あなたの本当の気持ちを教えて下さい8
「兄さん!」
黒服の部下たちを連れて階段のそばに立っていたのは、三男の実兄である次男だった。
次男は驚いている車椅子の三男や使用人たちに目を向ける。
「アレクセイ様」
「アレクセイ様が、どうしてこちらに?」
使用人たちはかつて三男の元に足しげく通っていた次男のことを知っているのだろう。
次々に集まってくる。
次男は姉の肩に手を置いたまま、三男を真っ直ぐに見つめる。
「久しぶりだな、フェリックス。こうして実際に会ってゆっくり話をするのは何年振りだろうな」
次男は遠慮がちに三男に笑いかける。
かつては仲の良い兄弟だったが、ここ数年、二人はまともに会ってもいない。
親族会議で度々顔を合わせるが、話しもせずに終わってしまっている。
「ど、どうして兄さんがここにいるんだよ」
三男は自分の目を疑う。
次男は玄関の方を指さす。
「玄関が開いていたからな。悪いとは思ったが、勝手に入らせてもらった」
次男はこともなげに答える。
その口調に、三男はついつい非難するような口調になってしまう。
「兄さんは、セルゲイ義兄さんに反抗しているんだろう? それで目を付けられているんだろう? どうしてそんな馬鹿なことをするんだよ。おかげでぼくにも被害が及ぶんだよ。どうしてくれるんだよ!」
次男は困ったように笑う。
「まあ、こちらも色々と事情があってな。お前にはすまないと思っているが」
傍らの姉に目を向ける。
姉は熱でぼうっとする頭で考える。
(わたしは、この人たちを巻き込んではいけない。早くこの場から離れないと、また迷惑がかかってしまうのに)
そう考えるものの、体に上手く力が入らない。
また熱が上がってきたようだった。
次男の声を聞いて、今まで張り詰めていた気持ちがふっつりと切れてしまったようだった。
姉は肩に置かれた次男の手を振り払えないでいる。
「詳しい話はまた話すとして、オリガ嬢は連れて行くぞ」
次男は姉の体を抱き上げる。
「は、放して下さい」
姉は驚いて叫んだが、抵抗する力は残ってなかった。
次男は驚いている三男に向き直る。
「今回のことで分かっただろう? お前に兄貴と渡り合うのは無理だ。そもそもあの兄貴に、何を言っても無駄なんだ。いくらお前が兄貴のご機嫌取りをしていたとしても、兄貴はお前には何の感情も抱いていないさ。あいつはそんな奴だ。自分の利益になるかならないかでしか、判断しない」
三男はぐっと言葉に詰まる。
次男の腕に抱かれている姉に目を留める。
「兄さんは、オリガさんを助けて、ますますセルゲイ義兄さんの反感を買うつもりかい? そんなことをして、命があると思っているのかい?」
次男はぐったりとしている腕の中の姉を見下ろす。
「お前から見たら馬鹿かと思われるかもしれないが、おれは他に方法が思いつかなかった。元々おれは兄貴から煙たがられてたからな。遅かれ早かれ兄貴から命を狙われるとは思っていた。だったらいっそ本格的に兄貴に反抗してやろうと思ってな」
三男はぴしゃりと言い返す。
「それでオリガさんを助けたの? どうして? ぼくにはオリガさんにそれほどの価値があるとは思えない。兄さんがセルゲイ義兄さんと対立してまで、命を助ける価値があるとは思えないよ」
次男は困ったように笑う。
車椅子の実の弟に優しい深緑色の瞳を向ける。
「人の命を助けるのに、価値があるとか価値がないなんて考えるな、フェリックス。それじゃあ兄貴と同じ考え方になっちまう。兄貴は周囲の物事すべて、人の生き死にすべてに価値を求めようとしている。自分の役に立つか、立たないかで人の命を判断するなんて、そんな考え方がおれは嫌いなんだ。だからおれは兄貴に従うことは出来ない。恩のある伯父さん伯母さんの娘であるオリガを見捨てることも、兄貴に渡すことも、おれは絶対にしない」
次男はそう言い置いて、きびすを返す。
「じゃあな、フェリックス。お前はお前の信じる道を行くといい。おれはおれの思うところに従うまでだ。たとえそれでおれが兄貴に殺されるとしても、それは自業自得だ。お前が気にすることじゃないさ。お前のところの執事さんを大切にしてやれよ?」
次男は実の弟に向けて寂しげにつぶやく。
姉の体を抱き上げて階段を降りていく。
車椅子に座る三男は激昂する。
「兄さんの馬鹿! どうしてそんなに分からず屋なんだよ! 兄さんは自分の命がいらないのかい? セルゲイ義兄さんに逆らうなんて、どうしてそんな無茶をするんだよ!」
三男の叫び声が響く。
周囲にいた使用人たちは、その兄弟のやり取りを困ったように見守っている。
次男の腕の中で姉は彼らのやり取りを聞いている。
彼が姉を思う気持ちは素直に嬉しく思う。
けれどその気持ちに甘えて、彼らを危険にさらすのは、姉にはどうしても耐えられない。
「お願いです。どうかわたしのことに、もうこれ以上構わないで下さい」
姉の体を抱いて階段を降りている次男に、そっとささやく。
次男は歩みを緩めず、屋敷の裏口へと向かう。
そこに彼らが乗って来た車が止めてある。
車の扉を開け、姉の体を車のシートにもたせ掛ける。
その隣に次男が乗り込む。
運転席と助手席に部下が乗り込み、ゆっくりと車が発進する。
姉はシートにもたれかかりながら、つぶやく。
「これ以上わたしに関われば、あなたまで巻き込んでしまう。命の危険にさらしてしまう。どうかお願いです。わたしのことは捨て置いて下さい」
苦しい息遣いに混じっての、蚊の鳴くような声だった。
車のエンジン音に混じって、次男の耳には届いたようだった。
次男は姉に顔を近付ける。
「今更と言えば、今更の話ですね。おれはもうあなたとの一件で、兄貴とは後戻りできないところまで来ていると言うのに」
姉は熱で朦朧とする頭で考える。
「……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。でも、わたしは、あなたを巻き込みたくないのです」
姉は震えながら声を絞り出す。
「本来ならば、わたしはあの時両親と共に死ぬはずだったんです。両親が交通事故で死んだのか、誰かに殺されたのかは、わたしにはわかりません。けれど、本来わたしはあの時死ぬはずだったんです」
次男はじっと姉の言葉に耳を傾けている。
姉を見つめ、肩をすくめる。
「でも、あなたは生きているじゃないですか。目が見えなくなったものの、今現在、ここにいるじゃないですか」
姉はゆっくりと首を横に振る。
熱のためか頭がぼうっとしている。




