あなたの本当の気持ちを教えて下さい10
弟は叔父と向かい合って食事をしていた。
この屋敷に来てから何日目になるだろう。
叔父とこうして食事を一緒に取るのは何度目になるだろう。
その間、姉が無事でいるかどうかの情報はなく、叔父の息子たちの動向も分からない。
気が付けばワタリガラスはどこかに消えて、弟は叔父の行く先々で身辺警護を務めているだけだった。
時間だけが無為に流れていく。
弟はそんな平凡な日々が耐えられなかった。
叔父に息子にならないかと提案されてから、数日が経っていた。
給仕の使用人たちがせわしなく動く中、叔父はテーブルに並べられた料理を黙々と口に運んでいる。
最初はあれこれ弟に話しかけていた叔父だが、弟が反応を示さないのを見て、やがて話しかけなくなった。
弟は姉と離れてから食欲がない。
元々そんなに食べなくても動ける体作りをしているが、今日は普段以上に食欲がなかった。
食事を出されてから一口も口にしていない弟を見て、見かねた叔父が声をかける。
「デニス、食べないのか?」
弟は顔を上げる。
ナイフとフォークの手を止めてこちらを見ている叔父をじっと見つめる。
「お前は、どうして僕なんかと親子ごっこがしたいんだ?」
弟は叔父に尋ねる。
叔父が驚いた顔をする。
「親子ごっこ?」
弟はたまりかねたように早口でまくしたてる。
「だってそうだろう? 母さんはもういない。僕がお前の言うその時の子どもかどうかもわからない。本当の子どもである確証もないまま、僕を養子に迎えたいなんて。それこそ馬鹿げてる」
テーブルを叩いて立ち上がる。
「お前は、ただ単に親子ごっこがしたいだけだろう? 自分に従順な息子が欲しいだけだろう? それとも僕を引き取って、父さんや母さんを殺した償いをしたいのか? 自分の本当の息子の行動も止められない父親が、何を偉そうに」
一度弟の口をついて出た言葉はすぐには止まらなかった。
ついつい叔父にあたってしまう。
「だったら、自分の本当の息子たちに頼めばいいだろう? 何てたって本当に血が繋がっているんだから。本当の親子で一緒に暮らせばいいだろう? あいつらと仲良くすればいいだろう? どうして僕なんかを息子に迎えようとするんだよ。どうしてあんたはそうなんだ!」
弟はここ数日、ずっと叔父のそばで身辺警護をしてきた。
ずっとそばで叔父を観察して来た。
叔父はおよそ今まで弟が思って来たような人物ではなかった。
小心者で、兄のように優秀でもなく、大きなことも出来ないような気の優しい平凡な人物だった。
弟はいらいらとして目の前の叔父をにらみつける。
叔父は驚いたように弟を見つめている。
弟は椅子に座ると、腹立ちまぎれに目の前に並べられた料理を手当たり次第食べ始める。
それはおよそマナーにのっとったものではなかった。
「そうだな、デニスの言う通りだな」
叔父はナイフとフォークを皿の上に置く。
「私は親子として、お前と普通の家族生活が送りたかったんだ」
料理を食べる弟を見る目は優しい。
叔父は疲れた様子で息を吐き出す。
「一人目の妻とは愛のない政略結婚だった。しかし結局は上手くいかず、すぐに別れてしまった。二人目の妻は、周囲の反対に遭って、正式な妻としてすぐには迎え入れられなかった。寂しさを紛らわすために娶った三人目の妻とは、そもそも最初から気が合わなかった。その妻とも別れて、ようやく周囲を説得して二人目の妻と幸せな家庭が持てるとも思ってのだが、そう上手くはいかなかった。彼女は二人の息子を残して死んでしまった」
叔父は遠い目をして淡々と誰にともなく話す。
その残った息子二人が、次男と三男だろう。
弟は黙って料理を食べながら、律儀に叔父の話に耳を傾けている。
「白豹と会ったのは、妻が死んで間もなくのことだった。白豹は美しい女性だった。頭が良く、度胸もあり、何より腕が立つ。私はそんな彼女に夢中になったんだ。最初はまったく相手にされなかったが、私は一生懸命彼女を説得したよ。そしてようやくのことで私は彼女に認めてもらうことが出来た」
弟の本当の母親、白豹のことを話す叔父は楽しげだった。
一方の弟は冷ややかな目付きで叔父を見つめている。
叔父と白豹のなれ初めなどに興味はなく、今は叔父が自分を息子として引き取る理由が重要だった。
弟はいらいらとして尋ねる。
「それで? 僕をその時の息子だと、お前は本当に信じているのか?」
叔父は弟の言葉に、ゆっくりと首を横に振る。
「デニスが私の本当の息子かどうかは、正直わからない。けれどかつて愛した白豹の息子であり、他に身寄りがないのなら、生活に困っているのなら、私が引き取るべきだと判断した。兄夫婦、君のご両親もお姉さんも、君が不自由な暗殺者としての生活を送るのを望んでいないだろうからね」
パンをかじっていた弟は叔父の言葉に反応する。
「姉さん? 姉さんの身に何かあったのか?」
弟は椅子から勢いよく立ち上がる。
突然血相を変えた弟に、叔父の方が面食らう。
「教えてくれ。姉さんは無事なのか? 今はどこにいるんだ?」
「い、今のはものの例えで、私も現在の彼女の居場所は把握できていない。今現在、彼女が生きているのか死んでいるのかも、私にはわからないんだ」
叔父は困ったように言いつくろう。
「そうか」
弟の体から力が抜ける。
がっくりと肩を落とす。
椅子に倒れ込む。
それきり食事中に弟は言葉を発することはなかった。
姉のことはそれ以上話題に上がらなかった。
与えられた部屋に戻った弟は、部屋のベッドでワタリガラスがいびきをかいて寝ているのに気が付いた。
いつの間に戻ってきたのだろうか。
弟は呆れた顔で、ワタリガラスの寝るベッドに近付く。
気持ちよさそうに寝ているワタリガラスの頬を思い切りつねる。
「おい、起きろ」
ワタリガラスは悲鳴を上げて、すぐに目を覚ます。
「おい、白犬。もう少し優しく起こしてくれよな。俺、さっきまで仕事で情報集めてたのよ? 疲れてるのよ?」
ワタリガラスは起き上がり、口を尖らせて文句を言う。
弟はそれには触れず、簡潔に用件だけを尋ねる。
「それで、姉さんの居場所はわかったのか?」
ワタリガラスはつねられた頬をさすり、弟の質問に答える。
「お前ってば、姉ちゃんのことばっかだな。まあ俺はお前の恋路をとやかく言うつもりはないけどさ。お前の姉ちゃんの行方は、未だ捜索中だ。それ以上の情報はない」
ワタリガラスがぴしゃりと言うと、弟は見るからに落胆する。
「そうか。すまなかったな」
そのあまりの落ち込みぶりに、ワタリガラスも見ていて辛くなる。
話題を変える。
「そういえば、黒蛇と白蛇がこっちに来てるみたいだぞ? 他のカラスの奴らが二人の姿を見た、って言ってたけどな」
弟は驚きに目を見開く。
二人は普段はあまり遠くの任務に当たらない。
その二人がこちらにやって来ることの方が意外だ。
「目的はわからないけどな。まああいつらのことだ。ボスから何らかの命令を受けてここにやって来たんだろうけどな」
ワタリガラスはベッドの上にあぐらをかく。
「例えば、お前の姉ちゃんの生死を確認しにやって来た、とかな」
弟は渋い顔をする。
もしそうであるならば、弟にとってはあまり良くない事態だ。
そもそも姉家族の護衛は弟に多くを任されている。
もしそのことがボスに知られて、責任を問われれば弟の命もないだろう。
ワタリガラスはそんな弟の気持ちも知らずに話し続ける。
「ま、二人の目的のことをあれこれ考えても無駄だ。なるようになるしかないさ」
能天気にそう言って、ワタリガラスはまたベッドに横になる。
「じゃ、俺疲れてるんで。おやすみ」
ベッドで横になって寝入ってしまう。
弟はワタリガラスの気持ちの良さそうな寝顔を見て、腹が立ってまたつねってやろうかと思った。
しかし結局はそんなことはせずに、そばのソファで横になる。
天井を見上げ、ぼんやりとその後のことを考え込んでいた。




