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姉と弟  作者: 深江 碧
十二章 過去そして現在
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過去そして現在8

 姉にそもそも拒否権は無いのではないか。

 彼は彼なりに思惑があって動いているのではないか。

 そんな彼を心から信じることが出来るのだろうか。

姉はソファからゆっくりと立ち上がる。

 うつむき押し殺した声で話す。

「ごめんなさい、アレクセイ兄さま。すぐにお返事が出来なくて。でもそんなに長くはお待たせ致しません。近いうちにきっとお返事致しますから。だからどうか、今少し気持ちの整理をするお時間を下さい」

 姉は一言一言絞り出すように話す。

 次男は姉の手を握りしめたまま、困ったように笑う。

「別に構いませんよ。そんなに固く考えないで下さい。おれとしてはもちろんあなたの色よいお返事がいただけたら、これ以上嬉しいことはありませんが、たとえあなたが断ったとしても、あなたの身の安全はおれが保証致します。あなたを無事に隣国の伯母君の元まで送り届けますよ。あなたの弟との約束もそうでしたから」

 姉は顔を上げる。

 そうだ、当初の目的は隣国の伯母の元へ行くことだったのだ。

 弟と別れてから色々なことがあって、ずっとそれを忘れていた。

 思い出す余裕が無かった。

 次男はずっと律儀に弟との約束を覚えていてくれたのだろう。

 約束を守ろうとしていてくれたのだろう。

 それに比べて自分はどうだろうか。

 次男に受けた恩を少しでも返せているだろうか。

 食事も服も与えられるばかりで、次男に何のお返しも出来ていないのではないか。

 受けた恩の上に胡坐をかいて、好き勝手に振る舞っているのではないか。

 自分のわがままを次男に押し付けているのではないか。

 ようやく物事を前向きに考えられるようになっていた姉は、すぐに気持ちが落ち込んでいく。

(本当ならわたしに選択権は無いのに。この人から受けた恩を返すには、この申し出を無条件で受け入れるしかないのに)

姉の心がずきりと痛む。

顔を背け、小さな声でささやく。

「申し訳ございません」

 今はそれしか答えることが出来ない。

 次男の手が離れる。

「構いませんよ。女性に待たされるのは昔から慣れていますから」

目の見えない姉にはわからないが、きっと次男は穏やかに笑っているのだろう。

 彼の態度が優しければ優しいほど罪悪感を覚える。

 次男がテーブルの上にあったベルを鳴らす。

すぐにさっきお茶を持ってきたメイドが部屋に入ってくる。

「オリガを部屋まで案内してくれ」

 扉の前に立つメイドに指示をする。

 姉と次男のそばにやって来て、淡々とした声で応じる。

「かしこまりました。オリガ様、どうぞこちらへ」

 姉はスカートの裾をつまみ、近くに立つ次男に一礼する。

「本日はありがとうございました。わたしも兄さまに色々な話が聞けて良かったです。それに兄さまとの婚約の申し出も、わたしにはもったいないほどのお申し出です」

 姉は左手の薬指にはまった婚約指輪がそのままであったことを思い出す。

「ご、ごめんなさい、兄さま。この婚約指輪は兄さまにお返し致しませんと」

 慌てる姉に、次男は笑顔でのんびりと応じる。

「別に気にすることはないよ、オリガ。それは君にあげたものだから、そのまま持っていてくれて構わないよ」

 姉はぴしゃりと言い返す。

「そうはいきません。わたしはまだ兄さまに婚約のお返事もしていません。こんな高価な婚約指輪を、お返事もしていないのに簡単に受け取る訳には参りません」

 婚約指輪を左手から外す姉に、次男は肩をすくめる。

「オリガは律儀だなあ。そんなこと気にする必要は無いのに。それに高価高価と言っても、そんなに高価じゃないよ。せいぜい車が一台買えるくらいなものさ。もちろん君が正式に婚約を受け入れてくれるというのなら、もっと高価な物を君に贈るつもりだよ」

 姉は言葉を失う。

 こんな小さな指輪にそれだけの価値があるのなら、十分高価な物ではないか。

 目の見えない姉にはわからないが、指で触れた感触からして細かな装飾や、小さな宝石があちこちにあしらわれているようだった。

 きっと次男のことだから、特別に職人に作らせた一品ものなのだろう。

 彼からしたら高価ではないのかもしれないが、目の見えない今の姉にとっては身に付けているのも不安になる指輪だった。

「それでは尚更わたしが預かっている訳には参りません。この指輪は兄さまが大切に保管して下さい。目の見えないわたしでは、いつどこで落として失くしてしまうかもしれません。そちらの方がわたしとしても安心です」

 姉は指輪を外し、手の平に乗せて次男に差し出す。

 次男は肩をすくめる。

「そんなに遠慮することは無いのに。もしも婚約を断っても、売ればそれなりのお金にはなると思うよ。君の物として素直に受け取ってもらえばいいのに」

「そう言う訳にはいきません。兄さまが良くても、わたしの気持ちが納まりません。だからどうかこれは兄さまが持っていて下さい。大切に保管しておいてください」

 姉も譲らない。

 指輪を次男の方に突っ返す。

 次男は深緑色の瞳をわずかに伏せて寂しそうな顔をする。

「わかった。おれが預かっておくよ」

 手の平の指輪をつまんで持ち上げる。

 姉は安堵する。

「ありがとうございます、兄さま」

 姉は次男に一礼して、メイドと連れ立って部屋を出て行く。

 その背中に声をかける。

「おれもオリガと話が出来て良かった。次回は今回の話の続きを話すよ。じゃあまた夕食の席で会おう」

「はい」

 姉は振り返りはにかむように笑う。

 長い黒髪とドレスの裾がふわりと揺れる。

 姉はメイドに伴われて次男の部屋を後にした。

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