弟視点5
たとえ、叔父の手から逃れることが出来たとして、その時彼が姉の隣にいるかの保証はない。
たとえ、姉を伯母と引き合わせることが出来たとして、両親を助けられなかった彼を、主人である伯母は決して許さないだろう。
彼は目を閉じる。
目を閉じると、静かな闇が落ちてくる。
――たとえ僕が死んでも、姉さんが生き残ってくれればいい。姉さんさえ生き残ってくれれば、僕がこの家に引き取られた目的は達成されるのだから。
彼は優しい両親や姉とともに過ごした日々を回想した。
彼らと過ごしたのはほんの数年だったけれど、彼にとっては輝くような何ものにも代えがたい日々だった。
彼は懐かしい日々をかみしめ、うっすらと目を開ける。
目の前には静かに笑う姉の姿がある。
姉は彼に向かって手を差し出す。
「ねえ、――。絶対に、二人とも一緒だからね。そろって伯母さんに会うんだからね。約束よ」
彼は姉の顔と差し出された手を見比べる。
姉の白い手はきっと誰も傷つけたことのない手だ。
それに比べて彼の手は、誰かの傷つけて生き残ってきた手だった。
彼は姉の手を取る。
力なく笑う。
「あぁ、約束するよ」
彼は姉の手を握りしめ、泣きそうな顔をする。
「絶対に、二人とも生きて、伯母さんに会うんだ」
彼は嘘の約束はしなかった。
伯母さんに会った後、彼が役立たずの烙印を押され、処分されるかもしれないことを口にしなかった。
これは彼の問題であって、無暗に姉を不安にさせることは避けたかった。
姉の柔らかい手を握りながら、彼は考える。
――優しい姉さん。疑うことを知らない姉さん。姉さんは気付いていないだろうけれど、僕は姉さんのことが好きだった。その明るさが好きだった。共に歩めないとわかっていても、僕にとっては姉さんの優しさが救いだった。こんな僕にも手を差し伸べてくれることが、心配してもらえるのが素直にうれしかったんだ。できることなら、もう少しそばにいたかった。家族として一緒に暮らしたかった。
心の揺らぎはすぐに消え去り、彼はまた元のような平静さを取り戻す。
彼は最初に姉に語った言葉を口にする。
「姉さん、一緒に逃げよう」
姉の手を握りしめる。
今度は姉も素直にうなずく。
「あなたと一緒なら、どこへでも」
姉は柔らかに微笑む。
その清純さは冷涼な草原に咲く白百合のように香り、手の届かないものとして彼を悲しい気持ちにさせた。
冷涼な高原に生える白百合に触れることは、彼には出来なかった。
ただただ高貴なものとして、手の届かないものとして、遠くから眺めることしか彼には出来なかったのだ。
かくして、二人は病院を抜け出し、叔父の手をかいくぐり、国境を目指すことになる。
その道のりがどのような様子であったか。
二人は伯母と無事に巡り合えたのか。
伯母に出会えた後、彼がどうなったかは、また次回で語るとしよう。
つづく