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姉と弟  作者: 深江 碧
十二章 過去そして現在
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過去そして現在33

 次男はまだ驚きから立ち直れていなかった。

「マリアの気持ちは知っていたつもりだけど、君がおれを好きだったなんて知らなかったな」

 次男はメイドにすがりつかれ小さく息を吐き出す。

 その表情には男としての嬉しさ半分、対応に苦慮している様子が見て取れる。

「愛しています、アレクセイ様。あなたを心の底から愛しています」

 メイドは頬を染め、目に涙を浮かべながら次男に抱き着いている。

 手を次男の胸に置き、幸せそうな表情を浮かべている。

「アレクセイ様は、私のことが好きではないのですか?」

 メイドは切ない表情をして、次男の顔を見上げる。

 その深緑色の瞳を覗き込む。

「いや、好き、嫌いの前に、こんなことになるとは思わなくってね。そうか、それで君はオリガに嫉妬して地下室に閉じ込めた訳だ」

 次男がぼやくと、メイドは鋭い声でぴしゃりと言い返す。

「あの女のことは話題に出さないで!」

 メイドは手を伸ばし、次男の首にすがりつく。

「あなたを愛しているのは私だけ。今は私だけを見て」

 しなだれかかり、甘い声で耳元にささやく。

 今までに出会って来た地味で平凡な田舎少年であれば、彼女が少し甘い言葉をささやけばほいほい言うことを聞いた。

 彼女のそんな経験から、今回も次男は自分だけを見てくれると思い込んでいた。

 そんな時、執務室の扉がノックされ、返事も待たずに開かれる。

「若、ご無事ですか!」

 息せき切って、中年の部下が駆け込んでくる。

 執務室で次男とメイドが抱き合っている姿を見た中年の部下はとっさに言葉を失う。

 そのまま扉を閉めようとする。

「若、お楽しみ中のところを失礼致しました。どうぞ私めのことは気にせず、お楽しみ下さい」

 退室しようとする中年の部下を、慌てて次男が呼び留める。

「待て待て待て、これは違うんだ。これはおれの意志ではなく、不可抗力だ。それにそもそも、お前がおれのところに駆け込んで来たからには、何か緊急の用事があってのことだろう? 急ぎの用事なら今すぐ聞こう」

 次男は慌てて抱き着いているメイドから離れる。

 メイドに背を向けて、中年の部下の方へと歩いていく。

 入口の扉の前に立つ中年の部下を見上げる。

「それで、用件は何だ。急ぎの用なのだろう?」

 中年の部下は先程抱き合っていたメイドを次男の背中越しにちらちらと見る。

「それが、オリガ様が」

「オリガがどうした? まさか彼女の容体が急変したのか?」

「いえ、そうでは無くて。オリガ様に若の様子を見て来るように言われましたので」

 中年の部下は言いにくそうに口ごもる。

 そして黙って自分が走って来た廊下を振り返る。

 姉の自室のある方角を見据える。

 廊下の明かりの下には、杖をついて若い部下に支えられながら歩く姉の姿がある。

 おぼつかない足取りでこちらへと歩いて来る。

「オリガ」

 廊下を歩く姉の姿を認め、次男は走り出す。

 その声に気が付いた姉はゆっくりと顔を上げる。

「アレクセイ兄さま」

 杖に寄りかかりながら、笑みを浮かべる。

「良かった兄さま。ご無事でしたか?」

 次男はしゃがみ込み、杖を支えに立つ姉に目線を合わせる。

「オリガの方こそ、体調は大丈夫かい。怪我は無かったかい?」

 そこへ歩いてやってきた中年の部下が言い添える。

「若の方は、オリガ様の予想通りに執務室で二人きりで、使用人の女性と抱き合っていたのですから、オリガ様が心配をされる必要は無いと思いますよ」

 ちくりと痛いことを口にする。

「お、お前な、あれは別におれの方から迫った訳じゃないぞ」

 姉はその言葉を聞いて、一瞬目を丸くする。

「二人きりで、女性の方と抱き合っていたのですか?」

 次男が言いにくそうにしていると、中年の部下がさらに言いにくいことを言う。

「そうです。オリガ様がご心配した通り、私が執務室に駆け付けたところ、若は使用人の女性と二人きりでお楽しみのところでした。オリガ様が心配して私を行かせなかったら、若はどんな所業に出ていたかもしれません」

「まあ」

 姉が驚いた声を上げる。

「ひ、人聞きの悪いこと言うな、イーゴリ。あれには理由があってだな」

 次男が中年の部下に黙るようにちらちらと目線で合図する。

 中年の部下はそれを無視して話し続ける。

「オリガ様も若に言ってやって下さい。そんなに女性に甘いと、いつか痛い目を見ると。どうかオリガ様からも若を説得して下さい」

 すると次男はふて腐れたように頬を膨らませる。

「もう十分、女性に痛い目を見ているからいいよ。これ以上、女性のいざこざに巻き込まれるのは本当に勘弁して欲しいよ」

 次男は深い溜息を吐く。

 姉は女性と抱き合っている次男の姿を思い浮かべ、その胸に言いようのないもやもやした気持ちが沸き上がってくる。

 少し次男を困らせてやりたいといった意地悪な気持ちが沸いてくる。

 それがどこから来るのか、どういった感情なのか、その時の姉にはよくわからなかった。

「でしたら、わたしはこれ以上アレクセイ兄さまにご迷惑を掛ける前に、伯母さんの元に行った方が良いかもしれません」

 姉はうつむきながら目を伏せる。

 それには次男の方が慌てる。

「そ、そうは言っていないよ、オリガ。オリガは特別だよ。君はおれの従兄弟だからね。それに君のご両親には言葉では言い尽くせないほどお世話になっているからね」

「でも、わたしがいたために兄さまにご迷惑が」

「だから、それは構わないんだ。それよりも、オリガをあんな目に遭わせたのは、おれの責任でもあるんだ。目の見えない君をあんな怖い目に遭わせてしまってすまないと思っている」

 次男の言葉に、姉は杖にすがりついたまま、うつむく。

「でも、兄さまは、先程の女性と抱き合っていたのでしょう? でしたらわたしがここにいたら邪魔なのでは無いでしょうか。わたしがいたらその女性と仲良く出来ないのでは無いでしょうか」

 それには流石の次男も言葉に詰まる。

 表情が引きつっている。

 姉は軽く頭を振る。

「やはり、わたしは隣国の伯母さんの元に行くべきですね。今までありがとうございました、兄さま。婚約のお申し出も、わたしには身に余る光栄で、とても嬉しかったです。兄さまのお気持ちだけで、わたしは十分幸せです」

 そう言って、姉は穏やかに笑う。

 しかし姉の胸の内は穏やかではない。

 抱き合っていたと言う女性と次男に対する暗い感情が渦巻いている。

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