過去そして現在25
狭い壁の裂け目をすり傷を作りながらくぐり抜け、姉はようやく出口に辿り着いた。
手の先が固い壁では無く、足元に土の感触を感じる。
冷たい風が頬を撫でる。
姉は壁の裂け目から這いずり出て驚いた。
(ここは?)
あの狭い裂け目から出ると、そこは建物の外のようだった。
身を切るような冷たい風がごうごうと唸り声を立てている。
温度は先程のワインセラーの中よりもずっと低い。
すっかり日が暮れて雪の上を氷のような冷たい風が吹いている。
(ここは、外なのね)
姉の胸にわずかな安堵と、大きな落胆が押し寄せてくる。
外に出られたものの、出られた場所さえわからない。
近くに助けを求める相手がいるのかさえわからない。
もしかしたら屋敷の敷地の外に出てしまったかもしれない。
目の見えない姉にはそれさえ確かめようもない。
すぐそばには凍った地面と、掻き分けられた雪がうず高く積もっている。
(折角外に出られたのに、これからどうしよう)
姉は地面にへたり込む。
あの時は、部屋の外に出られさえすればいいと考えていた。
しかしいざ外に出たものの、どうすればいいのかがわからない。
階段から落ちた時に痛めた足首と、壁の裂け目をすり抜ける間に出来たすり傷がずきずきと痛む。
「誰か」
姉は声を上げたが、強い風の音に遮られてしまう。
夜の闇と唸るような風の音にまぎれてしまう。
「誰か!」
姉はもう一度叫んでみる。
今度は声を大きくして力の限り。
「誰か、誰かいませんか?」
しかしやはり冷たい風のごうごうとした音にまぎれ、辺りには響かない。
(どうしよう。わたしがここにいることを、どう知らせればいいのかしら?)
姉は凍った地面に座り込んで、白い息を吐き出す。
冷たい風が耳元を吹き抜けて行く。
寒い野外で一夜を明かせば、きっと凍死してしまうだろう。
この国では、冬に酒に酔って外で一晩過ごした者はほぼ間違いなく凍死する。
浮浪者でなくても道端で亡くなる者がいるほどだ。
姉自身も外で夜を明かせば、そうならないとは限らない。
ここが屋敷のどの辺りかは知らないが、広い屋敷のことだ。
姉がここにいることは誰にも気づかれないかもしれない。
長い間誰にも見つからずに、凍え死んでしまうかもしれない。
(わたし、馬鹿ね。折角外に出ることが出来たのに。誰にも見つけてもらえずに、今度こそここで死ぬのかしら)
姉はこんな場所で誰にも知られずに死んでいく自分の姿を想像する。
こんなことならワインセラーの中で閉じ込められていた方がまだましだったかもしれない。
室内であれば、少なくとも風や雪を避けることが出来ただろう。
寒さも今よりもずっと厳しくなく、温かかった。
姉の心にまた暗い気持ちが忍び寄ってくる。
ついつい物事を暗く考えてしまう。
(こ、こんなことじゃいけない。こんなところで諦めちゃ駄目よ。また悪いことを考えて。こんなことじゃ、わたしを助けてくれたデニスやアレクセイ兄さまに申し訳が立たないわ)
姉はぺちぺちと自分の頬を叩く。
気持ちを奮い立たせる。
(そうよ。ここで諦めたらそこで終りなんだから。こんなところで諦めたら、誰にも見つけてもらうことも出来ないわ。自分で少しでも出来ることを探さないと)
姉は冷たい地面の上に置いた両手をさする。
うつむいていた顔を上げる。
真っ直ぐに夜の闇を見つめる。
(でも、どこに行けばいいのかしら。こんな夜にこんな雪の中を人が出歩いているとも思えないし。どこに行けば人がいるのかしら)
ここは屋敷の外れなのか、それとも雪が音を消しているのか、風の音以外に何の物音も聞こえて来ない。
姉の耳には風の音以外何も聞こえない。
(と、とりあえず、ここじゃない場所に行かなきゃ。誰かに助けを求めなきゃいけない)
姉は気持ちを奮い立たせる。
石の壁に右手をついて、そろそろと歩き出す。
痛む足首をかばいながら、ゆっくりと雪の中を進んで行った。




