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姉と弟  作者: 深江 碧
バッドエンド3
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バッドエンド3ー4

 伯母のところに着くなり、姉のところにはすぐに医者が呼ばれ、弟は独房に入れられた。

 独房に入れられた理由は、姉の両親を守れなかったこと。

それに姉をあんな状態で無理に隣国に連れ出したことが理由だった。

 弟は明かりのない独房の中で、冷たい床の上に独りで膝を抱え、うずくまっていた。

 もしかしたらこのことがきっかけで、伯母の逆鱗に触れ、自分の命はすぐにでも消えてなくなるかもしれない。

 姉の両親を守れなかったことを理由に、処罰を受けるかもしれない。

 弟は暗い独房の中であれこれ自分の行く末について考えたが、それもつまらないことだとすぐに考え直した。

(どうせ元々明日とも知れない命だったんだ。姉さんがいたから、僕はここまで生きて来られたのに。父さんや母さん、姉さんがいたから、人の温かさを知ることが出来た。僕がこうしていられるのは、姉さんたちがいたからなのに)

 弟は暗い瞳で冷え切った独房の中を眺めていた。

 暗闇にも慣れて、壁や床がぼんやりと光って見える。

 凍えるような独房の冬の冷たさは、弟の手足に這い上がって来る。

 明かりも熱もない独房の中は、恐ろしいほど静まり返っている。

(こんな寒さ、大したことない。姉さんの辛さに比べれば。姉さんたちと出会う前に、一人でいた頃の心の孤独に比べたら)

 弟は闇の中に昔の自分を思い出す。

 姉の家族と出会う前のことだ。

 実の母親が無くなって、組織に入った頃のこと。

 今思い出してみると、あの頃は弟自身、およそ人の心を持っていなかったように思う。

 心の中は空っぽで、何も感じず、匂いも色もなく、温度も感じなかった。

 人の死に対しても、自分の死にしても、本当に何も感じなかったのだ。

 目に映るすべての物が灰色に見えた。

 どのくらいそうして独りでいたのか。

 独房に入れられている間、弟はずっと姉の無事をひたすら祈っていた。

 神の存在など信じず、教会に自分から足を向けたことのない弟だったが、その時は姉の命が助かるのなら、神にでも悪魔にでも命を売るつもりだった。

 昼も夜もない独房の中では、時間は意味を持たない。

 視界の隅に明かり見え、足音が近づいてくる。

「白犬」

 明かりを持って独房を訪ねて来たのは、普段から伯母のそばにいる赤狐だった。

 鮮やかな赤い髪と、感情の読み取れない狐のような細い目が明かりに照らされている。

「ボスが白犬に言いたいことがあるってさ」

 赤狐の後ろには杖を持った伯母が立っている。

 鍵を開け、伯母は弟のいる独房に何も言わずに入ってくる。

 弟の前に立つ。

「この役立たず」

 伯母は持っていた杖を振り上げ、したたかに弟を殴りつけた。

「どうして、オリガをあんな状態で無理に連れて来た? どうしてあんたがいながら、あの子をあんな目に遭わせたんだ?」

 伯母は怒りに顔を真っ赤にして、杖で弟を殴りつける。

 弟は何も答えず、黙ってその仕打ちに耐える。

 たとえこの場で伯母に叩き殺されたとしても、弟には文句は言えなかった。

 すべては自分の責任だと思っていた。

「どうしてあの子を守れなかった! どうして、どうして!」

 自分を叩く鈍い音に加え、伯母の悲痛な声が耳に届く。

 弟はその声を聞きながら、ひたすら姉の無事を祈っていた。

 いつの間にか伯母の声は涙声になり、杖で弟を叩くのをやめて床に泣き崩れていた。

 両手で顔を覆い、涙を流して泣いていた。

 弟は泣き崩れる伯母と明かりを持つ赤狐をぼんやりと眺めていた。

 杖で叩かれたところは痛んだが、それほどひどい痛みではない。

 黙って独房に響く伯母のすすり泣く声を聞いていた。

「それで、姉さんは?」

 弟はわずかな望みを掛けて、伯母に尋ねる。

 伯母は涙をぬぐいながら立ち上がる。

「あの子は最期に、これは自分が望んだことで、お前の責任ではないと言い残して息を引き取った。だから今回のお前の責任や処分は見送りにしておくよ。あの子の遺言が無けりゃ、あんたをこの場で叩き殺しているところだ」

 伯母の言葉を聞いて、姉の死を知らされて、思い切り頭を殴られたようだった。

 弟は言葉を失う。

 視線を彷徨わせる。

「嘘だ」

 伯母は弟の誰にともなくつぶやいた言葉に答える。

「嘘なもんか。あの子は風邪をこじらせて死んだ。あんたがもっとあの子の体調に気を遣っていれば、ここに無理に連れて来なければ、あの子は死ななかったんだ」

「嘘だ!」

 弟は伯母に向けて言ったのではなかった。

 ただそう自分に言い聞かせなければ、心が罪悪感で押しつぶされてしまいそうだった。

 伯母は怒りの感情に任せて強い口調で叫ぶ。

「もっとはっきり言ってやろうか? あの子はあんたが殺したんだ! あんたがあの子のことを何もわかってやれないばかりに、あの子はついさっきあたしの目の前で死んだんだよ! あんたが殺したんだよ!」

 ――嘘だ。

 弟はそう叫ぼうとしたが、声が出なかった。

 擦れた声で力なくつぶやく。

「姉さんが死んだなんて、嘘だ」

 弟は姉の死をすぐに受け入れることが出来なかった。

 これが嘘であって欲しいと強く願った。

 しかしいくら願ったところで、これは現実で、本当のことだった。

「白犬」

 明かりを手にした赤狐が、気の毒がっているようだった。

 弟はうなだれたままささやく。

「僕を、殺してくれ」

 その言葉には、弟の目の前に立っていた伯母だけでなく、赤狐でさえ驚いた顔をする。

「あんた、何を言っているんだい?」

「僕を、殺してくれ。この場で。姉さんの後を追わせてくれ」

 弟は悲痛な声で訴える。

 いっそこの場で自分を叩き殺して欲しいとと伯母に願う。

 だがその願いは叶えられなかった。

 すがるような弟の様子に、伯母は怒りを浮かべる。

「何甘ったれたこと言ってんだい! すぐに楽になれると思ったら大間違いだよ。あんたはあの子の分まで生きるんだ。それがあの子への、せめてもの罪滅ぼしさ!」

 伯母は不機嫌そうに杖を石にこつこつと打ちつける。

 弟に背を向ける。

「お前には次の任務を与える。アレクセイ・ユスポフ、と言う男を守り、あの子とその両親の仇を討つ任務だ。今のあんたにぴったりの任務だ。あの子の葬儀が終わったら、さっさと隣国に出発しな。仕事内容は追って通達する」

 そう言い置いて、独房の鍵を開け放したまま、赤狐と一緒にそこから去って行った。

 弟はしばらくの間何も考えることが出来ず、その場から動くことも出来なかった。

 独房から外に出たいとも思わなかった。

 葬儀に参列して、棺の中で白い花に囲まれる姉の死に顔を見ても、弟は姉の死を信じることが出来なかった。

 生きている実感も沸かず、何も感じず、空っぽの心で次の任務に就いた。


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