時、部屋の扉が控え目にノックされる。

 扉の向こうから懐かしい声が聞こえてくる。

「オリガ様、少しよろしいでしょうか」

「マリアさん」

 聞き慣れた声に、姉の胸に安堵の気持ちが広がる。

「失礼致します」

 若いメイドはうやうやしく頭を下げ、部屋へと入ってくる。

 その手には大きな銀板を持っている。

「オリガ様がお腹を空かせているのではないかと思って、夕食をお持ち致しました」

「え?」

 姉は一瞬面食らう。

 若いメイドは姉を心配してわざわざ顔を見にやって来てくれた訳では無かったのだ。

「ゆ、夕食ですから」

 姉はわずかに落胆したが、夕食のおいしそうな匂いにつられてお腹が小さい悲鳴を上げる。

 その音を聞いて、若いメイドがぷっと吹き出す。

「い、いえ、これは、その」

 姉は恥ずかしさに顔を赤くする。

 若いメイドはくすくすと笑う。

「やっぱりオリガ様もお腹がすきますよね。そうだろうと思って、わざわざお部屋まで夕食を持ってきた甲斐があります。オリガ様がお元気な様子で良かったです」

 若いメイドは姉のいるソファのそばのテーブルの上に夕食を乗せた銀板を置く。

 姉は若いメイドの声のした方に体を向ける。

「あ、ありがとうございます、マリアさん」

 姉は杖を支えに、ゆっくりと立ち上がろうとする。

 若いメイドはそれを手で制する。

「オリガ様は足にお怪我をされているのでしょう? どうか無理をなさらないで下さい。少し待っていて下さい。今そちらのテーブルにお皿を並べますね」

 足首を痛めた姉には、無闇に動かさないように医者からきつく言われている。

 若いメイドは銀板の上に置かれた湯気の立ち上る鶏肉とじゃがいものシチューの入った皿と銀のスプーンを用意する。

「こちらがスプーンです。オリガ様」

 ソファに座る姉の前のテーブルに白いナプキンを敷き、食器を並べる。

「オリガ様、こちらは夕食に出すはずだったじゃがいもと鶏肉のシチューです。器が熱いのでお気を付け下さい。私たち使用人は先に頂きましたが、今日の夕食もとってもおいしかったですよ」

 若いメイドにそう言われては、ますますお腹が減ってくる。

 姉は差し出された皿と銀のスプーンを受け取る。

 シチューの器に手を添え、銀のスプーンですくう。

 湯気の立つスプーンにふうふうと息を吹きかける。

 おそるおそるスプーンを口に運ぶ。

 姉はシチューの熱さに驚いて、スプーンを握った手で口を押える。

「オリガ様、大丈夫ですか?」

 心配そうに若いメイドが聞いて来たが、姉は無言で首を横に振る。

 吐き出すのも躊躇われたので、そのままもごもごと口を動かす。

 ごくりと飲み下す。

「と、とってもおいしいです」

 姉は照れくさそうに笑って見せる。

「そ、それなら良かったですが」

 見ている若いメイドは安堵したような、奇妙な顔をしている。

 姉はもうひと匙スプーンですくい、さきほどよりも長く息を吹きかける。

 今度はそれほど熱くなく、じゃがいものまろやかな味わいが口に広がる。

 柔らかい鶏肉とにんじんや玉ねぎ、ほうれん草、トマトなどの野菜が細かくしてシチューに混ぜ込んでいるのだろう。

 様々な味が混ざり合い、優しく奥深い味わいのシチューに、姉はスプーンをひたすら動かしている。

 ほうっと息を吐き出し、ようやく心から安堵の溜息を吐く。

「おいしい」

 いつも食事の度に思うのだが、この屋敷に来てからいつも食事の時間が待ち遠しく思う。

 夜会や晩餐会に招待された時でも、このような気持ちになることは無い。

 豪華な晩餐で、家庭的な味にはまず出会えない。

 この屋敷の食事は、どこか姉の母親の料理の味に似ている。

 そのためこの料理を口にするたびに、姉は昔を懐かしく思い出す。

 そんな感傷に浸りながら、食事を味わいながらゆっくり食べていると、必要以上に時間が掛かってしまう。

 目が見えないので尚更だが、その上、次男は食事の時に何かと話しかけてきて、姉をからかう。

(いっそわたしのことは放っておいてくれればいいのに)

 姉はその度に不満に思う。

 その度に食事の手を止めて応対する姉の方としてはたまったものでは無い。

 ただでさえ食事の遅い姉は、いっそう食事を取るのに時間が掛かってしまう。

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