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姉と弟  作者: 深江 碧
十二章 過去そして現在
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過去そして現在18

 静まり返った暗い部屋に一人取り残された姉は、ふっと白い息を吐き出した。

 ひねった足首の痛みに顔をしかめる。

 姉をこんな場所に置き去りにしたメイドのことを思い出す。

(あの人は、わたしの言うことなんて、何も聞いてくれなかった)

 メイドは言いたいことを言うだけ言って、この部屋に鍵を掛けて出て行った。

(あの人の言うことは誤解なのに)

 姉は溜息を吐く。

 社交界でこれまでに出会った人達のことを思い出す。

(あの人も同じなのね。わたしが何を言っても、きっと聞いてくれない。社交界で出会った人達もそうだった。誰もわたしの話なんて聞いてくれなかった。自分の言いたいことだけを一方的に言って、人を傷つけて満足する。あのメイドもあの人たちと同じなの?)

 話を聞いてくれないメイドのような人間は珍しくない。

 社交界で出会った人達も同じだ。

 一方的に怒鳴り散らして、姉の言うことには少しも聞く耳を持たない。

 いくら言葉を尽くして説得したところで、彼らは何も聞いてくれない。

 姉自身が悲しくなるばかりだ。

 その度に、姉は自分が悪いのではないかと罪悪感に苛まれる。

 自分の言葉が足りないせいではないか、もっと別の言い方があったのではないかと、真剣に悩んでしまう。

(わたしが彼女に何をしたの? わたしはあなたとこうして会って話をするのだって、初めてだと言うのに。こんなに恨まれていることさえ知らなかったのに)

 よく言葉を交わしている若いメイドのマリアが自分を嫌うならまだわかる。

 次男に好意を持っている彼女が、姉に対して敵愾心を抱いているのならまだ納得がいく。

 それなのにほとんど会ったことの無い彼女が、姉に対してあのような気持ちを抱いているのはどうしてだろう。

 それとも知らない場所であのメイドと姉はどこかで出会っているのだろうか。

 姉の話すことや行動がすべて知られていて、知らないうちに敵意を持たれていたのだろうか。

 あのメイドは姉を地下室に閉じ込めてしまうほど姉を憎んでいたのだろうか。

(わからない、わからないわ。あの人はどうしてあんなことを?)

 あのメイドの思考を理解しようとすればするほど、深い霧の中に迷い込んで行くような気持ちになる。

 どこまで行っても気持ちは平行線で、永遠にお互いを理解しあえないような気がしてならない。

 姉は軽く頭を振る。

 両手をこすり合わせ、息を吹きかける。

 今はひねった足首が痛くて、動くことも出来ない。

 そもそもあのメイドの言っていることは完全な誤解であるのに。

 姉には次男を騙す意図も、婚約者の座に収まる意志もない。

 助けてくれた次男に感謝こそすれ、たぶらかしたつもりは全くない。

 そもそも婚約者の話だって、次男から提案されたことだ。

 姉には次男の厚意に甘えるつもりも、この屋敷に長期間留まるつもりも無かったのだから。

 伯母に連絡が取れれば、弟と二人で彼女の元に身を寄せるつもりだったのだ。

 部屋の中からは何の物音も聞えて来ない。

 姉は冷たい床に座り込んだまま、ふと考える。

(わたし、この部屋でこのまま死ぬのかしら。寒さと飢えで、ここで死んでしまうのかしら)

 最悪の想像が頭をよぎり、姉はぶるりと身を震わせる。

(そんな暗いことを考えちゃ駄目。折角みんなのおかげで命が助かることが出来たんだもの。伯母さまに会うまでは、弟のデニスの無事な姿を見るまでは、決して諦めちゃ駄目なんだから)

 姉は自分を奮い立たせる。

 明かり一つない真っ暗な部屋の中で白い息を吐き出す。

 痛む足首をかばいながら、のろのろと起き上がる。

 杖は転んだ拍子にどこかへやってしまったらしい。

 立とうとすると左足に鈍い痛みが走る。

「痛っ」

 姉は痛みに顔を歪める。

 どうやら倒れた時に左足をひねったらしい。

 足首が痛むもののそれほどひどくはない。

 痛みを我慢すれば何とか歩ける。

 姉は左足をかばいながら立ち上がり、よろよろと歩く。

 すぐに何かに突き当たる。

 ごつごつした木の感触に、強い酒の香り。

 手で触って確認すると、それはどうやら酒の樽のようだった。

 ここは地下で酒を保管しておく部屋、ワインセラーらしい。

 姉は酒樽と木の棚に手をつきながらよろよろと歩いていく。

 すぐそばの階段を這って登り、部屋の扉に手をかける。

 扉は外から鍵がかけてあるのか、内側からは開きそうもない。

 姉は扉を開けるのを諦め、今度は階段を座って降りる。

 スカートの裾をひっかけないように注意する。

(どうしよう。ここにわたしがいることは、あのメイドしか知らないことよね。どうすれば外に出られるのかしら? どうやって助けを呼ぼう)

 屋敷のことをよく知っているメイドのことだ。

 きっと他に出口がなく、鍵が掛けられると知って、この部屋に姉を幽閉したのだろう。

 このままじっと動かずにここにいて助けを待っても良いのだろうが、誰かが助けに来る保証はない。

(でも、ここにいても誰も助けが来ないかもしれない)

 その先を想像しても最悪の事態しか予想できない。

 もしも誰にも見つからず、あのメイドがこの部屋から姉を外へ出す気が無いのなら、姉は水も食べ物もなくここで飢え死にしてしまう。

 それとも寒さのために凍死だろうか。

 どちらにしても誰かの助けなしにここから出るには、自分で何とかするしかなさそうだ。

 先ほどのメイドの口ぶりからすると、そのメイドは姉のことをひどく嫌っているようだった。

 姉が次男を騙していると、頭から信じているようだった。

 詳しく事情を説明しても良いのだが、あのメイドが姉の話を聞いてくれるかどうかはわからない。

 あのメイドが勘違いしたままなら、簡単に姉をこの部屋から出してはくれないだろう。

 姉は最悪の想像を振り払うかのように頭を振る。

 もしかしたらどこかに別の出口があるかもしれない。

 あのメイドだってこの部屋を詳しく調べたわけでもないだろう。

 探せば何か逃げる方法が見つかるかもしれない。

(ここで諦めるのは早いわ。諦めたらそこでお終いだもの。今までのわたしがそうだった。諦めたらそこで何もかも終わってしまう。何も始まらないわ)

 姉は自分を勇気づけるように心の中でつぶやく。

 気持ちを切り替える。

 姉は痛む左足を引きずり、寒く暗い部屋を歩く。

 這うようにしてこの暗い部屋の石の床を進む。

 沢山の樽の並ぶこの広いワインセラーから抜け出す出口を探すため、姉は捜索に乗り出した。

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