過去そして現在4
その頃、別の屋敷で姉は与えられた部屋に戻っていた。
部屋に戻った姉は、紅茶がかかった服を脱ぎ、若いメイドのマリアに渡す。
若いメイドは汚れた服を受け取り、後で洗い場に持っていくように部屋の隅の籠に入れる。
クローゼットから新しいドレスを出す。
姉自身、目が見えないので自分がどのような服を着ているのかよくわからない。
しかし時間はかかるものの、脱ぎ着だけなら何とか一人でも出来るようになった。
若いメイドに手伝ってもらっているのは、一人では着られないような服だけだった。
姉では目が見えないのでどの服が良いのか、よくわからない。
そのため服を選んでもらうのも若いメイドに頼んでいた。
「あの、マリアさん。少しお聞きしたいことがあるのですが」
「はい、何でしょうか」
若いメイドは姉の新しく着替えるドレスを姉に渡す。
「アレクセイ兄さまに、ご恩返しがしたいのですが。兄さまが喜ばれることは、何があるのでしょうか?」
姉の突然の問いに、若いメイドは言葉を失う。
その意味をじっくり考える。
姉は慌てて言いつくろう。
「べ、別にいかがわしい意味ではないのです。断じてそんなつもりで言ったのでは」
姉とメイドはそろって赤い顔をしている。
「申し訳ありません」
メイドが謝罪の言葉を口にする。
姉は首を横に振る。
「た、例えば、兄さまの好きな食べ物とか、どんな音楽を聞いているのか、どんな服が好みかなどです。せめてわたしから何か兄さまにお礼が出来れば、兄さまを喜ばせることが出来れば、わたしもこんなにも申し訳なく思うことは無いかもしれないと思いまして」
姉はメイドに渡されたドレスを胸に抱いている。
下着姿になった姉の長い黒髪が白い背中に流れている。
その丸い両肩が微かに震えている。
(この服だって、食べる物だって、すべて兄さまに与えられたものばかりだわ。わたしもせめて兄さまにお礼が出来たらいいのに)
紅茶がこぼれたのが自分で良かった。
次男にこぼしてしまっていたら、きっともっと取り乱していただろう。
すっかり落ち込んでいただろう。
「アレクセイ兄さまに助けていただいてから、この屋敷に来てから、わたしはずっと与えられるばかりで、何一つご恩返しが出来ていません。わたし自身、出来る限りのことはしたいとは思っていますが、わたしは目も見えず、自分一人で出歩くことも出来ません」
姉の胸の内を聞いて、若いメイドは黙り込んでいる。
「オリガ様。私は学が無いので大したことは言えませんが、アレクセイ様にとってオリガ様は、可愛い妹のような大切な存在なのではないでしょうか?」
「妹?」
姉は問う。
メイドはうなずく。
「はい。アレクセイ様がオリガ様に自分のことを、兄と呼ばせるのは、もしかしたらそういった意図があるのかもしれません。アレクセイ様に実際には妹はいませんが、オリガ様のことを本当の妹のように大切に思っているから、そう呼ばれることを望んだのかもしれません。つまりオリガ様はアレクセイ様にとって、それだけ大切な存在だと言うことです。だからオリガ様は何も申し訳なく思う必要は無いのですよ。胸を張って明るく振る舞うことが、アレクセイ様にとってはご恩返しになると私は思うのです」
姉は考え込む。
妹という意味を真剣に考える。
そう考えれば、今までの次男の行動にも納得がいく。
次男は姉が兄、と呼ぶととても喜んでいた。
(アレクセイ兄さまは、妹が欲しかったの?)
姉は小首を傾げる。
じっと考え込む。
(でも、わたしもずっと兄弟が欲しかった。だから弟のデニスが家に来た時は、うれしくて眠れなかったくらいだものね。きっと兄さまもそうなのね)
単純にそう考える。
そう考えてみると、今までの姉に対する愛情表現も、家族としての親しみを込めたものに思えてくる。
今までのハグも先ほどのキスも、家族としての愛情表現なのだと姉は思い込む。
姉の家ではそうではないが、一般的に家族同士でキスする家庭もあるという。
(わたしは今まで大きな勘違いをしていたのね。兄さまはわたしを従兄弟として、恩人の娘として、妹のように大切に思ってくれていただけなのだわ。そういった気持ちは恋愛感情とは無関係だったのね)
そう考えると気持ちが晴れ渡って来る。
実際には姉には弟の他に兄弟がいないのでわからないが、次男のような兄がいればいい、とも思う。
これからは次男の良き妹として振る舞おうと心に決める。
「オリガ様?」
黙り込んだ姉を、メイドは不思議そうに見つめている。
姉は清々しい笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます、マリアさん。わたし、ずっと勘違いしていました。これからはアレクセイ兄さまの、自慢の妹として振る舞えるように頑張ります!」
姉は明るい声で答える。
若いメイドの目が一瞬にして点になる。
「あ、あの、オリガ様?」
メイドはおろおろとして取り乱す。
「あ、あの、違うのです、オリガ様。アレクセイ様はオリガ様のことを妹のように大切に思っているとは思いますが。決して妹として思っている訳では無いのです」
小さな声で弁明したが、姉の耳には届かなかった。
姉は着替えのドレスに着替えるのに夢中で聞いてはいなかった。
(も、申し訳ありません、アレクセイ様)
メイドは姉の着替えを手伝いながら、心の中で次男に詫びた。




