過去編1
事故に巻き込まれたあの日、彼女と両親は、弟の誕生日プレゼントを買うために買い物に出かけていた。
彼女と母親は数日後に控える弟の誕生日にプレゼントを贈ろうと、前もって弟の喜びそうな物を考えていた。
食べる物にも着る物にも身に付ける物までほとんど頓着しない弟の喜びそうなものはなにか、彼女と母親はそろって頭を悩ませることになる。
「あの子は軍学校に入ったのだから、学校で役に立ちそうな物がいいんじゃないの?」
刺繍に針を差しながら、提案する母親に、彼女は軍服姿の弟を思い浮かべる。
「でも母さん、軍学校で必要な物とは言うけれど、具体的にどういう物がいいのかしら。軍学校では規則が厳しくて、必要最低限の物しか持ち込んではいけないと思うけれど」
彼女がそう言うと、母親はほっそりとした頬に白い手を当てる。
「それも、そうねえ。あの子の誕生日にはいつも何を送ろうか悩むのよねえ」
一家にとって、毎年弟に何をプレゼントするかが一番頭を悩ませた。
他の家族と違って、弟は何を欲しいのかほとんど言わない。
そのため弟の誕生日プレゼントを贈るのが一番難しかった。
「あの子は何も言わないからねえ。もう少しわがままを言ってくれてもいいと思うのに」
母親は溜息をつく。
「そうね」
彼女は相づちをうつ。
弟がこの家に引き取られてから数年、姉である彼女は弟がわがままを言っているところを見たことがなかった。
いつも物静かで丁寧で、家族に言われたことを忠実に守り、反抗したこともない、まったく手のかからない弟だった。
家族としてはこれ以上育てるのが楽な子どももいないのだが、母親と姉からしてみたらそれが不満だった。
この頃はそうでもないのだが、引き取ったばかりの頃は、うれしそうな顔も悲しそうな顔もほとんどしなかった。
まるで感情が抜け落ちた人形のようなぼんやりとした顔をして、家族に言われるままに毎日を大人しくして過ごしていた。
両親は最初、それは孤児院から来たばかりで、この家に慣れていないからだと考えた。
いずれはこの家に慣れて、わがままを言ったり、笑顔を見せるようになるだろう。
姉も含め、家族はそう考えていた。
しかし一ヶ月が経ち、半年が過ぎても、弟の態度に変化はなかった。
相変わらず家族に対して打ち解けず、肩っ苦しく話すし、家族から距離を置いた態度に変わりはなかった。
ある時、家族で旅行に行った先で、姉が迷子になったことがあった。
その時は弟が姉を両親の元へ連れていってくれたが、それをきっかけに姉は弟に常々思っていたことを我慢が出来なくなった。
家に帰ってから、姉は弟に当り散らした。
「どうしてあなたはわたし達に遠慮するの? 確かにわたしはあなたが今まで孤児院でどういう暮らしをしてきたのか、どんな辛い目に合ってきたのか知らないけれど。でも、わたし達、今は同じは家族じゃないの。今のあなたには血は繋がらないけれど、父さんも母さんもいて、お姉さんであるわたしもいる。確かにわたしは姉として頼りないかもしれないけれど、頼りになる父さんと母さんもいるし。同じ家族である以上、もっと頼ってくれてもいいのに。わたしはあなたに家族として、もっと普通に接して欲しいの!」
彼女は舌っ足らずに、弟に訴えた。
一息に言って、肩で息をする彼女に、弟は初めて感情らしい感情を浮かべた。
目を丸くして、驚いた顔をして彼女を見つめている。
「ふつう?」
弟は困ったように首を傾げる。
まるでその言葉を初めて聞いたかのように、神妙な顔をしている。
彼女は慌てて言い募る。
「そ、そうよ、普通よ。普通の家族として、わたし達に接して欲しいの。も、もちろん、丁寧な態度は大事だけど、もっとうれしかったらうれしい顔をしたり、悲しかったら悲しい顔をしていい、ってこと。嫌だったら嫌と言ってくれていいし、欲しい物があったら、父さんと母さんに言えば、買ってもらえるのよ?」
弟はまだよくわからないと言う顔をしていた。
そこで彼女が見本を見せてあげることにした。
両親のいる居間に行き、弟に言ったことと同じことを話す。
両親は姉と弟を見比べ、不思議そうな顔をする。
「確かに父さんと母さんは、――に家族として普通に接してもらいたいが、いきなりそれを実践しようと思うのは少し強引じゃないのかい?」
「そうよ。――だって、今まで甘えたことがないから、甘え方がわからないのであって。突然に家族らしくしろと言われても、無理だと思うわ」
居間でくつろいでいた両親からそれぞれ言われ、彼女は顔を真っ赤にする。
「もう、父さんと母さんは甘いわね。せっかく――がやる気を出しているのに、水を差さすようなことを言って。――が、このまま無愛想でもいいの?」
彼女は声を荒げる。
それには後ろについてきていた弟だけでなく、目の前の両親もびっくりする。
彼女はまなじりをつり上げて、二人を睨んでいる。
後ろにいる弟を振り返る。
「別に父さんと母さんに対して、怒って欲しい訳じゃないわ。でも、言いたいことははっきり言った方がいいと思う。じゃないと、あなたは一生誤解されたままなんだから」
彼女は弟の手を引いて、両親の前に引き出す。
戸惑う弟の背中を押す。
「ほら、父さんと母さんに言いたいことがあったら、言いたいことを言って」
両親の前に出た弟は、困った顔をしている。
姉の目もあり、うつむきながら小声でごにょごにょとつぶやく。
「ぼ、僕は」
彼が口ごもっていると、背後にいる姉が言う。
「ほら、がんばって。ここで言えなきゃ、あなたは一生こうかもしれないのよ?」
姉の励ましもあって、彼の中で何かが切り替わった。
胸を張り、堂々とした態度で真っ直ぐに養父母を見つめる。
その顔に穏やかな笑みを浮かべる。
「――夫妻に置かれましては、僕を引き取ってくれたことには、とても感謝しています。――夫妻のおかげで、僕は孤児院の貧しい暮らしから抜け出ることができたし、何不自由ない暮らしができるようになった。こうして十分な教育を受けることもできます。――夫妻の慈善事業は、僕のような孤児のこの先の人生を大きく変えることになるのです。僕自身、この家に引き取られたことにとても感謝しています」
弟の言葉を聞いた姉は驚いた。
そのはきはきとした口調は、とても姉と同じくらいの年の子どもが言った言葉とは思えなかった。
それは完全に大人の言い方だった。
まるであらかじめ教え込まれた言葉を口にしているかのようだと、彼女は思った。
妙な違和感を感じる。
両親もそろって驚いた顔をしている。
「おや」
「まあ」
お互い顔を見合わせる。
「そう言われると、困ってしまうな。なあ、母さん」
「そうね。確かにしっかりした子だと思っていたけど、ここまでとは思わなかったわ。ほら、――。あなたも弟を見習って、もう少し礼儀正しくしたらどう?」
母親から言われ、彼女はぐっと言葉に詰まる。
「じゃあ、今日はこれぐらいね」